サッカー未経験の70歳おばあちゃんがドハマりし毎週プレー。JFAが仕掛ける「走らない、ボールを奪わないサッカー」の魔法

「サッカー=走る・ぶつかる・体力勝負」。そんな常識を根底から覆すスポーツがいま、全国で静かな熱狂を生んでいる。JFA(日本サッカー協会)が普及を推進する「ウォーキングフットボール」だ。最大の特徴は、「走らない」そして「ボールを奪いに行かない」という独自のルール。単なるシニア向けのレクリエーションかと思いきや、実はこの制限こそが、高齢者も、スポーツ未経験者も、車いすユーザーや視覚に障がいのある人も、誰もが本気になれる仕掛けになっている。
なぜ今、JFAがこの競技に注力するのだろうか。日本にウォーキングフットボールを持ち込んだ 47FA・加盟団体・普及推進部の松田薫二さんの言葉を通して、人生100年時代における「笑い合えるコミュニティ」の作り方を紐解く。
走るな、奪うな! 誰もが一緒に楽しめる「魔法のルール」 とは
ウォーキングフットボールは、その名の通り「歩いて行う」サッカーだ。元々はイングランドで誕生し、シニア世代を中心に非常に多くの人が親しんできたこのスポーツ。日本へ導入される際、日本サッカー協会(JFA)が「より安全に、誰もが楽しめるように」と独自のルールを加え、今の形へと進化させた。
通常のサッカーと比べると、環境やルールの違いは一目瞭然。まず、競技環境が大きく異なる。コートの広さは30m×20m程度と、通常のサッカー(105m×68m)の約9分の1。ゴールもフットサル用(幅3m)を使用するため、通常のサッカーゴール(幅約7.3m)と比べて半分以下のコンパクトなサイズになっていて、競技時間も前後半10分ずつ(独自ルールでさらに短くすることも可能)など、体力的な負担が少ない設定になっているのが特徴と言える。
そして最大の魅力は、本家イングランドのルールからさらに安全性を高めた、JFA推奨の独自ルールにある。
【ウォーキングフットボールの特徴的なルール】
- 絶対に走らない。目安は120〜130BPM(1秒間に2歩程度)のテンポ
- ヘディング、スライディング禁止。オフサイドもない
- プレー中のボールが常にゴールの高さ(1.2m)を超えてはいけない
- ボールを奪いに行かない(前をふさぐだけ)
- 相手にプレーさせる(相手の邪魔をせず、思いやりを持って見守る)
- その日の参加者に合わせた特別ルールをみんなで作る(ガチガチの決まりはない)
中でも「ボールを奪いにいかない」というルールは、体がぶつかる恐怖感がなくなるので、プレーヤーの心理的な安全性が一気に高まる。
さらに面白いのは、参加者に合わせた柔軟さ。歩くペースを保つために挿入歌を流したり、「今日は視覚に障がいのある人がいるから、ボールを持ったら周りは5秒間フリーズしよう」など、まるで子どもの遊びのようにその場で特別ルールを作っていくこともよくあるそうだ。
これだけ聞くと、ただ歩くだけの簡単なスポーツと思うかもしれないが、実は「止めて、蹴る」という基本技術や戦術が問われる奥深い競技でもある。だからこそ初心者は安心してボールを蹴ることができ、サッカー経験者も頭を使いながらゲームの駆け引きを存分に味わえるのだ。
日本サッカー界の課題から生まれた「受け皿」としてのスポーツ
では、なぜ日本サッカーのトップ組織であるJFAが、この新しいスポーツの普及に力を入れているのだろうか。その背景には、2014年にJFAが行った「グラスルーツ宣言」がある。これは、プロや強化育成だけでなく、「誰もがいつでもどこでもサッカーを安心安全に楽しめる環境」を提供していくという宣言だ。
日本のスポーツ界には、トップアスリートを目指す道から外れたり、年齢や体力的な理由でプレーを諦めたりした人たちの「受け皿」が不足しており、スポーツを継続することが難しいという課題があった。そんな中、松田さんは障がいのある人たちと一緒に歩いてサッカーをする機会があり、そこで「勝つことよりもみんなで楽しむ喜び」を肌で感じたという。その後インターネットで、当時でも4万人以上のシニアが楽しんでいたイギリス発祥の「ウォーキングフットボール」の存在を知った。
