山田 拓朗

Takuro YAMADA | 水泳 | Swimming

写真=蜷川実花 | スタイリング=宇佐美陽平 | ヘアメイク=矢口憲一 | 文=雑司が谷千一

何が正解なのかは誰にもわからない
健常の世界で積み重ねた苦悩と修練の先に
「忖度はナシで」。インタビュー冒頭、筆者がそう伝えると、山田拓朗は少しはにかみながら、その思いの丈を迷うことなくストレートにぶつけてきた。パラリンピック4大会連続出場、リオでは悲願の銅メダル獲得。輝かしいキャリアのハイライトは必ず東京で訪れる─周囲の人たちが、そう期待してやまないのも無理はない。しかし、山田自身はどこまでも冷静に、客観的に、2020年へと加速する浮ついたムードに警鐘を鳴らす。自らの限界、パラアスリートを取り巻く環境の変化、そして日本パラ競泳の行く末。幼少期から長くオリンピックのスタート台に立つことを夢見てきた男の目には、今、一体何が映っているのか。
一ノ瀬 メイ
もうこれ以上早くなれないって
限界を感じた時が、引退する時。
競技人生のピークが東京であればいいなあと
リオで感じた肉体と感覚のズレ
ベテランに差し掛かった今、感じる変化
リオパラリンピックで銅メダルを獲得してから、約2年が経ちました。今、競技に向き合う心境やモチベーションを聞かせてください。
一番大きな目標は2020年の東京になりますけど、そこまでに試合がいくつかありますし、いい成績を修めるために今の時期にいろいろと試して、経験値を貯めているような状況です。
リオのあとは、個人メドレーにも挑戦しているみたいですが。
2020年の東京パラリンピックに向けて、クラス分けや種目の変更があり、今シーズンはほとんどの選手がクラス分けの再テストになってるんです。2020年のパラリンピックではS9クラスの実施種目が変わったので、出場できる選択肢が変わった。冷静に考え、50メートル自由形に絞って勝負するしかないと思ってます。今は50メートルでしっかり記録を残せるように準備しようと思ってます。
リオでは銅メダルこそ獲れたものの、その結果は満足できるものではないというお話をされていました。
銅メダルを獲れたことは悪くなかった。けれど記録に関しては、具体的に25秒台をずっとイメージして取り組んできて、大会当日の状態もよかったにもかかわらず、感覚的なところで力を出しきれなかった。何か大きなミスをしたということではないですけど、スタートもゴールタッチも、ちょっとしたところで調整しきれなくて。あのプレッシャーの中では充分な結果だったといえばそうかもしれないけど、個人的にはもう少しできたという感じでしたね。
山田選手は過去、パラリンピックに4大会連続で出場されていますよね。その中でも成績的には、リオが一番よかったということになりますが。
もっとも得意な50メートル自由形に関しては自己ベストも出せました。一方で、ほかの種目では自己ベストが出なかったり、予選の感覚から決勝でイメージしているタイムに届かなかったりということがあって。その辺の自分の感覚と結果のズレをより強く感じる大会でもありました。
肉体と感覚のズレ。その課題はどこにあるのでしょうか?
パラリンピックのような大舞台では、会場の雰囲気や試合に向かう高い緊張感から、最高のパフォーマンスを出しやすい状況があります。その環境の中で、これまでは意識しなくても最高のパフォーマンスを出すことができていましたが、年齢が上がってきた今、自分の技術や体力をうまくコントロールしてパフォーマンスのレベルを上げないと、結果を残すことができなくなってきたということです。
13歳で初めてパラリンピックに出場して、キャリアとしてはもうベテランの域ですね。初めてのパラから、5大会目の東京を目指すとは思っていませんでしたか。
誰よりも早くパラリンピックに出場したので、最多出場記録ぐらいは普通に更新するのかなあとは思ってましたけど(笑)。気持ちも体も、永遠には続かないですよね。
30歳を超えている代表選手もいますよね。
それは人それぞれで、クラス分けや種目にもよります。自分の得意種目は短距離なので、心肺機能や体力の部分ではあまり影響はないかと思います。どちらかといえば、技術面と経験値の部分が大きい。結局、僕にとっては自分が納得できるレベルのパフォーマンスが出せるっていうのが一番重要で、もうこれ以上速くなれないって限界を感じた時が、引退する時。競技人生のピークが東京であればいいなあと。そこで納得いく記録が出なかったら、まだ続けていくのかもしれません。
世界で戦うために
失ってはならない貪欲さ
出場経験が豊富な山田選手に聞きますが、やはりパラリンピックへの注目度はこれまでにないくらい高まっていると感じますか。
今までが注目されなさすぎたという感覚のほうが強いですけど、逆に「このままでいいのか?」っていう思いもあって。
その疑念はどういった部分ですか?
