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Sports /競技を知る
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【杉村英孝×新井大基】最高のプレーと愛ある実況でボッチャの魅力を発信! 「スギムライジング」「ビッタビタ」が紡いだ、もうひとつの東京パラリンピック物語

2021年の東京パラリンピック個人戦で日本のボッチャ史上初の金メダルを獲得し、「スギムライジング」を決めた杉村英孝。そして、NHKの中継で解説を担当し、杉村の神業のような一投を「ビッタビタ」とわかりやすく表現し、注目を集めた日本ボッチャ協会の新井大基さん。競技のスポーツとしての面白さと魅力を一気に全国区へと押し上げた。名フレーズ誕生の裏にあったエピソードとともに、2人にとっての東京2020パラリンピックと、その先に広がる変化や軌跡を振り返る。
杉村英孝|1982年静岡県出身。パラリンピック3大会連続メダリスト。日本ボッチャ界を牽引するBC2クラスのトッププレーヤーであり、日本代表「火ノ玉JAPAN」のキャプテン。現在は2028年のロサンゼルス大会を目指して強化に励む。
新井大基|1991年愛知県出身。大学4年生まで野球に熱中していた。BC3クラスのランプオペレーターとしてボッチャにかかわったのを機に日本ボッチャ協会事務局に就職。現在は普及振興部長として競技普及を担当。
合宿中に見た「オリンピック」と裏で動いていた種まき活動
――お二人にとって、東京オリンピックで一番印象に残っている場面は何ですか?杉村:やっぱり過去最多のメダル獲得もありましたけれど、個人的に一番競技として印象に残っているのは体操です。ライブでは見られなかったんですが、ボッチャも同じ有明の会場を使うこともあって気になっていて。ネットニュースで内村航平選手の落下を知ったときは絶句しました。「オリンピックは何が起こるかわからない」と言われますが、内村選手レベルでも絶対はないんだなと衝撃を受けて。一方で、金メダルを獲得した若手の橋本大輝選手の台頭があり、内村選手が「もう自分は主役じゃない」ときっぱり語っていたのを見て、過去の実績に固執しない姿勢にすごさを感じました。
新井:いや……感想すごすぎません(笑)? 杉村さん、めちゃくちゃ選手目線で見てたんですね。僕はもう全然覚えてなくて、野球やソフトボールなどをぼーっと流していたくらいで(笑)。というのも、オリンピック期間中はパラに向けた直前合宿中で、杉村さんたちとずっと一緒だったんです。夜にデイリーハイライトを見られるかどうか、という生活でしたよね?
杉村:そうだね。合宿所でみんなで観てたね。
新井:そうそう。だからリアルタイムで観る機会は少なくて。強いて印象に残っているものを挙げるなら、スケートボードですかね。活字やニュース中心でしたが、協会内で「どうやってボッチャに火をつけるか」を裏でずっとコソコソ話していました。選手がメダルを獲ったときに競技の人気が一気に跳ね上がるよう、あらかじめ種をまいておくのが僕の役割なので。メダルを獲る確信はスタッフ側にはあったので、「達成されたときにどう爆発させるか」をずっと議論していました。
杉村:へえ、なるほど(笑)
新井:結局、真面目な解説もくだけたスケートボードの解説も見た結果、「本番はアドリブでいこう」と覚悟を決めました。狙ってやったというより、普段から杉村さんや廣瀬隆喜選手と話している内容が一番面白いと思っていたので。「球を寄せたら勝ち」という従来のパブリックイメージを、普段の会話の温度感のまま伝えることで変えたかったんです。
競り勝った準決勝と「靴下を忘れた」事件
――そして迎えたパラリンピック。一番強く印象に残っている出来事は何ですか?新井:それはもちろん、杉村選手の金メダルと……あ、思い出しました!「スーツ用の靴下」を忘れてNHKの放送席に行ったこともありました(笑)。足元が映されたとき、素足に靴で完全に石田純一さん状態になっていて知人や関係者からめちゃくちゃ突っ込まれました。
杉村:新井君のテレビでの様子は、チームのグループLINEで話題になっていました(笑)
新井:まあ冗談は置いておいて(笑)、プレーとしてはやはりボッチャ史上初の杉村さんの金メダルです。それと、僕が深く関わってきたBC3ペアの初めてのメダル獲得も感慨深かった。
