関心度ほぼゼロ!から“カンヌ国際広告賞”を受賞するまで。 パラ卓球広報に学ぶブランディング戦略

関心度ほぼゼロ!から“カンヌ国際広告賞”を受賞するまで。 パラ卓球広報に学ぶブランディング戦略
2022.04.13.WED 公開

日本でほとんど注目されてこなかった競技「パラ卓球」をよりクリエイティブなものにし、世の中に知ってもらうために数々の奮闘劇を繰り広げてきたという、立石イオタ良二氏。一般社団法人日本肢体不自由者卓球協会の広報として活動する中、立石氏が多くの人たちを巻き込みながら精鋭のクリエイティブチームと制作した“障がいを可視化”する「パラ卓球台」が各方面で話題を呼んだ。なんと、世界有数の広告賞であるカンヌクリエイティブフェスティバルで金賞を受賞するという快挙を成し遂げたのだ。それまで関係者以外はなかなか関心をもたれなかった日本のパラ卓球が、なぜ世界を振り向かせることができたのか?その劇的なヒストリーと卓越したブランディング戦略に迫る。

リオパラリンピックで知った日本のパラ卓球の現実。たった一人の広報活動はカンヌに通ず

写真はリオ2016パラリンピック ©︎Getty Images Sports
――立石さんはパラ卓球日本代表のコーチでもあったそうですが、2016年のリオパラリンピックにコーチとして同行した際に、カルチャーショックを受けたそうですね。現地の盛り上がりが想像以上にすごく、日本のパラ卓球の現状と比較してしまったとか。

はい。現地はものすごく盛り上がっていましたね。そもそも当時の日本のパラ卓球の試合は、全日本選手権でも観客がほぼいなくて、いるのは関係者ばかりだったんですよ。リオパラリンピックでは会場が超満員で。家族連れやカップルで来ている人も多くて、選手入場ではウェーブで、試合後選手が戻る際にはスタンディングオベーション。南米やラテン系特有のスポーツを楽しむという文化ももちろんあるんでしょうけど、勝っても負けても拍手で迎え入れてくれるし、パラスポーツというものがすごくフラットに受け入れられているなと感じました。

――フラットというのは?

まず、パラ卓球はお互いに相手の障がい(弱点)を徹底的に狙います。その時には車いす選手が相手の手の届かないネット付近を徹底的に狙う巧みな技術を駆使していました。最初、会場ではそのプレーに対してブーイングが起こりました。パラ卓球を知らない観客からすれば、それはあえて相手の弱点(障がい)につけ込むような戦術なので。これが健常者の卓球だったら普通のプレーなんですけど、障がいのある選手に対して行うのはずるいと、観客は感じていたみたいです。しかし、その選手は戦術を変えませんでした。その内、観客のブーイングは拍手に変わったんです。一歩間違えるとミスとなる難しいショットを何度も繰り出せるその技術力と精神力が、すごいと。スーパープレーに対して観客が盛り上がる、それはスポーツ観戦の本質的な楽しみのひとつです。あの時、間違いなくリオの観客はパラ卓球をスポーツとして純粋に楽しんでいたはずです。それが本当に嬉しくてゾクゾクしたのをハッキリと覚えています。同時に今(2016年当時)の日本ではこのような観客の変化はなかなか難しいだろうなとも感じました。
その体験から、4年後の東京パラでもリオの観客たちのように会場を、パラリンピックを盛り上げたい!と思ったんです。アスリートたちのスーパープレーに熱狂し、パラリンピック・オリンピックというフィルターすら取っ払って、純粋にスポーツを楽しむ。この世界観を日本でも共有できたらいいと思いましたね。

日本肢体不自由者卓球協会広報の立石イオタ良二氏
――リオパラリンピックから帰国後にパラ卓球の広報活動を始めたそうですが、関心度が低い、観客がいないという絶望的な状況の中で、まずはどのように行動を起こしていったのでしょうか?