たしかに注目はされているかもしれないけど、認知度や関心という意味では、じつはさほどこれまでと変わっていないのが現状なんじゃないかと。自分たちの国でオリンピック・パラリンピックが開催される機会もそうあるものではないし、一人でも多くの方に観ていただきたい思いはあります。やっぱりスポーツは生で観戦して初めてわかる面白さがある。そのためには、選手として結果を残すということが何よりだとは思うのですが。
実際の選手たちの意識は、山田選手の目から見てどういうふうに変わってきていますか。
正直に言えば、特別変わったとは思わないです。むしろ、パラリンピックに関わる選手については、どちらかというと競技者としての意識が下がっているような印象を受けることもあるんです。
それは意外な意見です。
とくに日本の選手たち。当然、東京で開催されるということで、障がいのあるアスリートはパラリンピックに出たいという気持ちが強いはずです。2020年が東京に決まったことで、パラアスリートを取り巻く環境が急速に変わってきています。これまでは自分の実力で練習環境やスキル、メディア露出も含めて「勝ち取る」というスタンスだったのが、今は日本代表候補というだけで、そういった環境が与えられるようになった。危機感を持っている選手が減った気がするんです。でも、実際のパラリンピックの舞台では、年々競技力が高まっていってる。日本代表だからといって世界で通用するかというと、ぜんぜんそうではない。むしろ感覚としては、世界との差は広がっている一方なんじゃないかという印象すらあるんです。
観た人はきっと心のどこかでは、
障がいの有無に関係なく、
本当にすごいかどうかわかってるはずなんです
貪欲さやハングリーさが失われてしまったことで、選手のレベルも落ちているんじゃないかと。
正直、そもそも競技人口が少ないので、日本で一番になることはそんなに難しくないと思います。しかし、日本で一番になるのと、パラリンピックで勝負するというのはまったくべつの話。自分の現状の立ち位置を自覚せずに、低いところだけを見てトレーニングし続けているような選手が多い印象を受けるんです。パフォーマンスのレベルにかかわらず、露出が増える。あるいは映像が流れたりすると、わかる人が観ればすぐにわかってしまうんです。パラリンピックに出ただけで、すごいと言わなきゃいけない風潮は強いと思いますが、観た人はきっと心のどこかでは、障がいの有無に関係なく、本当にすごいかどうかわかってるはずなんです。それがパラリンピックのイメージに直結する。長い目で見ると、けっしていい影響ばかりではないと思います。
山田選手の立場から、若い選手にそういったことを伝えることはあるんでしょうか。
軽くすることはありますけど、少し世代感覚のズレみたいなものを感じることがありますね。実際に日本代表にはなれても、パラリンピックに出て決勝には残れない選手もたくさんいます。年齢や国の違いなどを含めた広い視野と、高いレベルで現状の自分の位置をしっかり見ていかないと、世界とは戦えない。安易に若い選手にチャンスを与えるだけもよくないなって思ってしまいますね。
健常者と競い合ってきた過去
正解がない練習の難しさ
山田選手は3歳で水泳を始めてから、長く健常者と、それもジュニアオリンピックを目指すようなトップレベルの選手たちと一緒にトレーニングをしてきましたよね。おそらくパラアスリートでも、そういう環境でトレーニングを積んできた選手は少ないと思います。
その経験はすごく大きいです。僕は中学生の頃までは、それこそ本気でオリンピックを目指していました。中学1年の時にパラリンピックに初めて出場しましたが、普段の水泳とはまたべつの世界だと感じていました。高校で周りの選手たちと大きく差をつけられるまでは、健常のほうの記録を基準に考えてましたし。
明らかに健常者の世界のほうが、厳しい競争を勝ち抜いていかないと上に行けない。そういった中から受ける刺激はたくさんありました。実際に日本のパラの世界だと、どのクラスでも基本的に競技人口が少ないんですけど、世界に行けば僕と同じクラスの選手は障がいも軽いクラスなので、選手の数も多いし、レベルも高い。彼らはパラスポーツだから特別な練習をしてるというよりは、健常の競泳の強化の考え方を取り入れて、それをできるようになった選手が上がってくるというイメージですね。
