新しい地図・香取慎吾×パラアーチェリー 岡崎愛子。脱線事故を越えて「生き抜いた先に“東京”があった」

2020.12.24.THU 公開

text by Number編集部(Sports Graphic Number)
photograph by Takuya Sugiyama

※本記事はSports Graphic Number との共同企画です。


日本中に衝撃が走った壮絶な事故から15年。
母との二人三脚で代表切符を掴んだ岡崎愛子が、
アーチェリーの魅力を香取慎吾と語り合った。


2005年4月25日、スポーツが大好きな大学生、岡崎愛子の生活は一変した。JR福知山線脱線事故に巻き込まれ頸髄を損傷し、一時は死も覚悟。約1年にわたる治療と懸命なリハビリの末に、あの凄惨な事故による最後の退院患者となった。
パラアーチェリーを始めたのは7年前。首から下にまひが残る中、地道なトレーニングを続けて急成長を遂げた。昨年の世界選手権W1クラス・男女ミックス戦で銅メダルを獲得し、東京パラリンピック代表に内定。今年は世界大会の個人戦で優勝も果たし、来たるべきパラリンピックでのメダルに向けて34歳は着実に実力を高めている。

香取慎吾(以下、香取) この間、男子代表の上山友裕選手とお会いして、アーチェリーを体験しました。難しかったけど、すごく楽しかった。

岡崎愛子(以下、岡崎) 距離は何mでされたんですか?

香取 すぐそこ、5mくらいです。でも全然ダメだった(笑)。実際のパラアーチェリーは50m先を狙うんですよね。的はどれくらいの大きさに見えるんですか?

岡崎 中心部分は本当に「点」です。どこに当たったのかもほとんどわからないので、双眼鏡で確認するんですよ。

香取 信じられないな。岡崎選手の使っている弓は、僕が体験したときに使ったものとは少し違うように見えますね。

岡崎 この弓はコンパウンドという種類で、両端に滑車がついていて弦を軽く引けるんです。しかも、一旦引いたら30%ぐらいの力で止めておける。香取さんが体験されたリカーブという弓だと、発射まで自分の力で引き続けないといけないですよね。

香取 まさにそこが難しかったです! 引いてから的を狙っていると、腕がきつくて、打つ時にはもうかなりずれてしまって……。そこを補助してくれるんだ。

岡崎 そのぶん重いですけどね。

足で弓を引く選手もいる?

香取 なるほど。ずっとコンパウンドを使っているんですか?

岡崎 はい。でも、アーチェリー経験者の母に勧められて始めた当初は、弓を引くことすらできなかったんですよ。

香取 引けなかった一番の理由は何ですか。

岡崎 まずは体のバランスですね。私は腹筋や背筋があまりなくて体幹が使えないので、弓の重さに引っ張られて体が倒れちゃうんです。だから今は、弓を持っていない方の肩にベルトをつけて、車いすとつなげて倒れないようにしています。

香取 そっか、ブレたら狙えませんよね。

岡崎 あと、自分に合うリリーサーがなかなか見つからなくて。

香取 リリーサー?

岡崎 コンパウンド特有の発射装置です。リカーブなら手を離せば矢が発射されるんですけど、コンパウンドはリリーサーで「切る」ことで矢を放つ。だから、私みたいに手が使えない人でも扱えるんですよ。

香取 たしか、海外には足で弓を引く選手もいましたよね。

岡崎 ロンドンパラ銀メダリストのマット・スタッツマン選手ですね。彼はリリーサーを肩につけて、顎で切ります。私が今使っているリリーサーは彼のモデルです。

柔軟なルールは悩みの種になることも

香取 お話を聞いていると、道具に関するルールは結構柔軟なんですね。

岡崎 弓も装具もわりと自由にカスタマイズできます。その中で自分に合ったバランスをどう見つけていくかも重要です。

香取 色々と変えられるっていうのは良いことなのか、変えられすぎて困るのか。

岡崎 するどい! 両方ですね。ルールでこれって決めてくれた方が楽かもしれなくて、色々変えすぎたことが原因でスランプに陥ることもあります。あそこを変えて良くなったから、じゃあもう少しだけと思った途端に悪くなって、戻れなくなったり。

香取 何が良いのかわからなくなっちゃうってことですよね、怖いな。

岡崎 私は迷いたくないのでなるべく変えないようにしています(笑)。今のこの弓と自分の状態を極めるというか。それに私の場合、重いと体が倒れちゃうのでとにかく軽さ重視。だから弓を選択する余地があまりなくて、それがかえって良いのかもしれないです。でも、アーチェリーって外でやるので気候にすごく影響されるんですよ。私のように弓が軽いと風の影響を受けやすくなるから、トップアスリートは重い弓を使っている人が多いですね。

香取 えっ! そもそも屋外でやるんですか! 知らなかった。

岡崎 インドアの別競技もあるんですけど、パラリンピックは屋外です。

香取 風が強い日とかでも?

岡崎 はい。アーチェリーって一見楽そうに見えますが、実際は冬で雨で風があっても試合はあります。しかもパラの予選や国内大会だと1人6射を12セット、計72射打つので、3時間近くかかるんです。

香取 72射!? ハードだなあ……一発に集中して打つっていうイメージしかなかった。

岡崎 テレビで放映される決勝トーナメントは15射と少ないので、すぐ終わる競技というイメージですよね(笑)。

介助者がいないと続けられない

香取 競技人口はどれくらいですか。

岡崎 パラアーチェリーだと国内では250人くらいですね。でも、私が所属している四肢まひのW1クラスには、女子は私1人しかいません。なかなか競技を続けるのが難しくて。

香取 続ける難しさはどこなんでしょう。

岡崎 介助者がいないと続けられないんです。1人では弓も組み立てられないし、矢を的から抜くのも難しい。人を確保するというのが一番だと思います。

香取 そうすると、介助者をされているお母さんが昔アーチェリーをやっていたのはすごく大きいですね。

岡崎 はい。でも、母がやってなくてもやってたと思います。他のパラ競技も探したんですよ。その中で、自分でもできそうなのがアーチェリーと射撃だった。両方体験して、より体を動かせる方をということでアーチェリーを選びました。

「この15年間は一言では表せない」

香取 体に障がいを抱えたときに、競技を始めない人もきっといっぱいいると思います。事故の前はスポーツが好きだったけどもう止めよう、と。岡崎さんが動き始められたのはどうしてですか。

岡崎 この15年間は一言では表せないぐらい、本当に大変でした。でもどうにかして生きて、暮らしていかないといけない。目の前のことを一つ一つやっていくことが大変だったので、最初は「スポーツ」なんて視界にすら入ってこなかったんです。でも、大学を卒業して、就職して働いてみると余裕も出てきた。そしたらやっぱり体を動かしたかったし、スポーツが好きだったから何かやりたかった。あと、母が結構プレッシャーをかけてきたんですよ。東京パラ出て、と。開会式の入場行進って付き添いの人も出れるから、それに出たいって(笑)。

香取 お母さん、自分のことじゃないですか(笑)。

岡崎 私、もともと運動神経は良い方だったんです。だから「愛子だったらいけるかもしれない、やってみたら」と。言われているうちに私自身も出たい、開会式で歩いてみたい、と思うようになって。だから、東京パラは大きかったですね。

香取 東京パラリンピックは、目指す場所を与えてくれるものでもあったんですね。生まれつき車いすユーザーで「いつかパラリンピックに」って思ってた人もいるけど、ある日生活が一変して怒涛のような毎日を過ごす中で突然“東京パラ”が飛び込んできて、そこを目指すようになる人もいる。

岡崎 東京じゃなかったら母も目指せとは言わなかったと思います。私がパリ目指したいって言ったら「ええー、誰が付き添いやるのよ」って絶対反対されましたよ(笑)。

香取 「そこに東京があったから」だ。

毎日の気づきや感覚を大事にする

香取 先ほど体のバランスというお話がありましたが、そもそも事故があって、自分の体自体がすごく変わってしまったわけですよね。それを頭で理解できるようになるまでにどれくらい時間がかかりましたか。

岡崎 最初は自分の体がどこまで使えて、何ができて何ができないのか、全然把握できなかったんです。でも事故の3年後くらいから毎週ジムに通って、だんだん体の使い方にも慣れてきました。日によって使える筋肉が違うんですよ。アーチェリーを始めてからも、今日はここに力が入りやすいなとか、全然使えないなというのがある。そういう時はベルトをキツめに締めたり、わりと使えるなと思ったら体をちょっと起こして引いたり、日々工夫しています。