最初は個人的に終業後のJFAハウスで細々とテストを始めたという松田さん。やがてその輪が広がり、激しい接触を避けるための日本独自の「取りに行かないルール」を確立していった。スポーツは一部の競技者だけのものではない。サッカーから離れてしまった人や、そもそもスポーツをする機会がなかった人たちにも、一生涯スポーツを楽しめる場を作りたい。そんな強い思いが、この普及活動の原動力となっているのだ。
実は松田さん、JFAでの活動と並行して、国内にある7つの障がい者サッカー競技団体とJFAを繋ぐ「日本障がい者サッカー連盟(JIFF)」の設立にも中心人物として尽力している。今回紹介しているイベントの写真は、まさにそのJIFFが主催したもの。JFAが掲げる「誰もが楽しめる環境」という理想を、現場の垣根を越えた協力体制でリアルな場に落とし込んでいるのが、松田さんのもう一つの顔だ。
ウォーキングフットボールが生み出す心と社会の変化
ウォーキングフットボールの現場では、ルール以上の「魔法」が起きている。それは、障がいの有無や年齢の壁を越えたコミュニケーションだ。健常者と障がいのある人が一緒にプレーすることで、「声をかけてもいいのだろうか」といった健常者側の勝手な壁や偏見が自然と取り除かれ、スムーズな会話が生まれていくという。
ここで重要なのが、「忖度(そんたく)をしない」ということ。お年寄りや障がいのある人が相手だからといって、わざとシュートを決めさせたり、手加減をしたりすると、スポーツ本来の勝負の面白さが失われてしまう。「勝負が楽しいからこそ続くんです」と松田さんは語る。制限がある中で本気で勝負をするからこそ、そこに本当の楽しさと対等な相互理解が生まれるのだ。
その効果は、東日本大震災の被災地である福島県南相馬市の事例でも実証された。現地のNPO法人が運営するスポーツクラブが高齢者向けの活動としてウォーキングフットボールを導入したところ、これまでサッカーを全くやったことのなかった平均年齢70歳前後のおばあちゃんたちが参加し、「久々に笑った」「終わった後に胸がスッとする」と夢中になり、今でも毎週のようにプレーを楽しんでいるそうだ。また、有酸素運動と脳トレの要素を併せ持つため、認知症予防にも効果が期待されている。
さらに、単なる地域の健康づくりにとどまらず、多世代交流の場を広げる取り組みも進んでいる。例えば、年に数回開催されている「キリンファミリーチャレンジカップ」はその代表例。このイベントは親子3世代でチームを組んで出場できるのが特徴で、同じピッチでパスを繋ぎ、孫がおじいちゃんの懸命なプレーを応援するといった心温まる光景が広がっている。
平日の昼間に真剣勝負を。ウォーキングフットボールが描く未来
ウォーキングフットボールが目指すのは、単なる一時的なイベントではなく、地域に根ざした「日常の文化」になることだ。松田さんが理想とする未来図の1つは、平日の日中に高齢者が集まり、当たり前のようにリーグ戦で真剣勝負を楽しむような光景だという。
現在、JFAの看板を掲げた「ウォーキングひろば」の全国展開や、地域の場作りを担うコーディネーター講習会が各地で開催されている。勝負を通して仲間ができ、笑い合える居場所が近所にある。そんな豊かな地域コミュニティが、日本中に広がろうとしている。
「走れ!ボールを取りに行け!相手にプレーさせるな!という普通のサッカーとは真逆のスポーツなので、安心して参加してください」と松田さんは笑顔で呼びかけた。
ウォーキングフットボールは、「できないこと」を補い合うのではなく、「できること」を最大限に生かして全員で楽しむためのスポーツ。特別な道具も、スポーツの経験も必要ない、ただ1歩を踏み出すだけでいい。そこには、年齢も障がいも関係なく、純粋にボールを追いかける喜びと、共に笑い合える仲間がいる。ぜひ一度、その魅力を体感してみてはいかがだろうか。
photo and text by Yoshio Yoshida(Parasapo Lab)