山本 篤

Atsushi YAMAMOTO | 陸上走り幅跳び|TRACK & FIELD

文=雑司が谷千一 Interview & Text by Senichi ZOSHIGAYA

境界を超えるジャンパー
議論を巻き起こすためには、
さらなる記録を生み出し続けなければならない
パラスポーツの世界で、山本篤の名を知らない者はいない。2008年の北京パラリンピックで銀メダルを獲得して以降、数々の世界大会で輝かしい成績を収め続けてきた山本は、35歳を超えた現在もなお、現役のパラアスリートとして世界トップレベルを維持する。そんな山本が今年、新たな挑戦を試みていると聞き、大阪を訪ねた。長く第一線で活躍を続ける山本の競技に対する哲学と、パラスポーツをめぐる現在の状況をどう捉えているのか、話を聞いた。
山本 篤
脚がなくなったら何もできなくなる、
というイメージは持っていなかった。
むしろ、脚がなくなってもスノボはしたいな、
っていうことを考えていましたね。
山本選手は長きにわたり、走り幅跳びの日本代表選手として陸上界を牽引し、数々の世界大会で結果を残し続けてきました。そんな世界的アスリートが、新たなチャレンジをする——スノーボード日本代表として、2018年の平昌オリンピックを目指すという話を聞いたときは驚きました。
あくまでも基本の軸は陸上です。もともと、陸上がオフシーズンのときや試合間隔が空いてしまうときに、ほかの競技をやったりしていて。その中で、スノボに関しては、本気で平昌を目指そうと思って取り組んでいます。海外遠征を含めて、いろんなところで練習を重ねて、なんとかして平昌へ行ける状態を作りたいと思ってます。
なぜ今、スノーボードなのか。その理由を改めて教えていただけますか。
ひとつは、脚を失ってから最初にやったスポーツがスノーボードだったということ。もうひとつは、スノボをやってるときに「いつかパラリンピックの種目になったら勝てるんじゃないか」と勝手に考えていたことです。
そもそも、僕が義足になった2000年頃は、まだ義足でスノボをやるってことが、日本ではあまり前例がなかったんです。僕はそこそこ滑ったり、ジャンプしたりっていうのができていたのと、若かったこともあって、「俺が一番うまいんじゃない?」って思ってたところがあったのかも。
脚を失う以前から、スノボをやられていたんですか。
中学1年生のときにスノボを始めて、当時、一番好きなスポーツだったんです。高校2年生のときにバイク事故で脚を失ったのですが、切断する手術の直前に「(脚を切っても)スノボできますか?」ってドクターに聞いていたくらいなので。看護師さんからは心配されましたよ。「あの子、まったくヘコんでないけど大丈夫?」って。僕があまりにあっけらかんとしてたものだから、周囲の人たちから「辛くないのかしら」って、かなり心配されていたみたいです。
実際は辛かったんですか?
