「絶対無理」と言われた甲子園へ——部員わずか10人、ビニールハウスの練習場から始まった雪国の野球部の物語。無名の監督と選手が“ノーサイン野球”で叶えた夢

2026.07.09.THU 公開

高校野球では、冬の間に雪で練習環境が制限される北国の高校は不利、と言われてきた。高校野球100年以上の歴史の中で、北海道・東北勢が優勝を果たしたのは、2004夏・2005夏と連覇した駒大苫小牧(南北海道)と2022年夏の仙台育英(宮城)の2校のみだ。

そうした「不利」とされる雪国の環境の中で、さらなる逆境から着実な積み重ねを経て甲子園の土を踏み、注目を集めた高校がある。青森県の弘前学院聖愛高校野球部の原田一範監督は、甲子園出場を機に一躍名将として知られるようになった指導者だ。強豪校を破り、「絶対に無理」と言われた甲子園に出場を果たしたチーム作りとはどんなものだったのか、そのストーリーを本人に伺った。

部員10人からのスタート。逆境の中でも甲子園を目指して

ビニールハウスの室内練習場。よく見るとハウスの外には身長よりも高く雪が降り積もっている

2025年夏、弘前学院聖愛高校(以下聖愛)野球部は青森県代表として3度目の甲子園出場を果たした。同校は1999年まで女子高で、硬式野球部ができたのは共学となって2年目の2001年。その初代監督となった原田氏に、校長は最初、「野球に力を入れるつもりはない。そのつもりなら、あなたのような無名の人は呼ばない」と告げたそうだ。

原田監督は、小学3年生から野球を始めたものの、自身は選手として甲子園に出場した経験も、そもそも監督の経験もなく、当時は全く無名の存在だった。それでも「いつかは高校野球の指導者となって甲子園へ行きたい」という夢を叶えるため、監督に就任した。

しかしふたを開けてみれば、集まった野球部員はわずか10人。しかも野球経験者は5人で、全員それまでレギュラーを務めた経験はなかった。

加えて、周囲の反発もあった。同僚の教師の中には、飲み会の席で酒が入っていたとはいえ「人脈がないのに、どうやって選手を集めるつもりなの?」「野球部潰してやる!」と心無い言葉をかける人もいたという。

「部活は限られた活動費を奪い合うライバル関係にあり、野球部が新たにできて予算が削られることを、快く思わない先生もいたのです」

と原田監督は自身の著書の中で述懐しているが、実際、グラウンドが使えない雨や雪の日は、体育館の使用は以前からあるバレーボール部やバスケットボール部が優先され、野球部は使うことができなかった。

そこで使われるようになったのが農業用のビニールハウス。雪の多い冬の間、メロン農家の保護者の提案で、巨大なビニールハウスを室内練習場として使うことになったのだ。このように練習場所にも事欠く野球部だったが、なんと創部から13年目の2013年夏、念願の甲子園出場を果たし、一躍脚光を浴びることとなる。

泥臭く。周囲に伝わっていった監督の「本気」

冬は豪雪に見舞われるグラウンド

創部から13年で甲子園出場を果たすまでには、数えきれないほどの工夫や努力があった。その1つが選手の獲得だ。原田監督の本気の姿勢がここに現れる。

「最初は補欠や野球の素人ばかりでしたが、中学校の野球部の先生がレギュラー経験のある子たちを聖愛に送ってくれるようになったんです。地域の中学校の指導者の方の理解や応援がなければ、野球部として成り立たなかったと思います」

とはいうものの、どうやって理解者を増やしていったのだろうか。

「ドブ板戦術で、一校一校、よろしくお願いしますと挨拶をして回りました。門前払いされることも多かったですが、賛同してくれた方もいました」

さらに、部員が集まってからは、全国の甲子園出場常連校に電話をかけまくって練習試合を重ねたという。これが弘前学院聖愛高校野球部の存在と監督の熱意が知られていくきっかけにもなった。

