エアコンなし・ボロボロの畳からメダリスト誕生! 24歳日本人が導いたインド柔道初の快挙

2026.10.19.MON 公開

パリ2024パラリンピックは、インドの柔道界において歴史的な大会となった。柔道女子48kg級(J2)のコキラ・コキラ選手がインドの女子選手として初めてパラ柔道に出場し、男子60kg級(J1)のカピル・パルマル選手がインド勢初のメダルを獲得したのだ。そして、この選手を指導したのは、国際協力機構(JICA)の海外協力隊員として日本から派遣された長尾宗馬さん。パルマル選手を始め、彼が指導した選手が、この10月に開催される愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会にも出場するという。

24歳という若さでインドに赴任することになったのは、ある意味「運命だった」と話す長尾さん。その運命の物語をご本人に伺った。

なぜインドだったのか?

2018年に派遣された長尾さんたち柔道指導者は、インド代表選手を含む幅広い層の数百人に及ぶ柔道選手に指導を行った

長尾宗馬さんがJICA海外協力隊としてインドに渡ることに決まったのは2019年、大学3年生の時のこと。それまで、漠然と留学などで海外に行ってみたいと思っていたそうだが、興味があったのはアメリカやイギリスといった英語圏の先進国だった。それがなぜ、インドに行くことになったのか?

「これは運命かもしれない、と思えたからです」

と長尾さんは当時を振り返る。小学5年生のときから柔道をやっていた長尾さんは、2018年、外務省がスポーツを通じた国際協力や国際交流、友好親善、対日理解の促進を図る目的で行っている「Sport for Tomorrow(SFT)」国際貢献プログラムの一環で、学生ボランティアとして2週間、インドで柔道を教える機会を得た。

「それまで興味がなかった開発途上国の柔道の選手と触れあって、ハングリー精神というか、もっと強くなりたいというすごい熱意を感じました。日本で指導者になろうとしても、僕よりもっとベテランですごいコーチたちがたくさんいますが、僕の中には、こういう熱意のある人たちに、柔道の基礎、土台の部分を教えたいという気持ちが芽生えたんです」(長尾さん、以下同)

そこで帰国後、以前から興味のあった青年海外協力隊の募集を調べてみたところ、なんとインドでの柔道指導者の募集があったのだ。

「インドから帰国して間もなく、インドでの指導者の募集があるのを見て、これはもう運命だと思い応募をしました。ただ、応募の条件のひとつに最終学歴が大卒以上という項目があったので、大学3年生では受からないかと思ったのですが、卒業後の派遣ということで合格をいただいたんです」

しかし、派遣が決まった翌年、世界をコロナ禍が襲う。長尾さんはやむなく2年の待機期間を経て、ようやく「インド視聴覚障害者柔道協会」へと派遣された。

ボロボロの畳に、エアコンもない道場からのスタート

長尾さんが赴任した直後のインドの柔道道場。エアコンもなく、畳もボロボロだった

満を持してインドに渡った長尾さんだったが、そこで待っていたのは想像以上に過酷な環境だった。当時のインドはまだパラ柔道の歴史が浅く、これから力を入れようという過渡期だった。

「今ではきれいな専用の道場ができていますが、派遣された最初の8ヵ月ほどは、エアコンもないバドミントンコートの片隅に、ボロボロの畳を敷いただけの狭い場所で指導をしていました。しかも赴任して2、3ヵ月ほどでインドの代表選手を指導することになったのですが、彼らをパラリンピックに出場させてくれと言われたんです。初めて練習を見た時は、口には出しませんでしたが『これで出場できるのか? どうすんねん!』と思って、絶望したのを覚えています」

しかも、長尾さんはインドの辛い食事が体にあわず、ずっとお腹をくだし続け、半年ほどで10キロも痩せてしまったという。さらに、協会からは日本式のスタイルで指導してほしいという要請があったため、練習を日本式に切り替えたところ、選手たちからの反発を感じるようになった。

「日本には色んなことに1級、2級などと段階があって、基礎からコツコツやっていきましょうといった文化がありますよね。でも、インドには、あまりそういう習慣がありません。みんな自己肯定感が高く、自分の技に自信があるのはいいんですが、その次の技に繋げる方法を知らなかったりします。たとえば、巴投げのような派手な技は楽しいので練習するんですが、地味な技の練習はしたがらない。でも柔道では体幹やバランス力を鍛えたり、相手の技に反射的に対応できるように同じことを繰り返し練習することが大事なんです」

指導した選手たちと記念撮影をする長尾宗馬さん(写真左)