杉村:革の素材やボールの中身など、リオ大会以降ずっと協会スタッフや選手、パートナー企業みんなで研究開発を重ねてきたことが形になった大会でした。試行錯誤を重ねてきた積み重ねが東京大会で活きたので、やってきて良かったなと改めて思い出します。
――杉村選手にとって、一番印象的だったシーンは?杉村:試合以外で言えば、毎日のPCR検査ですね。陽性になる恐怖と隣り合わせで過ごすプレッシャーは二度と経験したくない。でも、コロナ禍という困難な状況下で世界中のアスリートが集まり、スポーツが当たり前にある日常のありがたみを実感できた大会でした。 試合で言えば、個人戦準決勝のマシエル・サントス戦(ブラジル)です。コーチと徹底的にシミュレーションを重ねて練習してきたジャックボールの位置や展開が、そのまま再現された場面があったんです。積み重ねてきたものを信じて投げきれたあの1球が最大の山場でした。決勝は驚くほど緊張せず、完全な「ゾーン」に入ってプレーできましたね。
photo by Jun Tsukida
チーム内でも「ビッタビタ!」が話題に⁉
――大会期間中、お二人で直接連絡を取る機会はあったのですか?新井:直接の連絡やLINEは一切しなかったです。集中を乱したくなかったので。ただ、全体のLINEグループで、僕がNHKに出ているときの髪型や顔をめちゃくちゃいじられました。「髪の毛がビタビタだ」とか「力士のだれかに似ている」とかコラ画像が送られてきて……。
杉村:みんなで選手村の部屋でデイリーハイライトを見ながら、そういった話で盛り上がっていたよ(笑)
新井:僕をいじることでチームの雰囲気が良くなるならよかった(笑)。でも解説者として「お前適当なこと言ってんじゃねえよ」って思われてないか不安でしたよ。
杉村:まったく思ってないよ。試合はあとで何度も観たけど、新井君が「たぶんこう来ますね」と解説で予想した通りの展開になるから、本当にすごいな、と。事前に準備していたのもあるだろうけど、何年も一緒に合宿やイベントを回ってきたからこそできる解説だったんだと思う。
新井:……泣きそうです。ありがとうございます(笑)。実は大会前に杉村さんや廣瀬さんとガチで試合させてもらうんですが、パラ直前になると2人は「別次元」に仕上がるんです。その仕上がり具合や狙い筋を体感していたからこそ、本番のプレーの意図が自然と想像できたんだと思います。
――2021年年末に『スギムライジング』が流行語大賞の候補にノミネートされたとき、新井さんは正直「そこはビッタビタじゃないのか!」と思われましたか?新井:いやいや、それは全く思わなかったです(笑)。「ビッタビタ」は僕が野球をやっていた頃の言葉(外角ビタビタのストレート、など)が出ちゃっただけですから。審査員の方も言っていましたが、「スギムライジング」という言葉と杉村さんの圧倒的なプレーのインパクトがあったからこそ、世の中に届いたんだと思っています。
杉村:ノミネートされたときは本当に驚きましたし、嬉しかったですね。「スギムライジング」はもともとリオ大会のときに記者の方が「杉村」と「ライジング」をかけて命名してくださったもので、正式な技名ではないんです。でも、これをきっかけにボッチャという競技を知ってもらえるツールになったのなら最高ですね。
杉村:イベントや学校訪問に行くと「スギムライジングの人だ!」と言われます。実演で一発で決まれば盛り上がりますが、失敗して静まり返ったときも新井君がうまく解説でフォローしてくれるので助かっています(笑)
新井:失敗したら言葉ではっきり言いますけどね(笑)。「今日は全然ダメですね」って。
杉村:メンタルが鍛えられます(笑)
――今後の目標をお願いします。杉村:ボッチャ日本代表「火ノ玉JAPAN」は、選手だけでなく家族、スタッフ、スポンサー、健常者の協力選手など、本当に多くの方々に支えられて作られています。個人としては、2028年のロサンゼルスパラリンピックを見据えて、チーム一丸で最高のパフォーマンスを追求していきます。メダルを見せたときの子どもたちの輝く目を、これからも増やしていきたいですね。
新井:障がいの有無を問わず、誰もがボッチャの奥深さに魅了されます。杉村選手をはじめとするアスリートの凄まじいプレーを、これからも最高の形で世の中に届けていけるよう、協会としても普及活動に全力を尽くしていきます!
text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda