-
-
Sports /競技を知る
-
-
圧倒的な成長スピードの秘密に迫る!パラ陸上競技・久野竜太朗の素顔
ブレイク必至のスター候補を紹介するシリーズ“TOP PROSPECT(有望株)”。今回は、「愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会」の開催地・愛知県出身のパラ陸上競技・久野竜太朗(くの・りゅうたろう)選手です。2023年に本格的に競技を始めてわずか2年、「ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権」の100m(視覚障がい/T12)でいきなり銀メダルを獲得。「子どもたちに勇気を与えたい」という情熱を内に秘め、圧倒的な成長スピードで世界のトップへと駆け上がるスプリンターの素顔に迫ります。
久野 竜太朗(くの・りゅうたろう)|パラ陸上競技
1999年愛知県生まれ(大府市育ち)。7歳のときに網膜色素変性症と診断される。高校卒業後、3年間の社会人生活のなかで症状が悪化。あんまマッサージ指圧師の国家資格を取得するため進学した名古屋盲学校で子どもたちに影響を受け、さまざまなブラインドスポーツに挑戦したのちパラ陸上競技の世界へ。現在は「AC一宮」および「シンプレクス・ホールディングス」に所属し、男子100mを専門とする。県内の大学などを拠点に練習に励む地元密着型アスリートで、愛知・名古屋で開催されるアジアパラの金メダル獲得を目指す。好きな食べ物は味噌カツ、天むす、味噌煮込みうどん。
小さかった少年時代、エンジニアから盲学校への道
――意外なことに、24歳まで本格的にスポーツをしたことがなかったそうですね。
久野竜太朗(以下、久野):小学生のころから体が小さくて、背の順はずっと一番前。だから「スポーツを本気でやろう」という感覚は全然なかったんです。川で魚や亀を取ったりするような遊びばかりしていましたね。体を動かすのは好きでしたけど、学校で脚光を浴びるような人ほど、スポーツ万能というわけではありませんでした。
――一般企業でエンジニアとして働いた後、あんまマッサージ指圧師を目指して進学した名古屋盲学校で、運命的にパラスポーツと出会うことになります。

久野:網膜色素変性症という病気自体は小学2年生のときに分かっていたんですが、日常生活で困ることといえば「ちょっと夜に見にくいな」くらいで、気にせず生きていました。
高校を卒業したあとは晴眼者として名古屋の会社に就職したんですが、目を酷使したことで一気に目が悪くなってしまって……。それではたちを過ぎてから盲学校へ行く決断をしたんです。マッサージの国家資格を取るために進学しました。

自分を救ってくれた子どもたちの存在
――落ち込んでいた気持ちが前を向き始めたのは、何がきっかけだったのですか。
久野:盲学校には幼稚部から高校生くらいの子まで通っているんですが、みんな一生懸命スポーツをやっていたり、学校に行くと活気ある声が聞こえてきたり、音楽をすごく頑張っていたりするんです。
当時の僕は目が悪くなったことでかなり落ち込んでいて、さらに地元の友人が亡くなるタイミングも重なって、気持ちがすごく沈んでいました。学校に行っても勉強に手がつかないような日が続いていたんです。
でも、学校で子どもたちの明るい声が聞こえてきて。まっすぐに頑張る子どもたちに触れるうちに、「子どもたちに元気をもらったな」「このままじゃあかん」って思えるようになりました。
それで、僕も子どもたちと同じように運動部に入ったんです。時期によって取り組むブラインドスポーツが変わるんですが、その中に陸上競技がありました。大会に出たとき、子どもたちがめちゃくちゃ喜んでくれて。「卒業したら、本格的に陸上競技をやってみよう」と思えた大きなきっかけになりました。

同世代のライバルから受けた「強烈な衝撃」
――本格的に競技を開始したのは2023年4月。同じ学年の2人のスプリンターと出会います。
久野:関係者からのアドバイスを受け、2022年には選手登録を行い、全国障害者スポーツ大会で記録を作るなど準備を進めていました。その後、初めて「2023愛知パラ陸上競技フェスティバル」に出場しました。僕は現在T12クラスですが、当時はT13クラスで、(翌年にパリでメダルを獲得する)川上秀太、それと福永凌太がいたんです。2人にこてんぱんにされて、現実を見せつけられました。スポーツをやってこなかったからこそ、その厳しさを実感しました。「もうちょっと戦えるかな」と思っていたら全然戦えなくて、本当に衝撃でしたね。同じ歳で、同じように目が悪くて、同じ時間を生きてきたはずなのに「なんでこんなに差があるんや」って。パラ陸上競技を始めて一番最初の大きな刺激になりましたね。それからは「どうやったら強くなれるか」ということばかり考えていました。今でも「こいつらに勝ちたい」と思って競技をしています。
――それが、走ることの原動力になっているのですね。
久野:きれいごとではなく、僕はハンデを持った子どもたちの頑張る姿を見て元気をもらい、前を向くことができた。スポーツにはそれだけの力があるんだと身をもって知ることができたことが、自分の中で本当に大きいです。
今度は僕がだれかにとってそういう存在になれたら……。陸上競技を始めようと思ったあのときからずっと、その思いが変わらずにあります。それがあるからこそ、日々の厳しい練習にも真面目に取り組むことができているんだと思います。
初の世界選手権、そしてアジアパラへ
――初めての大舞台となったニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権(インド)では、大会直前の国際クラス分けでT13からT12に変更となりました。
久野:競技歴3年以内の特別ルールで派遣してもらった立場でしたし、正直、だれも僕がメダルを獲るなんて思っていなかったはずです。ね。でも、競技歴の浅い自分に対して仲間たちは「獲れるよ!」って背中を押してくれて、それが本当に嬉しかった。
秀太も福永も「取るんじゃない?」と言ってくれていました。本当はT13で戦いたい気持ちもありました。2人が目標だったし、同じクラスで走りたかった。でも、T12になったのは仕方がないことなので、「レースだけに集中してやってやるぞ」という気持ちで挑みました。
――そして、ホームで迎えるアジアパラ。どのような思いで挑みますか。
久野:世界一になることを目指してパラ陸上の世界に入ってきたので、アジアでは負けていられないという強い気持ちがあります。ただ、油断したら絶対に負けるので気は抜けません。コンマ何秒を競う世界ですから、一つのミスで結果が変わってしまう。
大人になってから陸上競技を始めて、何もわからない僕を嫌な顔一つせず受け入れて指導してくれた「AC一宮」の皆さんや、練習環境を提供し一緒に走ってくれる至学館大学・中部大学の学生さんたち、そして一人の移動が難しい僕を支えてくれる多くの人たちがいます。
本当に多くの人に支えられて本気で陸上競技ができているので、応援してくれる皆さんに、自分が全力で走る姿を見ていただけたら嬉しいですね。

* * *
感謝を力に変え、目標に向かって全力で走る久野。自らの手で、輝かしい未来を切り拓いていくはずだ。
text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda






