田んぼでバレーボール? 長野県・辰野町に200チームが応募! 泥だらけの大会はなぜ“伝説のイベント”になったのか

田んぼでバレーボール? 長野県・辰野町に200チームが応募! 泥だらけの大会はなぜ“伝説のイベント”になったのか
2026.05.13.WED 公開

長野県・辰野町。人口600人ほどの小さな里山集落である渡戸(わたど)地区で行われている「どろん田バレーボールフェスタ」は、田んぼをコートにして泥まみれでバレーボールを楽しむ、ユニークな地域イベントだ。きっかけは、地元の仲間たちとの“飲みの席”というのも、この地域のほがらかさを表している。

「休耕田があるなら、そこで何かやろう。道具も最小限のバレーボールならいけるんじゃないか」。そんな発想から生まれた大会は、最大200チームがエントリーしたこともあるという大人気イベントに。衣装は自由。背広にネクタイ、学生服、ウェディングドレス……“泥んこ”の非日常は、地域のおばあちゃんたちの笑顔と温かい歓声をも力に変えて、いつしか「渡戸って、賑やかでいいね」と言われる地元の誇りにもつながっていった。

今回話を聞いたのは、発起人の船木さん、根橋さん、復活期の実行委員メンバーで信州大学学生の松岡さん、そしてどろん田バレーボールフェスタ実行委員会の合田さん。“遊び”でありながら“スポーツ”として秩序を守り、地域総出で支える。参加者は「楽しかった」を持ち帰り、リピーターが増えていく。イベントの裏側には、地域と外部の人をつなぐ、確かな仕組みがあった。

「休耕田で何かやりたい」。きっかけは飲み会の雑談から

どろん田バレーボールフェスタの試合中の様子。ネットと支柱となる木材は山から伐採し用意をするなど、全ての運営を地域住民が主体で行っている

始まりは、思いがけないほど素朴だった。「きっかけは飲み会。地元の仲間6人と『せっかく休耕田があるから何かやりたいね』という話になったんです。『じゃあ、バレーボールでもやってみようか』って。1996年の8月のことです」と発起人の舟木さんは大らかな口調で振り返る。

“田んぼでスポーツ”は突飛に聞こえるが、ただ、発想の根っこには絵空事ではない、現実的な算段があった。「農業で使ってる道具を使ってやれば、一面くらいはできる。6人いるから、もう少し人を集めれば2チームできて試合ができるんじゃないか、って」(船木さん)。

背伸びをせず、今あるものを活かす。その姿勢が、地域の“できる”を引き出した。

飲みの席で決まった話も冗談で終わらなかった。根橋さんが渡戸地区の住民や地元新聞や役所に声をかけ、中学生から40代までの7チームが集まり、第1回が実現する。

当初は「2チーム、10人ばかり集まれば、1試合できるから」という軽いつもりだったという。しかし、初回の光景が思わぬ反響を呼んだ。船木さんは「アマチュアカメラマンが当日に40人くらい来てて。珍しかったんでしょうね、写真をコンテストに出したらあちこちで入選して、新聞や雑誌に載った。『こんなに取り上げてくれるなら来年もやってみようか』となって、2回目、3回目と続いていったんです。広がり方が、想像以上だった」と語る。

その一方で、ただ“面白い”だけでは続かない。どろん田バレーが20年という時間を走り抜けられた背景には、最初から「来年も、また」が生まれる土壌があった。

大自然での“レアな体験”が口コミで広がりリピーターが激増

長野県上伊那郡辰野町を流れる横川川(よこかわかわ)は、天竜川水系の一級河川。辰野町はホタルが有名で、豊かな自然環境が残るエリアとしても知られている

どろん田バレーの特徴は、泥に飛び込み、転び、笑いながらも真剣にボールを追う姿だ。けれど当事者たちは、“泥んこ”の楽しさを偶然に任せず、体験として成立させる工夫を積み重ねてきた。

船木さんは魅力をこう言語化する。「試合が終わって泥んこになっても、すぐ隣に横川川があって、泥を落とせる。都会から来てくれた人たちは、川に入って水浴びができるのも楽しみのようです」。

試合後に横川川で泥を流す参加者たち。澄んだ水に浸かるこの瞬間もどろん田バレーがリピートされる大きな理由でもある

地元の貴重な自然が、そのまま自然の水風呂の役割を果たす。地域資源が、参加者の体験価値に直結している。

さらに、会場には「自由」な空気が流れる。船木さんは「服装は最初から自由。最初に来たチームは背広姿の20代。裸の上に背広を着てネクタイして(笑)。他にもウェディングドレスやメイド姿など、いろんな格好で出てきた。でもこっちで『こういうことしてください』ってことは一切言わなかった」と振り返る。運営が“型”を押し付けないからこそ、参加者が自分たちでイベントを盛り上げて、田んぼが「舞台」へと変化する。