日本の競泳の世界では、障がい者と健常者とが一緒にトレーニングできる環境はどれくらいあるのでしょうか。
あまりないのが現状ですね。それでも東京パラが決まって少しずつ増えてきてはいて、いろんな大学が受け入れてくれるようになってます。ただ実際には、完全に一緒に練習できているわけではなく、泳力に差があって同じトレーニングができない。だから、形だけ一緒に入って練習しているようなところもあるのが現状です。
最終的に何をすれば一番速く泳げるのか
っていうのは、まだ誰にもわからないですし、
みんなそれを探している
山田選手が筑波大学に進学されたのは、やはり健常の選手と同じ土俵でトレーニングを積みたいということが一番の理由だったのでしょうか。
そうですね、僕は完全にほかの部員と同じメニューをやると決めていました。おそらく、大学の部活動にちゃんと入って同じメニューをこなしていたっていうのは、パラ競泳では僕が初めてじゃないですかね。今考えると、それがよかった面も悪かった面も両方ありましたけど、それはやってみないとわからなかったし。その決断自体は、振り返ればよかったものだったと思います。
よかった面と悪かった面とは?
よかった面は、やっぱり厳しい世界で上を目指す選手たちの中にいることで、メンタル的なところも含めてすごく勉強になったところ。単純に練習量が非常に多かったし、高校時代にインターハイの決勝に残るような選手がさらに上に行くために練習をする。僕はそれと同じメニューを片手でこなすわけなので、それは海外の状況と比べてもかなりレベルの高い練習をこなせていたと思います。
悪かった面は、やはり練習量が多すぎたところです。簡単に言えば、オーバーワークになってしまった。体を痛めたりとか、怪我をしたりして、練習量は確保できてるんだけど、なかなか自己ベストが出ませんでした。4年間の中でいろいろ試行錯誤をして、最終的にはロンドンで自己ベストが出たから少しは速くなっていたんでしょうけど、自分がイメージしていたものとは少し違ったなという感じですね。そういうことを身をもって体験できたので、その後、社会人になってからの練習のスタイルにも影響を与えてくれた、いい時期だったなと思います。
かつて山田選手は、パラ競泳には正解がないということを話されていたのが印象的で。一人一人がフォームも自分で開発しなきゃいけないし、自分にとって何が適した練習なのか、どこを鍛えればいいか、その見極めが非常に難しいということだったと思います。
僕みたいに片手だとただでさえアンバランスですし、水泳の場合は「水」という特殊な環境の中でできるだけ抵抗を減らしながら、逆に推進力となるような抵抗を生み出さないといけない。最終的に何をすれば一番速く泳げるのかっていうのは、まだ誰にもわからないですし、みんなそれを探しているわけで。だからこそ、僕は健常者と同じ練習内容、練習量をこなすことにそれを探し求めたところがあったんです。
今のコーチとは、そういった話を含めて、いい関係性を構築しながら練習ができていますか。
高城直基パーソナルコーチとは2015年の秋からの付き合いなんですけど、もともとはロンドンオリンピックの200メートル平泳ぎの銅メダリスト・立石諒さんのコーチだった方なんです。僕の持論では、障がいの軽い選手に関しては、コーチが障がいに対して特別なスキルを持っている必要はないと思っていて。それよりも、健常の世界でも成果をあげられるような経験や知識を持っているコーチを求めていたので、高城コーチと一緒にやっていくことを決めたんです。高城コーチはそれまでパラの選手と関わったことがなかったのですが、なんの不安もなく、僕の予想通りにすんなり入り込めた。パラアスリートは自分のイメージをしっかりとコーチに伝えられれば問題ないと僕は思っているところがあって、逆にコーチにはいろんな知識やデータを出してもらって、それを組み合わせていくのが一番の方法だと思うんです。そういう意味では、今はすごく高いレベルで練習できていて、満足してます。
50メートル自由形で勝負する
東京まで残された時間は短い
子どもの頃から目標となるような選手っていたんですか?