そうした基礎練習の大切さを理解してもらうところから始めなくてはならず、何度も何度も繰り返し説明をしたという。

「でも選手たちは口では基礎練習は大事だと言うんですが、練習の態度を見ていたら心から理解していないことが分かるんです」

思うような指導ができず焦る長尾さんだったが、赴任予定の半分の1年ほどが過ぎた頃、カウンターパート(配属先のスタッフ)から「ここはインドだから、焦らないでゆっくりやったらいいよ」と声をかけられた。

「そう言われて、そうだ、ここは日本ではなくてインドなんだから、日本のように進められないのは当たり前なんだと思えたことで、気持ちを切り替えることができました」

パリ2024パラリンピックでインド初の銅メダル

インド女子柔道選手として初めてパラリンピックに出場したコキラ選手(写真左)と、インド勢初のメダルを獲得したカピル・パルマル選手(写真中央)と、長尾さん(写真右)

長尾さんが気持ちを切り替えられるようになった頃、選手たちにも変化があった。ある選手が世界大会で優勝するなど手応えを感じられるようになってきたのだ。そして、迎えたパリ2024パラリンピック、長尾さんの指導した選手の中から、2名がインド代表として選ばれ、1人が見事銅メダルを獲得した。

実は長尾さんが柔道をはじめたきっかけは、父親のすすめによるもので、決して柔道が大好きだったわけではないという。大学進学時には柔道を辞めようとすら思っていた。そんな長尾さんが育てた選手がメダリストになったことを、本人はどう思っているのだろうか。

「まさかメダルをとれるとは思っていなかったので嬉しかったですね。インドで指導を続けられたのは選手たちがいたから。彼らが世界大会などで表彰台に登るのは、自分が勝って表彰台に登るよりも充実感があって、柔道を続けていてよかったなと思えました。選手たちからの反発は徐々になくなって、変化を受け入れてくれた選手たちは、結果が出ることによって納得してくれたというか、理解して強くなっていったのかなと思います」

一人では教えきれない。選手同士で学ぶ環境へ

新しくなった道場で指導をする長尾さん

長尾さんはインドでの指導で、ある工夫をしていた。それは視覚に障がいのある選手と健常の選手を一緒に練習させるというもの。

「僕が1人で指導をしていると時間が足りないんです。それに言葉の壁もありました。弱視の子ならばある程度近くでならば見せて教えることができますが、全盲の子はそれができないし、言葉で教えることもできない。そこで途中から、先に健常者の子たちに指導して、その後に視覚に障がいがある子たちとパートナーを組んで練習してもらい、僕が言ったことを伝えてもらうようにしたんです。道場を回りながら、間違っているところを指導するようにしたら、効率がアップしたのはもちろんですが、選手たちの間に相互理解が生まれました」

こうした指導の中で長尾さんは改めてスポーツの力を感じたという。

「たとえばパラ柔道を始めたばかりの場合、最初のうちは自信がなさそうで、道場でも暗い雰囲気の子が多いなと感じていました。それが道場に通ううちに、柔道でコミュニティを作り、自分の居場所を見つけ、自信を持っていくようになるのが分かりました。健常者の子たちも必要であれば視覚に障がいのある子たちを自然にサポートしていましたし。聴覚に障がいのある子たちを教えることもあるのですが、彼らが健常者に手話を教えて、いつの間にか手話を使って会話をして練習をしていました。以前はスポーツの力と聞いてもピンときていませんでしたが、そういう姿を目の当たりにして、改めてスポーツのすごさに気付きました」

長尾さんは現地の強い要望により任期の2年を9ヵ月も延長し、2024年の12月に帰国した。そして、今、再びインドで柔道の指導に関わりたいと考えている。

「インドでは今の世代の選手たちが引退した時に、次の世代の選手たちがまだ育っていないんです。ですから、再びインドで次の世代を担うような子どもたちを指導したいなと思っています」


大学生の頃の長尾さんは、まさか自分がインドで柔道を指導し、初のメダリストを誕生させることなど、想像もしていなかった。しかし、そうしたことが実現できたのは「まずは飛び込んでみたから」だと話す。長尾さんが運命と言える出来事に遭遇できたのは、運がいいからではなく、海外に興味があれば思っていた国でなくても行ってみる。募集要項の条件を満たしていなくてもダメもとで応募してみる。パラリンピックに出場させるなんて無理だと思っても、とりあえずやれることをやってみる。そうやって一歩を踏み出して自分で道を切り開いてきたからなのかもしれない。

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
写真提供:長尾宗馬

『エアコンなし・ボロボロの畳からメダリスト誕生! 24歳日本人が導いたインド柔道初の快挙』