「よく『すごいね』などと言われますが、みんなびびって電話をしないだけ。要は電話をするかしないか、ただそれだけです。そうするうちに『そんなすごい学校と練習試合をやってるの?』と、周囲にも本気度が伝わっていくようになりました。でも、もしも私が大学に進学して野球をやっていたら、こんなことは出来なかったと思います。例えば日大出身だったら日大のつながりの人にお願いしてしまって、全く関係のない学校に飛び込み営業するなんてことはなかったと思います」

何のしがらみも人脈もない無名の監督だったからこそ、「普通ならやらない」「普通はこうである」といった固定観念に縛られず、泥臭く、やれることはすべてやった。

そして、集まった選手たちとも本気で向き合った。2008年には私費で古いアパートを買い取り、自宅兼野球部寮となる「聖球館」を創設。一つ屋根の下で生活を共にし、選手たちと信頼関係を築いていった。

常識にとらわれず、良いと思ったことにチャレンジ

2025年夏、4年ぶり3回目の甲子園出場を決めた瞬間

原田監督の本気の活動で実力のある選手が徐々に集まってきたとはいえ、県内には甲子園常連の、青森山田高等学校(以下山田)や八戸学院光星高等学校(以下光星)などの強豪校がある。どちらも選手層が厚く、両校に競り勝ち甲子園に行くのは並大抵のことではなかったはずだ。

「最初は山田・光星に練習量で勝とうと思っていました。しかし、両校とも野球部は午前中に授業を受けて午後は練習をしている。一方、うちは午後も授業があり練習できるのは放課後だけなので、(量で勝つのは)物理的に無理なわけです。ですから途中から『向こうはウサギでこっちはカメだ。だったらカメが得意な海の戦いに持ち込もう』という発想に切り替えたんです」

発想を転換した原田監督は、練習量の少なさをカバーするために、普通ならば下級生がやるはずの雑用を上級生がやるようにルール化した。

「聖愛の野球部のことを一番よく知っているのは3年生。彼らが雑用をやった方が効率がよく終わるのも早いため、使える時間を増やすためにそうしたのです。上下関係のトラブルも、部で過ごした時間が短く慣れていない下級生にやらせて、うまくできないことに上級生がイライラすることで起こりがち。それであれば、雑用は下級生がやるというつまらない習慣はとっぱらったほうがいいと考えました」

これは原田監督が本で読んだことを取り入れたそうで、決してオリジナルではないという。選手集めのときと同じように、いいと思ったことはどんどん取り入れチャレンジするのが原田監督のスタイルだ。

さらに、自分たちの得意とする「海の戦い」に持ち込むために、選手一人ひとりが主体的に考えて動く「ノーサイン野球」を実施することにした。試合中、原田監督はサインを出さない。選手が自分で状況を見て、自分たちに有利な展開に持ち込めると思ったら、自分で判断して動くのだ。

「自主性」よりも「主体性」

弘前学院聖愛高校野球部の原田一範監督

この「ノーサイン野球」を可能にしているのが、選手一人ひとりの「主体性」だ。近年の教育現場を始め様々な場で「自主性」や「主体性」といったキーワードは重視されているが、原田監督は自主性と主体性は違うものだと話す。

「『自主性』は管理されている中で自分がどう動くかということ。一方、『主体性』はあくまでも主体は自分。自分から湧き出るものに従って行動するということです。

たとえば、自分はこういう人生を生きたい、将来こうなりたいという考えがあって、だから聖愛の野球部に入り、今はここでこんな練習をしていると思える子は、主体性を備えているといえます。

一方で、SNSやメディアの記事などを見て、聖愛の野球部に憧れて、ここにいれば『自分は成長できる』『甲子園にいける』『いい進路に進めるかも』と思ってしまう子もいます。それは自分で考えて動いている気になっているだけで、実際は主体的だとはいえないのです。部員たちには、主体性を野球を通して身につけてもらいたいと思っています」