アテネパラの頃からロンドンパラが終わるくらいまで、ずっと世界一だったオーストラリアのMatthew Cowdrey(マシュー・カウドリー)という選手がいて。僕と同じ障がいのクラスで種目も一緒だったんですけど、もうぜんぜん速くて。彼の映像をよく観ていました。彼はとにかくスタートから15メートルくらいまでのタイムがものすごく速くて、おそらくよほどスタートのスピードが向上しない限り、僕は引退するまで彼に勝てないです。
スタートが大事なんですね。
水泳は陸上と違って、加速することがないんです。抵抗がものすごく大きいですし、水中に入る前、飛び込み台から飛び出した時が一番速くて、入水してからはもう徐々に減速するだけ。タイムを出すためには、その減速の幅を抑えるっていうのがひとつと、初速を上げて最終のスピードをキープするっていうのがひとつ。それを両立させられれば、目標のタイムに近づけます。だからスタートで負けてしまえば、いくら持久力を鍛えたって追いつかないです。
山田選手はスタートが苦手だということでしたけど、50メートル自由形を選ぶのはなぜでしょうか。もっとも初速のスピードが求められる種目ですよね。
もともとは400メートルがメインで、アテネパラも400メートルで代表に選ばれたんです。北京の頃は100メートル。だからむしろ、50メートルはそんなに得意じゃなかった。でも、大学に入って体が大きくなってくると、急に50メートルのタイムが伸びたんです。逆にほかの種目のタイムが伸び悩んでしまって。それで、じゃあ50メートルに絞ろうと。
年齢が上がるにつれて、短い距離で結果が出るようになったんですね。
50メートルは僕の性格には向いてます。筋肉の質的にはスプリンターじゃないんですけど、性格は完全にスプリンター向き。飽きっぽいし、練習嫌いだし(笑)。400メートルはもっとコツコツやって、地味な練習に耐えるところがある。そういう意味では、調子がいい時にバーンっといくような短距離のほうが、性格との相性はいいんです。
あと、50メートルは本当に奥が深くて。パワーはもちろん必要なんですけど、技術の部分がモノを言う。自分のスプリントを50メートルで使い切る技術、それをコントロールする技術。微妙な調整をミスしたら負けるっていう緊張感が好きなんですかね。
2020年の東京パラで金メダルを獲るために、この2018年の夏をどのように過ごそうと考えているのでしょうか。
最終的には、東京で泳ぐ一本のために苦手な初速を上げる、それに尽きます。そこさえ速くなれば記録はまだ伸びると思ってます。
2年間は終わってみれば短いですけど、実際にはけっこう長い(笑)。いろんな練習をしますけど、結局はすべて50メートルのレースで使うためのものです。感覚とコンディションをその大会に合わせられるように、自分の中の波をできるだけ繊細に感じ取れるようになれればいいなと思ってます。

山田 拓朗 | Takuro YAMADA

1991年生まれ。兵庫県出身。NTTドコモ所属。生まれつき左肘から下がない左先天性前腕亡失。障がいクラスはS9/SB8/SM9。3歳で水泳を始め、小・中学生までは健常者にも引けを取らない成績でオリンピック出場を目指す。2004年、13歳の時にアテネパラリンピックに出場。以降、北京、ロンドン、リオと4大会連続出場を果たす。2016年のリオパラリンピックでは、50メートル自由形(S9クラス)で銅メダルを獲得。2020年、東京パラリンピックで5大会連続出場と金メダル獲得を目指す。