いや、べつにあまり深くは考えてなかったですね。脚がなくなって何もできなくなる、というイメージは持っていなくて。どちらかというと、脚がなくなってもスノボはしたいな、っていうことを考えていたというか。
すごい精神力ですね。スポーツは子供の頃から好きだったんですか。
そうですね、好きでしたね。あとは、自分を追い込むことが好きなんだと思います。どんなスポーツでも、試合に出るからには「勝ちたい」っていう気持ちがあります。例えば、陸上やスノボ以外にトライアスロンもやるんですが、これはどちらかというと、競技というよりは精神鍛錬に近いんですよ。陸上競技では味わえないような苦しさ、得難い達成感があって。100メートルとか走り幅跳びって一瞬で終わっちゃうので、メダルを獲ったとしても「獲れたわ」みたいな感じで、サッパリしてる。その点、トライアスロンはマラソンに近いかもしれません。どんなタイムで走り終えたとしても、達成感が大きい。
事故で脚を失う以前は、バレーボールをやられていたそうですね。義足になってから陸上を始めたそうですが、きっかけはなんだったんでしょうか。
競技用の義足と出合ったことです。競技用の義足がちょうど日本に多く入ってきたタイミングで、それをたまたま履かせてもらう機会があって。その義足のデザインがカッコよくて、自分も履いて走ってみたいと思ったんです。
山本選手自身、義肢装具士の国家資格をお持ちだと思うんですけど、あまり一般的には耳馴染みのない職業ですよね。改めて、義肢装具士とはどういう職業なのか教えてください。
主には義足のソケット——脚が切れてしまった部分に装着するもので、体重を支え、義足に動力を伝える部位になるのですが、それを作ること。あとは、義足そのものを組み立てたりもします。基本的に義足は既製品でできているので、いくつかのパーツを六角レンチでつなぎ合わせなければなりません。
義手を作ったりもしますが、意外と一番需要が多いのはコルセット。ヘルニアや腰痛に悩んでいるときに処方される、あのコルセットです。それを作るのも義肢装具士の仕事。最近だと、足の疲労を和らげたりする足底版を作ったりもします。身体の失ったところを補うためのパーツを作ることもあれば、もともとある機能を手助けしたりするような道具、あるいは怪我の予防のための道具など、そういったものを作るのも義肢装具士のメインとなる仕事なんです。
義肢装具士の中で、義足に特化されている人はいるのでしょうか。
特化してる人は少ないです。義足ってそんなに頻繁に作るものでもないので、やっぱり最近ではコルセットの需要が一番多いかもしれません。僕らが義肢装具士の資格を勉強していた頃は、日本全国で年間100人くらいしか免許が交付されなかったんですけど、今は年間で200人くらいいると聞いています。一応、国家資格になるので試験もしっかりあって、僕が取得した頃の合格率は90%近くで、割と高かった。今はもう少し厳しくなってるようですね。4年制大学で勉強できるところも増えてるみたいです。
アスリートでありながら義肢装具士の国家資格を持っている選手というのは多いのでしょうか。
日本では数人じゃないですか。知る限りでは僕ともう一人、日根野(翔太)くんという、走り幅跳びの選手くらいだと思います。以前には小谷(謙二)さんっていう、アテネパラリンピックに出場した走り幅跳びの選手もいましたけど、現在の強化選手の中で免許を持っているのは、僕一人だけだと思います。
それは意外です。自分の義足は自分でいじれたほうが、競技にとっても有利な気もしますが。
基本的には資格を持っていなくても、いじろうと思えばいじれるんですよ。ただ、ちゃんと理論がわかっていないとあまり意味がないというだけで。僕自身のことをいえば、ちゃんと知識を深めたうえでいろいろと試してみて、地面を蹴るときの角度なども少しずつ詰めながら、自分にとって最適なポジションを見つけていく。僕はそのプロセス自体が楽しめるので、義足を作ったり、メンテナンスできるっていうのは選手としての強みでもあると思っていますね。