選手たちの主体性を育み「ノーサイン野球」を実現するため、原田監督は選手たちに「言語化」させることを徹底した。たとえば練習試合などでは、選手たちに「今のプレーをなぜ選択したのか、どういう意図だったのか」を徹底的に問い掛ける。こうした問い掛けをする際によくありがちなのが、答える側が質問者の望むような返事をしてしまうケース。

「(自分が思ったことではなく)こちらが望むような答えをしているというのは聞いていて分かるので、その時は『そうじゃなくて、正解はないから、自分でどう思ったか言って』と質問し直します。とりあえず相手の求めることを答えればいい、ということではなくて、自分で考えどんどん言語化することを促すようにしています」

質問をし、選手がそれを言語化するのは、多くはチーム全員がいる場で行っているという。周囲の人の失敗や実践から学ぶことで、自分の力にもできるからだ。その考えから、全体に共有することも心がけている。

選手とのコミュニケーションを通して人間性を育む

2025年、夏の県大会に向けて父母会や後援会、OB会会長に激励されて、応援してくれる人あっての自分たちだということを実感する選手たち。2025年夏は3度目の甲子園出場を果たした

この他にも、雪が降り練習量が減る冬の間は1、2年生の部員と毎月1対1の面談を行う。1、2年生だけでも50人近い部員が在籍しており、面談には相当な時間を要するが、この時間をとても大切にしている。

「喋っているうちに自分でも気づけなかったことに気づけるし、声にしてアウトプットしていれば、自分の考えが整理されます。前年度は12月、2月、3月に1対1の面談をしましたが、この1ヵ月を振り返ってどうだったのか、次の1ヵ月はどうするのかといったことを聞きます。そうすると、ちゃんと自分が言ったことに責任を持って行動するようになるので、この時間はとても重要です」

監督が指示命令で選手を動かす野球から「ノーサイン野球」に切り替えてから、選手とのコミュニケーション量は10倍ぐらいに増えたという。この時間こそが選手たちの主体性を育んでいるのだ。そして、コミュニケーションにおいて特徴的なのはお互いの呼び方。聖愛野球部の選手たちはみな原田監督のことを「のりさん」と呼び、監督は選手たちを「○○さん」とさん付けで呼んでいる。そうすることで、上からの押しつけではなく、対等な会話ができるようになるからだと原田監督は話す。

野球を通して人間育成をする。その目的は最初から変わっていないと語る原田監督は、野球の面白さのひとつとしてホームベースの形について話してくれた。

「野球のホームベースは、その名の通り家を逆さにした形をしています。バッターはボールを打ったら家を出発し、1塁、2塁、3塁を回って家に帰ってきてはじめて1点になる。その間にはドリームキラー、すなわち相手の守備が『夢は叶えさせないぞ』とばかりに待っているわけです。そこを仲間がヒットを打ったりバントをしたり、コーチャーが一生懸命指示してくれたりすることで、ホームに帰ってこられる。ホームランを打たない限り、一人では家に戻ってこられないわけです。いくらドリームキラーがいても、仲間たちのおかげで自分は家に帰ってこられるといったところが野球の魅力のひとつでしょうね」


ビニールハウスで練習していた無名の弱小チームが果たした甲子園出場。その背後には、自分自身の力で考え、動き、仲間を大切にして夢を叶える選手たちを育て上げるという、もうひとつの大きな成果があった。

「スポーツをやっている人がスポーツマンシップを身につけて、それを社会に生かせたら本当に素晴らしい社会になる。そういう意味でスポーツは世直しの最高のツールだと思っています」と語る原田監督。高校野球を通して取り組む人間育成は、これからもグラウンドの内外でさらなる実りを結んでいく。

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
写真提供:弘前学院聖愛高校野球部


<参考図書>
『1年で潰れると言われた野球部が北国のビニールハウスから甲子園に行った話』
/原田一範著・幻冬舎刊

『「絶対無理」と言われた甲子園へ——部員わずか10人、ビニールハウスの練習場から始まった雪国の野球部の物語。無名の監督と選手が“ノーサイン野球”で叶えた夢』