【難民選手団・団長インタビュー】私たちがパラリンピックに出場する理由

【難民選手団・団長インタビュー】私たちがパラリンピックに出場する理由
2021.09.23.THU 公開

リオ2016パラリンピックに続き、東京2020パラリンピックに出場した難民選手団。難民生活という困難な状況にありながら自らの限界に挑むパラアスリートたちの姿は、私たちに多くのメッセージを残していった。難民選手団の団長を務め、自身も難民としての経験を持つパラリンピアンのイリアナ・ロドリゲスさんに、難民選手団がパラリンピックに出場する意義や今後の取り組みについて聞いた。

強いメッセージを発信できる6人がそろった

――前回のリオ大会に続き、2度目の結成となる難民選手団ですが、皆さんがパラリンピックに出場する意義とは何でしょう?

リオ大会で2名だった難民選手団の選手は、東京大会では6名に増えました。今回その中に女子選手が含まれたことは、大きな成長といえます。いま世界には、約8200万人の難民がいて、その中の約200万人に障がいがあります。難民の代表として選手たちがパラリンピックに出場することは、障がいのある難民に対して大きな励みになるのです。東京大会に強いメッセージを発信できる6名の代表選手がそろったことをうれしく思います。

――難民選手団が発信する「メッセージ」とは?

何より「希望」です。とくに、女子こん棒投げに出場した20歳のアリア・イッサが代表入りしたことは大きな意味のあることでした。女子選手として初めて難民選手団入りした彼女は、「女性の難民であってもスポーツで人生が変わるということを発信できれば」という強い気持ちをもって大会に臨みました。

――異なるバックグラウンドを持った選手が集まるチームの団長に就任して、何か気づかされたことはありますか?

選手たちとビデオ会議をしたとき、ある選手が、「私はチームではなく家族だ」と言いました。コミュニケーションをとるのは大変ですが、お互いを思いやり愛情を抱くこと、それが私たちにはとても重要でした。選手の中には、大変な困難やつらい経験をしている選手がいます。だからこそ、深い思いやりと、相手を尊敬する心を持つことができると思います。選手たちは、そういった精神を、身をもって体現してくれました。

同時通訳5人でグローバルミーティング

――団長として、どんなことに苦労されましたか?

大きなプロジェクトには、大きな課題がつきものです。でも、その分、見返りや達成感も大きいので、それで帳消しでしょうか。大変だったことを挙げるとしたら調整ですね。住んでいるところがバラバラな私たちは、全員が集まるオンライン会議を開くにも、いつ何時に開催するかを決めるのにひと苦労しました。5人の同時通訳をつける必要があって、時間もかかる。今までにない経験でしたね。

難民選手団のイリアナ・ロドリゲス団長。インタビューは大会中にオンラインで行った photo by parasapo

――選手たちの練習環境を整えることも、なかなか難しかったと思います。

アスリートにトレーニング機会を増やすことも重要でした。幸いにも選手一人ひとりにコーチがついていること、IPC(国際パラリンピック委員会)やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、日本をはじめとする多くの国の民間企業からのサポートをいただいたおかげで、充実したトレーニングを受けることができました。アスリートがパラリンピックのような大きな大会に出場するためのトレーニングを続けるには、こういった支援が不可欠です。

難民の子どもたちに機会を提供したい

――欧米に比べ、日本は難民の受け入れが非常に少なく、難民に対してあまり馴染みがないという人も少なくありません。

私たちには、難民に対する現状を十分に意識してもらえない社会や人々に対し、啓蒙していく役割があります。日本のような先進国に暮らす人たちにも、「世界には困難を強いられている人がたくさんいる」と知ってもらうことは大事だと思います。今回、日本の国民の皆さんは、私たちを非常に温かく迎え入れてくれました。優しい心を持っている日本の皆さんですから、将来にわたって難民への理解を深め、サポートしてくれるのではないかと確信しています。

――今後、ロドリゲスさんはどのような活動を予定していますか。

すでに2024年のパリ大会、2028年のロサンゼルス大会に向けての準備に携わっていて、いくつかプロジェクトも抱えているので、今後も引き続き、パラリンピックにおける難民選手団のサポートをしていきます。

それに加えて、私は難民のパラアスリートが成長する機会を絶やしたくないと考えています。そのためには、アスリートはもちろん、子どもたちをサポートしていく体制を継続し、拡大する必要があります。子どもたちに、スポーツをする価値、そして何よりも、優れた人間になる機会や、前向きに人生を歩める機会を提供したいのです。そのための支援も不可欠です。東京大会に出場した選手たちには、他の難民パラアスリートに対し、さまざまな機会の扉を開ける役割も担ってほしいと思います。

団長が紹介! 東京2020パラリンピックで来日した難民選手団

アッバス・カリミ【水泳】男子50m背泳ぎ(S5)予選敗退、男子50mバタフライ(S5)8位
「練習環境も安定しなかった中で、今はアメリカ・フロリダに拠点を置くことができた。人格者で、彼の姿勢には感銘を受けます」

アナス・ハリファ【カヌー】男子200m(KL1)9位、200m(VL2)11位
「難民の受け入れ先のドイツで後天的に障がいを負いましたが、わずか6ヵ月で代表になった選手。すごい成長を見せてくれました」

アリア・イッサ【陸上競技】女子こん棒投げ(F32)8位
「難民の両親のもと、ギリシャで生まれた。障がいのある難民の中で女性がスポーツをすることはとても特殊なので、彼女が参加してくれたことをとてもうれしく思います」

イブラヒム・フセイン【水泳】男子100m自由形(S9)予選敗退、男子100m平泳ぎ(SB8)失格
「難民選手団のリーダー的存在。日本とのかかわりを大事にしていて、いつも笑顔で、誰もが応援したくなる選手です」

シャハラド・ナサジプール【陸上競技】男子円盤投(F37)8位
「ものすごく努力家。パラリンピックに難民選手団が必要だと提案した彼。リオ大会に続く2回目の参加で、他のアスリートにも参加を呼びかけてくれました」

パルフェ・ハキジマナ【テコンドー】男子61kg級(K44)一回戦敗退
「十分な支援を受けられない難民キャンプで生まれ育ちながら、彼はそこで子どもたちにテコンドーを教えています。誰にでもできることではないですよね」

<イリアナ・ロドリゲス団長プロフィール>
1985年キューバ・マタンサス生まれ。生まれたときから脊髄に障がいがあり、車いす生活を送る。海に囲まれた島国で育ったため、幼いころから泳ぐことに親しむ。15歳のとき、家族でアメリカに渡り難民として生活。市民権を取得した後、水泳のアメリカ代表として2012年ロンドンパラリンピックに出場。現在は、本業である建築家としての仕事をしながら、難民のパラアスリートの支援を行っている。

edited by TEAM A
text by Reiko Shikama
key visual by Getty Images Sport

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