突然訪れたパラ馬術転向。世界チャンピオンが目指す金メダル

2020.02.19.WED 公開

かつて健常の馬場馬術界で、ブラジル人ホープとして期待されていたロドルフォ・リスカーラ。フランス・パリで有名ブランドの店頭に立っていたこともあるというのも頷けるスマートさを漂わせる。

穏やかに微笑む彼だが、2015年、父の死の直後、自身も重い病にかかり、死線をさまよい、ひざ下、手の指を失った壮絶な経験をしている。だが、「馬術があったから生きる希望が見つけられた。いまは東京パラリンピックでの金メダルが目標です」と明るく話す胸の内に迫る。

オリンピックを目指すも挫折を経験

2018年9月、アメリカで行われた世界選手権で、リスカーラはインディビジュアルテストとフリースタイルで銀メダルを獲得し、世界ランキングも1位に到達した。2016年1月にパラ馬術をスタートしたリスカーラを、世界がトップライダーの一人として認めた瞬間だった。

ロドルフォ・リスカーラ(以下、リスカーラ) 馬場馬術は採点競技なので、どれだけ審判員に存在を知られているか、それまでの積み重ねも大事なんです。だから、健常者の大会で名を知られていても、パラでは新参者の僕は、かなり頑張らないといけない状況が続いていました。強豪が揃うヨーロッパ勢にブラジル人の僕が割って入る大変さもありますし。でも、ここで銀メダルという結果を残せて、とても満足を得られました。

リスカーラの言葉からも分かるように、故郷のブラジルは決して馬術競技が盛んな国ではない。しかし、馬術一家に育ったリスカーラは、生活のなかに常に馬がいた。

リスカーラ 祖父が競走馬を所有していたので、母・ロザンジェリはレッスンプロになり、私と妹のビクトリアは、ライダーとして育てられたんです。そして21歳のとき、私は馬場馬術が盛んなドイツに移り住みました。いい馬がいるからチャンスが多かったんです。

ドイツ在住中の2005年、リスカーラは世界への登竜門「ヤングライダー世界選手権」のファイナリストになる。これでますますオリンピック出場を志すが、2012年のロンドンオリンピックの切符は手に入らず、2014年にプロのライダーとしての自分に一区切りつけることにした。

リスカーラ とても悲しくて、がっかりした状況でした。当時はフランスの厩舎に雇われて、オリンピックを目指しながら、馬の調教をしたり、レッスンしたりしていたんです。でも、馬術競技はお金がかかるし、上手だからといってオリンピック選手になれるわけじゃないとだんだんと分かってしまった。だったら、馬の仕事にはいつでも戻れるのだから、若いうちに馬ではない仕事をして、人生を変えようと。そこでクリスチャン・ディオールのフラッグシップストアで働き始めたんです。

パラ転向後、半年足らずで最高峰の舞台へ

それからは穏やかな生活だった。しかし翌2015年、人生が激変する。つらい出来事は1ヵ月の間に重なった。

リスカーラ 7月に休暇でブラジルに帰ったんです。両親は離婚していたけど、関係は悪くなくて、みんなで食事をしました。それが家族が揃った最後。翌日、僕はフランスに帰ったのですが、すぐに父の容態が悪くなったことを知らされて。なかなか航空券が取れず、翌週、ブラジルに戻ったとき、父はすでに亡くなり、埋められていました。

この2週間後、リスカーラの身にも異変が起きた。

リスカーラ 父が亡くなった事後手続きのため、僕はまだブラジルにいて、昼間は元気に過ごしていたんです。でも夜中、急に体温が40度を越え、昏睡状態になってしまいました。細菌が血液組織に入り、機械で心臓を動かしている状態でした。体の末端に血液がいかず、壊死し始めていたので、母と妹は医師から「手足を切断しますか?」と聞かれたそうです。ただ、すでに「死を覚悟してください」と言われていたので、2人は「死ぬのなら切らないで」と答えたと後で聞きました。

死線を彷徨い、目覚めたのは3週間後だった。

リスカーラ このとき、手足は残っていました。でも真っ黒で。そこで衛生状態のいいパリに戻って、医師に切るか、切らないか2つの選択肢が与えられたんです。そこで、僕は「切っても馬に乗れますか?」と尋ねたら、医師の返答は「正しい箇所で切断し、義足をつけてなんだってできるよ」というものでした。それで、10月にひざ下と手の指を切断したんです。

人生で一番の逆境だ。翌月には、自宅のアパルトマン近くでイスラム国による同時多発テロが起こり、パリの街も揺れていた。そんななか、リスカーラは一つの決意をする。

リスカーラ 当時、テロでたくさんの人が撃たれ、病室が足りなくなっていたので、僕はリハビリ施設で過ごしていました。そこに友人が電話をしてきて「私の馬を使っていいから、パラリンピックに出なさいよ」と言うんです。それで2016年1月にパラ馬術に転向することにしたんです。

2016年といえば、ブラジルで行われたリオパラリンピックの開催年である。出場権を掴むには、残り少ない大会で目覚ましい成績を残さなくてはならず、まるで綱渡りのような日々だったに違いない。

リスカーラ (障がいによる)クラス分けを受け、4月に初めてパラ馬術の大会に出場しました。周りは病気をしたばかりなのに大丈夫なの? という感じだったけど、私はそんなに緊張した覚えはありません。ただ4大会に出て、パラリンピックの出場を決められたときは本当にうれしかったです。

リオパラリンピックでは、チームテスト7位、インディビジュアルテストは10位だった。

リスカーラ 結果はよくなかったかもしれないけど、僕は満足してるんです。病気のすぐあとで、最初のパラリンピックはスタートにすぎないと思っているから。暑くて大変なところを馬も頑張ってくれました。

かけ足の半年間だった。それにしてもなぜリスカーラは手足を切断後、気持ちをすぐ切り替え、パラリンピックにまい進できたのか。

リスカーラ その答えは簡単です。開催国がブラジルだったからですよ。母国でオリンピック・パラリンピックが開催されることは、僕の人生ではもう二度とないと思う。だったら、出なければ、と思いました。馬術のおかげで病気のことをあまり考えずに済んだんです。僕の人生は終わっちゃった……と感じていた人たちも、出場したことでみんな興奮していましたし。スポーツのマジックですよね。

オリンピックとパラリンピック両方への出場を目指す

昨年10月に来日し「CPEDI3★Gotemba Autumn」でデモンストレーションを行った
photo by Atsushi Mihara

リオの後、リスカーラは、国際馬術連盟が困難を乗り越えた選手に与えられる「Against All Odds選手賞」を受賞。クリスチャン・ディオール社によるサポートも決まり、東京2020パラリンピックでの金メダルを目指して取り組むことになった。コーチは母と妹。2017年7月には新しい相棒も見つかった。2003年生まれの牡馬・ドンヘンリコ号だ。

リスカーラ ドンヘンリコ号とは会ったときから気が合って「完璧だ!」と思いました。ソウルオリンピックの金メダリストであるアン・カトリーン・リンゼンホフさんが「あなただったら乗れるから」と提供してくれたんです。

ドンヘンリコ号を得たリスカーラはすぐに飛躍する。1ヵ月後に行われた健常者のニース大会で準優勝。2018年の世界選手権でも銀メダルを獲ったことは冒頭の通りだ。2019年はグレードの高い3星大会で三度の優勝を果たす。狙ったタイトルは決して逃さないのがリスカーラの強みだ。

リスカーラ 僕には集中力が高いという長所があるんですが、それ以上に、長期的な目標を設定し、準備ができるという強みがあるんです。ただ長く馬に乗るのではなく、何カ月後にどういうレベルに達していなくてはならないか、プランを立てられる。みんなが期待してくれると、燃える性格なので、それも良いのかもしれません。

では、以前より馬を操作する難しさが増している点は、どう感じているのだろうか。現在、リスカーラはリストバンドがついた特殊な長鞭を使用している。

リスカーラ もちろん馬に気持ちを伝える方法は、以前とは違います。だからといって、難しさが増しているとは思いません。特殊馬具を使えるし、以前の経験があるからさほど操作は問題ありません。体を使って馬を操作する方法はいろいろ見つけられます。

リスカーラの同行者は「それこそ、彼の才能。本来は決して容易なことではない」と説明する。リスカーラのデモンストレーションを見ていた日本の馬術関係者も「座面へのちょっとした圧力のかけ方などで、馬を絶妙に操作していた」と語っていた。では、いまリスカーラがパラリンピックの金メダルを目指すモチベーションは何だろう。

リスカーラ オリンピック・パラリンピックは巨大なパーティみたいなもの。選手だけでなく、観客もみな楽しめる。そんな特別な舞台で金メダルを獲ることに大きな価値を感じるから。

それと、2024年のパリ大会でオリンピックもパラリンピックも出たいという目標があるんです。レアなことですが、大きいスポンサーを得て、いい馬を手に入れられれば、夢は叶う。4年前のリオ大会は、出場が目標でしたが、東京大会では金メダルを獲ること、パリ大会では、オリンピックとパラリンピックに出ることが目標です。すべてがうまくいっているってわけではないけど、パリでの目標を達成するためにも、東京では金メダルがほしいです。

リスカーラの座右の銘は「後悔しないために全力で生きる」。どんなに元気で過ごしていても、突然人生が変わってしまうことがあることを心底知るリスカーラだからこその言葉だ。その言葉を胸に刻み、リスカーラは東京、そしてパリへ突き進む。

text by TEAM A
photo by Haruo Wanibe

『突然訪れたパラ馬術転向。世界チャンピオンが目指す金メダル』