香取 すっごく繊細ですね。

岡崎 だから毎日の気づきや感覚は大事にしていますね。

香取 僕は自分の体のこと、全くわからずに生きてるなあ。腰をちょっと痛めたときに、原因がわからなくて病院に行ったら「昨日何をされてましたか」って聞かれて、考えてみたら15時間ぐらい床で絵を描いてた。それにも気付かないくらい、自分の体のことを気にしてなさすぎる。

岡崎 それぐらい集中してるんですね。アーチェリーに向いてますよ(笑)。

香取 体験したとき、これ好きだなと思いました。的を狙う集中の瞬間はすごいですよね。何でブレてんだよって思えば思うほどブレちゃうけど、タイミングが合う時は「スン」っていう感じで、いけるなっていうのが分かりますよね。それで当たったときの爽快感といったら最高でした。

岡崎 それがアーチェリーの醍醐味です。香取さん、もう気づきましたね(笑)。

どんなに緊張する瞬間でも「終わる」

香取 でも、東京パラはお客さんもたくさん入るから集中するのが難しそうで。

岡崎 そうなんです。普段の試合にお客さんはほとんど来ないので、「ここで9点以上を取らなきゃいけない」みたいな状況を脳内で作り出してイメージトレーニングしています。それでも、今からすごく緊張していて、予選の1エンド目の1射目引けるかなって……。とても心配です。香取さんはここが大事という場面を今までたくさん経験されてたと思うんですけど、心の持っていき方ってどういう感じですか。

香取 そうですね……。ここで決めなきゃいけないっていう状況をいっぱい経験した今だからこそ言えるんですけど、どんなに緊張する瞬間でも「終わる」んですよ。だからその一歩先、終わったあとのことまで想像するんです。たとえばアーチェリーなら1射目を打つときのことしか見えなくてガチガチになっちゃうんだけど、もうちょっと先を見ると、打ち終わったあとにすげー良かったじゃんて思ってる場面も絶対に来る。僕だったらコンサートで舞台に立つ前に、歌ってる瞬間を想像すると緊張する。でも、歌い「終わって」、マイクを音声さんに渡し、階段を下りながらありがとうって言うとか、そのあとはたぶんあの店に食事に行くかな、とかまで想像すると、緊張してる場面がどんどん後ろに行く。緊張する場面なんて一瞬で終わるんですよ。イメージを現実が超えていくんです。言葉にするのが難しいけど、伝わりますか?

岡崎 すごくわかりますし、参考になります。ちなみに、今まで一番緊張したことって何ですか。

香取 今はあんまりないけど、バラエティ番組で「3、2、1」で何かに挑戦しなきゃいけない、みたいなのが一番緊張しますね。東京ドームで歌うよりも緊張する。むしろ、ライブとか緊張しそうな状況はすごいリラックスできます。5万人の前で1人で座ってても平気だと思う。ステージの上であぐらかいて、「みんな元気?」とか普通に話せるんです。むしろ癒しの場所っていうぐらい。きっと変な感覚ですね。

岡崎 信じられないです(笑)。

香取 そういう場所で、生きてきたって感じです。

岡崎 普段の生活で、そんなに緊張する場面ってないんですよね。だから想像できていなかった。東京パラにはすごく人も来るだろうしって不安ばかりが先行していたんですけど、その1射目が終わった後までイメージして本番を待ちたいと思います。

岡崎愛子 Aiko Okazaki / Archery
1986年1月10日、大阪府生まれ。’05年のJR福知山線脱線事故で頸髄を損傷。’13年にパラアーチェリーを始め、昨年の世界選手権で3位となり代表に内定した。今年2月の世界ランキングトーナメントで優勝。(株)ベリサーブ所属。

香取慎吾 Shingo Katori
1977年、神奈川県生まれ。’21年1月より、テレビ東京では33年ぶりとなる主演ドラマ『アノニマス~警視庁“指殺人”対策室~』が開始。稲垣吾郎、草彅剛とともに出演するABEMA『7.2 新しい別の窓』スペシャルは元日放送。

本連載は約2カ月に1度の掲載、次回は2021年1月21日発売号の予定です。

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『新しい地図・香取慎吾×パラアーチェリー 岡崎愛子。脱線事故を越えて「生き抜いた先に“東京”があった」』