ただし、放任ではない。むしろ、この大会の強さは“秩序”の設計にある。象徴的なのが、レッドカード/イエローカードの導入だ。船木さんは「次の試合の人が前の試合の得点係をやるルールがあって、出てこないチームは次の試合は不戦敗になる。あと試合中の遅延や危険行為にはイエローかレッドカードを出して、退場となることもあります」と説明する。

参加者が運営に関わる仕組みと、競技の公正さを守る線引き。地域イベントが“続く形”を持つには、こうした合意のルールが欠かせない。

もう一つ、継続の鍵になったのが「最低2試合」の保証だ。根橋さんはこう語る。「トーナメント方式も提案があったんだけど、せっかく泥だらけになっちゃったのに1回で負けて帰るのもかわいそう。リーグ戦だと時間がかかるので、1チーム最低2回はできるように、特別な組み合わせを作ってやってます」。勝敗の真剣さを保ちながら、参加者が“体験として持ち帰れる”ようにする。イベント設計として、教育的なのも魅力だ。

競技面でも、初心者が置き去りにならない工夫がある。ボールは、3回で返さなければならないルールで、3人がボールに触り相手コートに返す。1人だけ上手い人がいてもボールは返ってこない。個のスターではなく、チームの協働を促すルール。ここにも“スポーツ×学び”の芽がある。

こうしたルールと大自然でのレアな体験は口コミを生んだ。根橋さんは「私たちはあんまり発信してなくて、参加してくれた人たちが『楽しかったよ』ってどんどん発信して、年々多くなってきた」と語る。最盛期には「最大200チームの申し込みがあり、56チーム、500人の参加で行った」という。地域発の小さな挑戦が、人を動かす“物語”になった。

いつしか“伝説のイベント”となり、渡戸地区が誇れる場所に

泥んこになってしまった、というよりも、泥んこになりにいってしまう。普段では決して味わえない非日常と開放感はかけがえのない経験になる

運営の裏側は、“競技大会”というより“地域の学園祭”に近いかもしれない。根橋さんは「農家からトマトやキュウリを集めて冷やして食べてもらったり。おにぎりやとん汁を600人分作ったこともある」と話す。

さらに、田んぼは“土”のコートだ。「試合の後は、泥が減っちゃうから土地は少し凹むから、ダンプカーで土を運んで入れて整形することもある」と船木さんは語る。

何より参加者に楽しんでもらいたい。その真摯な想いによって利益を度外視したイベントは反響を呼ぶが、労力は限界に達し、どろん田バレーは2018年に惜しまれつつ閉幕した。理由は高齢化に伴う人手不足。しかし、復活を望む声が年々高まる中、2022年に4年ぶりに復活を果たす。その声は、地域内外の若者による熱意と「共創」という新しい運営スタイルが確立されたためだという。

当時を知る松岡さんはこう話す。「準備はとても大変でした。でも伝説のイベントに携われたことはとても貴重な体験でしたし、復活できたことは何より嬉しかったです。これからも若い人たちが一丸となって、どろん田バレーを継承したいと思います」

どろん田バレーが一貫しているのは、行政に頼らない地域住民主体のイベント運営だ。もたらしたのは、経済効果以上に“誇りの再編集”である。根橋さんは渡戸地区はかつて日照時間が少なくなることから「日陰村」「半日村」と呼ばれた背景を語ったうえで、こう結ぶ。

「どろん田バレーをはじめてから『半日村』って言葉を聞かなくなった。『渡戸って賑やかでいいね』って言われると、悪い気はしない。少し誇りを持てたかなと思います」

泥にまみれる一日は、参加者にとっては“忘れられない夏”となり、住民にとっては“郷土愛”になっていく。スポーツが、地域のプライドを更新していく瞬間でもある。

<2026年度のどろん田バレー開催予定>
2026年7月18日(土)~19日(日)
https://dorontatatsuno.wixsite.com/doronta

text by Akihiro Ichiyanagi(Parasapo Lab)
写真提供:どろん田バレーボールフェスタ実行委員会

『田んぼでバレーボール? 長野県・辰野町に200チームが応募! 泥だらけの大会はなぜ“伝説のイベント”になったのか』

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