兄がパラ卓球の選手ということもあり、2014年に世界選手権大会の日本代表監督を、2015年からボランティアでスポンサーセールスをしていました。しかしリオでの経験を経て、帰国直後、パラ卓球協会の会長、理事長と話し合い、ボランティアではなく正式に業務委託契約をして協会内に広報部を立ち上げました。組織の中から変えていかないとリオで見た景色は作れないと確信し、即行動しました。
そして、一般社会におけるパラ卓球の立ち位置を確認することから始めました。どのくらいの人たちがパラスポーツに興味を持ってくれていて、実際に大会観戦やプレーを観たことがある人がどれだけいるのか。インターネットで調べて見たところ、米・ニールセン社の調べで、日本におけるパラスポーツ観戦経験者数は日本人口のたったの1%と記載されていました。
私も実際に1ヶ月の街頭インタビューで都内を周りリサーチしましたが、やはり同じような数字でした。観戦したことがある人、興味があるという人がほぼいなかったんです。その理由も聞いたのですが、「普通にオリンピック競技のほうが面白そう」、等という漠然とした理由だったんです。しかしこれはチャンスだと思いました。
パラ卓球自体にネガティブなイメージがあるからではなく、単純に観た事がないだけ、観る機会がなかっただけで、もし彼らにパラスポーツの本質的な魅力やパラアスリートの強さを伝えることができれば、必ず共感ポイントを生むことができると思いました。パラ卓球の広報活動を一過性のイベントにせず、継続的に発信しムーブメントにして伝え続けていくことができれば、必ず共感を作ることできると感じ、行動し続けました。

ネガティブからポジティブへのイメージ戦略。広がっていく「共感」の輪

――共感にもいろいろな形があると思いますが、立石さんが考える共感というのはどういったものなのでしょうか?

パラ卓球により興味を持ってもらうためには、楽しいとか面白い、カッコイイというポジティブな共感が必要だと感じていました。しかしこれまでのパラスポーツイベントの内容でそれは中々難しく、例えば足に重りを付けて片足に障がいのある選手の世界を体験するなど。重くて動きづらい、大変、かわいそう。というように「ネガティブな共感」で終わってしまいます。
もっと人が考えもしなかったようなアイディアで、パラ卓球を知らない人たちのファーストインプレッションをポジティブにしなければならないと考え、協力してくれる仲間を探し始めました。
最初の頃はいろいろな人に話しても、誰一人として「一緒にやろう」と言ってくれる人はいませんでした。2017年も試行錯誤の日々が続きました。そんな中、2018年に日本財団パラリンピックサポートセンター(現・日本財団パラスポーツサポートセンター)からのご紹介で「一般社団法人二枚目の名刺」というNPO法人との出会いがありました。「二枚目の名刺」は参加している人みんなが仕事後のアフター5や空いている時間での副業やプロボノ活動を通して、スキルを活かし社会貢献をしようというプロジェクトです。そこでパラ卓球についてプレゼンをさせていただく機会を頂きました。パラ卓球に興味を持った人たちが集まってくれていて初めて私のプレゼンが響き、自身初のプロジェクトチームを組んでいただきました。

――結成されたプロジェクトチームでは、どのようなことから始めたのですか?

先ずはチームメンバーに「パラ卓球」をしっかりとインプットしてもらうところからスタートしました。プロジェクトに与えられた3ヶ月という短い時間で、社会に何を発信するかを明確にし、全員が同じビジョンを思い描き全速力で駆け抜けることができるように。アクションとしては、パラ卓球を実際に観れるイベントを企画し、メンバーそれぞれの強みを生かし、イベントの内容を考え、場所を探しました。

原宿にて行われたイベント「パラ卓球Special LIVE」

イベントは原宿交差点すぐのビルの一階という最高の場所でイベントを実施させて頂きました。もちろん内容にもこだわりました。色んな角度からパラ卓球を知ってもらえるように、パラ卓球の凄さをリアルに実感してもらえるように「パラ卓球Special LIVE」という題をつけました。

会場に卓球台を置き、リオパラリンピックに出場した2選手にプレー(LIVE)してもらい同時にトークショーも行いました。その空間には早稲田大学のスポーツ新聞会の学生たちに取材・撮影してもらったパラの全日本選手権での写真を展示しました。1000枚以上の写真の中から8枚を厳選し、タイトルやキャプションを付けて、見る人がより引き込まれるような展示を心掛け、また油彩画家にも出演選手のポートレートを描いてもらいました。選手のリアルなプレー、試合の臨場感あふれる写真、アート作品を組み合わせ、立体感のある展示をしました。

パラ卓球をまったく知らない人たちへ向けたイベントでしたが、当日わずか5時間で600名以上のお客様が来てくれました。この経験が自信になり、今の広報活動にもすごく活きています。様々な角度から、物事の本質を伝えられたときに「共感」を持ってもらえるんだと。

――そしてそのイベントで、その後の広報活動の運命を変える出来事があったんですよね。

そうなんですよ。プライベートでご縁のあった友人でTBWA/HAKUHODO(ワールドワイドのジョイントベンチャーとして設立された総合広告会社)のプロデューサーがイベントにお嬢さんを連れて遊びに来てくれたんです。お嬢さんのすごく喜んでいる姿と、当日の人の入りや盛り上がり、高揚感を感じてくれて「パラ卓球、本当にすごくいいね。これ、一緒にやろう!」と言ってくれて。これがその後の活動における、ものすごく大きな転機となりました。

いかにクリエイターたちをワクワクさせるか? がキーになる

パラ卓球のキーヴィジュアル
――プロデューサーの「一緒にやろう!」の一言から、どうなったんですか?

やろう!と言ってくれたのはいいものの、 当時、TBWA/HAKUHODOのような大きな広告会社に広告の制作を依頼するほどの予算は全くありませんでした。どうしたら、予算のない中で大きな会社に動いてもらえるか? 戦略を練り「パラ卓球と関わりたい理由」作りをしました。パラ卓球をクライアントとすることで「東京オリパラという世界の一大イベントに関われる」(当時TBWA/HAKUHODOでは関わりがなかった)、そして「パラ卓球にアワード案件となり得る可能性を感じさせる」という2つの戦略で社内アプローチをしてもらいました。海外アワード案件となれば、本格的にクリエイティブチームを作る理由になるわけです。同時に、トップクリエイター(当時L.A.でグローバルに活躍していたクリエイティブディレクターなど素晴らしいメンバー)の皆さんへ、私が直接プレゼンする場も設けていただきました。ここでは戦術抜きで、ただただパラ卓球の魅力とパラスポーツの可能性を、必死で2時間プレゼンしました。そして、その想いに「共感」していただくことでき「パラ卓球クリエイティブチーム」が誕生しました。

――クリエイティブ制作の際に、通常とは違ったやり方をされたと伺いましたが、どんな風に進めたのですか?

まずはキービジュアルの制作を始めたのですが、クリエイターのみなさんにも実際に選手たちを見てもらったほうがいいと思ったので、合宿見学を設けました。より良いクリエイティブを創るには、関わってくれるクリエイター(仲間)をワクワクさせれるか、如何にしてモチベーションを持続してもらえるか?がすごく大事だと思うんですね。一つのクライアントワークとしてではなく、クリエイター自身が楽しいと思う仕事をやって欲しい。同時に、クリエイターと対象となる選手たちとの繋がりを作り、一つのチームにしていくことが鍵になるなと。実際に選手のリアクションを受けながらの方がクリエイターのモチベーションも上がるだろうと考えました。障がいのことや、障がいによってチャレンジしているポイントなどについても選手から直接対話してもらったんです。
パラ卓球には別所キミヱ選手という名物選手がいます。世界最高齢現役アスリートの大ベテランです!彼女と話した人はみんなファンになっちゃうんですが、クリエイターの皆さんもやっぱりファンになってくれました(笑)。パラアスリートとコミュニケーションをとっていくうちに、彼らの魅力を肌で感じ「もうこれはお金(仕事)の問題じゃないよね」「パラで今までみたことない、社会にインパクトを与えれるものを作ろう!」と皆さんのクリエイター魂が燃え上がり、心が動いたんです。

衝撃的なパラ卓球台は、どのようにして生まれたのか?

――話題となった、このユニークな形のパラ卓球台はどうやって生まれたのですか?

選手たちの想いや体験したことを踏まえて、彼らをどうリブランディングしていくか? を一度持ち帰ってクリエイターたちに考えてもらいました。私も一緒になって幾度とミーティングを重ね、様々な意見が交わされた結果、このパラ卓球台のアイデアが生まれました。
これまでどうしても、共感してもらうとなると、ネガティブな点でのアプローチになりがちだったんですが、もっとポジティブに共感してもらいたいよね、と。まだパラ卓球を知らない人にポジティブな印象を与えるにはどうしたらいいか?そもそも一言で障がいと言っても障がいの種類も様々にある、感じている世界がそれぞれ違うんだ、というようなキーワードも出てきて、そこからそれぞれの障がいを可視化できないか?障がいをデザインという表現で伝えることができたら、というアイデアが出て「それ、めちゃくちゃ面白い!」となったんですよ。そのアイディアを元に「あなたから見える卓球台はどんな風に見えますか?」と選手21人分全員にヒアリングして、実際にその場でスケッチしてもらいました。

