【Road to 2026】スノーボード・坂下恵里、パイオニアになると誓った日からパラリンピック初代表の座を掴むまで

【Road to 2026】スノーボード・坂下恵里、パイオニアになると誓った日からパラリンピック初代表の座を掴むまで
2026.02.04.WED 公開

日本の女子選手として初めてパラリンピックのスノーボード日本代表に選ばれた坂下恵里。パイオニアになる覚悟を決めてからは、環境も変えてチャレンジを続けてきた。義足のスノーボーダーはどんな道を歩んできたのか。

坂下 恵里(さかした・えり)|スノーボード
1992年生まれ。静岡県牧之原市出身。長野県在住。2015年に交通事故で左足を切断し、下腿義足で生活する。2020年に競技を始め、世界ランキングはスノーボードクロス9位、バンクドスラローム7位。趣味はサウナ。好きな食べ物は、つぶ貝のお刺身。三菱オートリース所属。

本格的に競技を始めてから5年

雪が降らない静岡県の出身。パラスノーボードの世界に入る前からゲレンデで滑っていた。

坂下恵里(以下、坂下):雪のないところで育ちました。山梨にいとこが住んでいたので、子どもの頃から年に何度か一緒にスキーをしていました。スノーボードを始めたのは、大人になってから。「かっこいいな」と思ったのがきっかけです。年に1~2回でしたけど、3年ほどやりました。23歳の年の12月に交通事故で左足を切断したのですが、スノーボードってスキーと比べると足首をそんなに使わないイメージがあった。それで、翌年の冬にまた板に乗ってみたんです。滑れないことはないな、と思いました。

富士山の中腹にあるスノーパーク・イエティでスノーボードを始めた

2020年、28歳のときにパラスノーボードの次世代育成指定選手となり、翌年から本格的に競技者としてのキャリアをスタートさせる。2023年には初めてヨーロッパカップ(バンクドスラローム)に出場して優勝。ワールドカップへの出場権を得たことが、坂下の気持ちを変えていく。

坂下: パラスノーボードを始めたのは、日本の女子の第一人者になりたかったから。スノーボードも好きだし、誰もやってないなら私がやってみたいという軽い気持ちで、次世代育成指定選手選考会に応募しました。

そこから次世代育成選手になり、海外の大会に出場。そこで女性のトップアスリートを見たとき、衝撃を受けました。今の私では到底かなわないなって。それと同時に、この人たちと肩を並べて争えるようになりたいと強く思いました。女子は人数が少ないこともあって、(障がいの程度が重い)LL1クラスと(下腿切断の坂下が戦う)LL2クラスが一緒に戦います。LL1が断然不利という状況にもかかわらず、1、2位を争うのはいつもLL1の選手です。彼女たちの滑りを見たとき、今のままでは戦えないと思いましたね。それが、一歩踏み出すきっかけにもなりました。

「センスがないので、人より努力して、人より本数を滑らないと追いつけない」と坂下

後悔のない道を選択

坂下は、アスリートとして雇用してくれる会社に転職し、住まいも東京から長野に移した。すべてはパラリンピックに出場するためだった。

坂下: 一歩踏み出そうと思ったものの、スノーボードで食べていけるわけではありません。どうしても先々のことを考えてしまって……約1年間、悩みました。最終的にたどり着いたのが、考えたのが後悔はしたくないということ。実は、交通事故で足を切断した後にも当時勤めていた映像制作会社に復帰したのですが、テレビ業界にいても体力的についていけなくなるだろうと自分で見切りをつけて、やめてしまったんです。それをすごく後悔していて、夢に出てくるほどでした。その後、事務職を転々としましたが、そんな気持ちではうまくいくわけもありません。そんな経験があって、先々よりも今を大事に生きよう、と思うことができて、スノーボードでパラリンピックを目指す覚悟が固まりました。ありがたいことに、競技に専念できる今の会社にも出会い、練習環境のいい長野に引っ越しもしました。もう後戻りはできません。

5人のトップ選手が引っ張る日本代表チーム。坂下と後田風吹が加わったが、女性選手はまだ坂下だけだ。

坂下: 世界で戦うようになって、勝負の厳しさを感じます。チームの練習では、筋肉のつき方も骨格も違う男子をひたすら追いかけるので、苦しくつらいときもあります。本音を言うと、女子選手と切磋琢磨したいと思ったり、女子の目標となる選手がいてくれたらと思ったり……。動画で滑りを見返しているときや生活面でうまくいかなかったときに、余裕がなくなってしまうと思わず感情が出てしまい、涙が出てしまうことがあります。先輩から、泣きすぎだと言われますが、以前よりはコントロールできるようになってきました。

海外遠征中に話を聞いてくれたスノーボードの友人や、同じ時期に育成指定選手から強化指定選手になった後田選手の存在は支えになっています。

同期の後田(右)とともにパラリンピック初出場

学生時代はソフトボールに夢中だった。

坂下: 中学と高校は部活でソフトボールをやっていました。スノーボードは個人競技なので、いいことも悪いことも全部自分の責任。ソフトボールとの違いはすごく感じます。ソフトボールでは県大会で最高ベスト8でしたけど、目標を達成できたときはもう悔いなしというくらいの気持ちでした。かけがえのない時間だったと思っています。

高校を卒業し、専門学校を経て、テレビカメラマンを目指して映像制作会社に就職しましたが、一つの目標に向かってチーム一丸で向かっていくところが部活と似ていて魅力的だと感じていました。

『海猿』のドキュメンタリー映像を観たのがきっかけでカメラマンを志したという坂下。「一瞬の映像のために多くの労力がかけられていて心が動かされました」

“チーム一丸”に惹かれてきた坂下が、スノーボードの虜になった。その魅力とは何か。

坂下: 板一枚の上に乗っているだけなのに、跳んだり跳ねたり回ったり……いろんなことができることが魅力だなと思います。
アメリカのトップ選手であるブレナ・ハッカビーやケイト・デルソンは、本当に障がいがあるの?って思うほど、「ジブ」も「キッカー」もうまい。音楽を聴きながら滑っていたりするのですが、スノーボードが大好きだというのがにじみ出ています。

オリンピックも、パラリンピックも、男子も、女子も同じだと思いますが、ゴールではみんなで抱き合ってたたえ合う。これまで味わったことのない、言葉にできない感情が生まれるんです。すごくいい経験をさせていただいているなと思います。

ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会では、スノーボードクロスとバンクドスラロームに出場予定だ。

坂下:最低入賞、最高表彰台を目指して、自分の滑りを発揮できるようにがんばりたいです。

もちろん、女子の競技人口を増やしたいのもありますし、最初は何もできなかった私がここまでの舞台に上がることができるというのを多くの人に見てもらいたいですね。だれかに希望を与えることができて、私もなにかに挑戦してみようと思ってもらえたら、それほど嬉しいことはないです。

笑顔を見せる坂下

パラリンピックでは、ライバルたちとたたえ合う坂下の笑顔が見られる瞬間を楽しみに待ちたい。

text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda

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