アスリートにとって、義肢装具士とはどういう存在ですか。
ソケットは熟練した義肢装具士でなければ絶対に作れないので、そういう意味では本当になくてはならない存在です。ただ、それ以外の組み立てなどに関しては、選手と義足の相性の部分が大きいので、義肢装具士と話し合いながら、どういうふうに使っていくかをちゃんと議論していく必要があります。義肢装具士は競技に関しての経験値が足りないので、アスリートがどういう形で記録を上げていきたいのかをしっかりと伝えなければなりません。そのタッグがうまく組めれば、より速く走れたり、高く、遠くへ跳べたりできるようになっていくんだと思います。
競技によって使用する義足は異なると思うのですが、それぞれどんな特徴があるのでしょうか。
陸上競技でいえば、短距離で使用する義足は軽く、地面からの反発が速く返ってくるものが多いです。一方、幅跳びで使用するものは少し重たいのですが、大きな力を加えればそれだけ大きな反発が返ってくるような義足を使用します。主な違いは、カーボンの使用量です。一般的に義足に含まれるカーボンが多ければ多いほど、反発力というのは大きくなると言えると思います。
では、スノーボードなど他のスポーツに使用されるものはどうでしょうか。
スノボの場合は、義足を自分でコントロールする必要があるんです。グッと力を入れて膝を曲げたときはしっかり耐えてくれて、力を抜くとスッと戻るような機構が組み込まれています。足首の部分の造りも変わっていて、ターンをしたりするときの動きが激しいので、空圧と油圧を組み合わせて、うまく力が抜きやすいように作られています。僕はゴルフをやったりもするんですけど、ゴルフの場合はスイングの際にすごく捻るので、義足にちょっとねじれる機構が入ったようなものを使うんです。他にも自転車競技用のものなど、それぞれ特長はさまざまですね。
もう長いこと陸上をはじめとしたパラスポーツに携わっていると思いますが、テクノロジーによる義足の変化はどのように変わってきていますか。
もうだいぶ変わってきていますよ。やっぱり2010年代に入ってからですかね。各競技専用の義足がたくさん出てきて、各選手がその義足と合うような形でフォームを改造したりして世界記録が出てきた。義足だけでなく、たとえば膝のパーツなんかも、スポーツに特化したものがでてきているので、そういった進化は目覚ましいものがあると思います。
「障がい者が健常者より
強くあってはいけないんだ」
っていう人間の心理が、
まだまだ強いからだと思うんです
まさに2010年以降、義足と記録をめぐる議論が頻繁に巻き起こっています。たとえば、ドイツのマルクス・レーム選手は、2014年のドイツ選手権で健常者の記録を上回る好成績で優勝しました。その際、「テクニカル・ドーピング」という言葉が話題となり、障がい者と健常者が同じフィールドで競うのはふさわしくないといった判断が下されたことは有名です。今もさまざまな場面で義足とスポーツをめぐる議論がされていると思いますが、それらは今日、少しずつでも進歩していると感じますか。
はっきり言って、止まってるんじゃないですかね。「遅れている」っていうよりも「止まっている」という感じ。 たとえば、南アフリカのオスカー・ピストリウスはロンドンオリンピックにも出場したパラアスリートですが、彼は健常者と勝負しても優勝できるような記録を出していなかったんですね。おそらくその点で、オリンピックに出場させても問題ないと結論づけられたところがある。一方でマルクスの場合は、当時の時点で、オリンピックに出場するトップ選手の記録に勝ってしまう可能性のある記録を持っていた。そうなると、やはりオリンピックに出場させるわけにはいきませんよね。世の中の雰囲気として「障がい者が健常者より強くあってはいけないんだ」っていう人間の心理が、まだまだ強いからだと思うんです。
パラアスリートがオリンピックに出場するためには、「義足が有利に働かないということを証明しなければならない」という規定が存在しますよね。
はい、でも無理だと思いますね。
無理、というと?
僕は大学で研究も行っているのですが、走り幅跳びの踏切の瞬間については、義足自体が有利に働くといったデータは出ているんです。それはどういったことかというと、義足選手の特徴として、踏切りのタイミングで助走速度が落ちないということが挙げられます。 走り幅跳びにおいては、助走速度と跳躍距離というのはきれいな相関関係を描くんですけど、本来、僕の100メートルのタイムでは6メートル62センチという記録は跳ぶことができないはずんです。データ上では、100メートルを僕と同じタイムで走る健常者は6メートル手前までの距離しか跳ぶことができません。もちろん、多少の誤差は生じるのですが、僕たち義足選手というのは、そういった走り幅跳びの基準からは大幅に外れているんです。だから、僕自身がデータを見ている限りでは、「走り幅跳びでは義足が有利に働く」ということは言えてしまうんです。
では、マルクス選手がリオオリンピックに出場できないというニュースを聞いたとき、山本選手はどのような気持ちでしたか。
かわいそうだな、と思いましたね。アスリートとしては、やっぱり強い人間と勝負したいと心から願うことは当然なんで、もし僕が同じ状況でも、やはり「出たい!」と強く思ったと思います。ただ、あのニュースによって義足の選手に注目が集まり、いろいろな議論がされたことはひとつのいいきっかけとして捉えていいと思ってます。「義足って本当に有利なの?」「パラアスリートだってオリンピックに出ていいじゃん!」など、さまざまな意見が僕の耳にも聞こえてきましたから。
国内ではまだまだそうしたケースは少ないと思いますが、義足に関する議論も含めて、そういった動きを活発化させるためには、どうすればいいとお考えですか。
正直、今の状況ではたぶん何も変わらないと思いますね。義足の選手で、健常者の記録を脅かすような強い選手が何人も出てくるようになると、データがたくさん集まりますから、またそこで議論ができる状況が生まれるんじゃないかと。じつは彼が履いている義足は特別なものではなくて、他の選手もみんな使っているものなんです。それでも今は、健常者と戦えるのはマルクス選手ただ一人だけ。彼の能力がすごいのか、それとも義足がすごいのか、誰もはっきりとしたことは言えないというのが現実です。
世間では、レーム選手みたいなのがどんどん出てくることが、逆に興味につながっていくみたいな意見もすごく多いという印象があります。一概には言えないと思いますが、山本選手個人としてはそうした声についてはどう思いますか。
そうですね。どんどんどんどん議論されていくことが望ましい。オリンピックよりむしろパラリンピックの選手のほうが(記録的に)スゴいんだっていうような状況になれば、やはり興味関心を持ってもらえるし、パラリンピック自体が盛り上がっていくことにつながるんだと思います。
今年、パラ陸上の日本選手権が駒沢で開催されたときに、山本選手が観客の少なさについてコメントを残したことが話題になりました。あれは率直に出た感想だと思うんですけど、改めてそのときの心境とか、それを発した真意みたいなものをお伺いしてもよろしいでしょうか。
うーん……、「真意」ですか。難しいですね。やり方はきっとたくさんあるのに、それができていない状況がもどかしかったっていう感じでしょうか。
それは選手権に関わる人々すべてが、ということでしょうか。ですかね。
そうですね。いろんなところですね。一緒になって、タッグを組んで盛り上げていこうっていう雰囲気を一切感じられなかったというか。
僕らパラアスリートは、たとえば講演活動なんかで東京都内だけでもかなりの数の学校から呼ばれて、話をする機会があるんです。それって優に100は超えるはずなんです。たとえば、そういう学校に対して、丁寧なPR活動ができていたら、もっと結果は違っていたはずなんです。どんなきっかけでもいい。「山本篤選手に会ったことがあるから、本物も見てみたい」とか「無料ならちょっと覗いて行こうかな」とか、そういうレベルの感じ方でもいいから、実際に競技場に足を運んでもらいたいんです。メディアはもちろんなんですけど、もっと一般市民を直接巻き込むところまで、何かアプローチができていればと思うんです。
山本選手は現役の日本代表選手の中でも、かなりのキャリアをお持ちかと思います。パラスポーツを取り巻くメディアの報道のあり方や、一般の方々の認識は、ご自身が競技を始めた頃とどのように変わったと思いますか。
ずいぶん変わりましたね。僕が始めた頃は「パラリンピックってなんですか?」みたいな状況だったので。でも今は、講演に行ってパラリンピックを知ってるか聞いても、90%以上の子どもたちが知っている。認知度でいえば、それだけ上がっているのは事実です。ただ、選手個人のことを質問すると、やはり誰も知らないという子どもたちがほとんど。次のステップとしては、選手について興味を持ってもらうっていうところなのかなと思っています。
おそらくパラの関係者の中で、山本篤を知らない人っていないと思うんです。でも、世の中が100だとしたら、パラの世界は0.1以下。だから、世の中の99.9%の人は自分のことを知らない。そこの数字を、1%でも2%でもいいから上げたい。そのために、メディアともうまく連携していけると一番いいのですが。
山本選手は今年で35歳。アスリートとしてはかなりベテランの域に達していると思います。ご自身の肉体的な変化や衰えを感じることはありますか。
今のところは、そんなに感じてないですね。体力的な部分が向上してるとは思わないんですけど、技術的な部分は上がってるから記録は伸びているんじゃないでしょうか。あとは、怪我しそうなタイミングで、積極的に休めるようになったりとか。もうひとつは、普段、学生と練習していることが大きいのかなと。学生と一緒にいることで、気持ち的にも若く保たれているというのがあると思います。
スノーボードのようなハードなスポーツにチャレンジするというのは、普通に考えれば、その年齢ではかなり厳しいことであると感じてしまいます。
みんなに言われますよ(笑)。でも、一度しかない人生で、自分にとって何がもっとも大切なことなのか。それは、自分自身が一番楽しめているかどうかなんですよ。だから、今陸上よりも大切なことがあるとすれば、それは自分が楽しいと思える気持ちなんですよ。
世界的に見ても、パラアスリートの選手寿命は長くなってきていますね。
昔に比べれば長くなっているとは思いますが、やはり同世代では引退している選手のほうが多いですね。今、メダルを獲得している選手は、19、20歳くらいの選手が増えてきているので。
世代交代がどんどん進む中で、今年2月のスノーボード日本選手権では優勝されました。
一応、そうですね。でも国内ですから。平昌に行ける可能性があるから頑張っていられますが、大事なのは世界との距離。世界との戦いというのは、まだ経験がないので。それを経験したら、また熱の入れ方が変わってくると思います。
「引退」については、どのように考えていますか。
陸上については、おそらく次の東京大会じゃないですか。でもどうでしょう、それもわからないです。楽しければやりますけど、周りからもいろいろ言われるので。でも、やっぱりまだ金メダルがないので。東京では金を獲りたい。いい形で引退したいなとは思いますね。
後進の新しい才能については、心配せずに引退できますか。
それは僕の問題じゃないので。もちろん、若い世代がいろんな技術や知識を教えてほしいと言われれば、惜しみなく伝えていきたいと思っています、今もそういう姿勢で接していますよ。
僕のように長い間トップクラスの成績を残し続けることは、すごく特殊なことだって言われます。変わり者扱いされることもありますし(笑)。でも、僕の中では、楽しいことを中心に人生を送りたいと思っているから。その気持ちがある限りは、やっていけるんだと思います。陸上もスノボも、もちろんメディアやイベントに出ることも、すべてが楽しい。いろんな経験ができるので、そういう意味でチャレンジしているという気持ちがあるんです。
脚の手術直前に、スノボができるかドクターに聞いたというエピソードがありました。「楽しむ」ということは、子どもの頃から一貫した、山本選手らしい姿勢なんですね。
たぶん、そうですね。昔から楽しいことをやっていきたい、嫌なことはやりたくない、という性格で。楽しい中には、嫌でもやっておいたほうがいいことって絶対にあって。英語の勉強もそうですが、勉強は大っ嫌いだけど、海外の友人たちと話すためには英語を喋れるようにならないといけないし、とか。そういう意味では、嫌なことも積極的に取り組むようなところはあるんだと思います。

山本 篤 | Atsushi YAMAMOTO

1982年生まれ。静岡県出身。陸上男子走り幅跳び、短距離選手。陸上競技障害クラスはT42。17歳のときにバイク事故で大腿部を切断。高校卒業後、義肢装具士を目指したことをきっかけに、パラ陸上の世界へ。2008年の北京パラリンピックでは、日本の義足陸上競技選手としては初めて、走り幅跳びで銀メダルを獲得。2013年のIPC世界陸上競技選手権では金メダルを獲得。2016年のリオパラリンピックでは走り幅跳びで銀メダル、400メートルリレーでは銅メダルを獲得した。2017年10月よりプロアスリートとして活動を開始し、平昌パラリンピックへスノーボード日本代表選手としての出場を目指している。