そのアイデアが進む中で「実物の卓球台を作りませんか?」と提案したんです。パラ卓球選手が障がいがありながらチャレンジしている世界が実物となり、それを体験できたらヤバいね!実現したらワクワクするよね!!とチームみんなで盛り上がりました。三英(オリンピック・パラリンピックの卓球台を作っている卓球台メーカー)の三浦慎社長が大学の先輩でもあり、以前からご縁もあったので、即アポイントを取りプレゼンさせて頂いたところ「是非やりましょう」と。とんとん拍子に話が進みました。

TBWA/HAKUHODO社内でも、このパラ卓球台プロジェクトが高い評価を受け「アワード案件」となりました。そこからチームの人数もぐんと増えました。「パラ卓球クリエイティブチーム」が実質的なWin-Winを創り出せるパッケージとなり、全てのことがちゃんとハマっていくような形になったんです。

一過性ではなく、ムーブメントにするために。ソーシャルイノベーションへのアプローチ

小学校でのパラ卓球授業の様子
――現在、パラ卓球を通していろいろなプロジェクトを展開しているそうですが、小中学校の学級文庫のプロジェクトなども行っていますよね。これはどういったきっかけでスタートしたのですか?

まず、広告で世界的な賞を受賞するには、単純にかっこいいクリエイティブを作るだけではダメなんですね。一時的、平面的なものではなく、ソーシャルイノベーションを起こしていかないと受賞できないだろうと。そこで、教育分野へのアプローチを考えました。もちろんアワードのためというだけではなく子どもたちへのアプローチは絶対にやりたいと思っていました。
大学卓球部の同級生が小学校の教員だったので交渉し、パラ卓球台を使った体験型D&I教育の出前授業を実施させて頂きました。パラ卓球台は予想以上の大成功でした。子どもたちが視覚的に感じ、五体満足の状態で障がいへのチャレンジを実体験したことで「共感」が生まれました。授業終了の挨拶が終わった瞬間に車いす選手目掛けて子どもたちが駆け寄り「ラケット見せて!」「車いすを見せて!」等、大人気で。子どもたちは、選手のすごさを純粋に理解してくれたんですよ。正にパラアスリートが「ヒーロー」になった瞬間でした。

子どもたちも興味津々

教育へのアプローチに加え、人の集まる商業施設、区役所等パブリックな場所での展示やイベント、スポーツ庁長官室にも持ち込み、お墨付きを頂きました(笑)。その一連をアワード用のケースビデオにまとめていきました。また、最初に取り組んだかっこいいビジュアルと、パラ卓球台のコンセプトとビジュアルをまとめて、それぞれリーフレットを作り、小中学校に学級文庫として導入して行きました(2019年)。
私の中で、2018年の時点で、オリパラ効果に頼り過ぎないマーケティング政策を考え始めるようになっていました。社会に求められる価値を創り出し、東京パラリンピック後に企業スポンサー様に継続契約をしていただく理由を作らなければならない。そう考えたときに、SDGsやESGを実現できる事業やコンテンツ作り、教育に活かせるコンテンツを企画していくべきだと考えていたんです。

――その上で、学級文庫でのアプローチにはどのような意味があるのでしょうか?

学級文庫にパラ卓球のパンフレットを置いておけば、義務教育の9年間のうちにきっと一度は子どもたちが手に取って見るんじゃないかと。幼少期のうちに障がいをインプットすることで子どもたちの感性を養い、10年後その子たちが企業人になったときに、もしかしたらパラ卓球(もしくは障がい者)との接点が訪れるかもしれない。その時パラ卓球を知っているか否かでは全く違うと思うんですよ。もしそれがパラ卓球からプレゼンを受ける立場だったとしたら……。潜在的にパラ卓球をインプットしていくことは、パラ卓球が特別ではなく当たり前に知っているものとなる。教育にアプローチすることは未来に向けての種まきであり、マーケティングになるんですよね。
同時に、学級文庫ほど多くの子どもたちにリーチできる媒体はないですから、例えば教育ビジネスをされている企業の広告媒体ともなり得るし、SDGsを推進したい企業にとっても良質なコンテンツとなり、やはりパラ卓球だからこそ創れるマーケティングになるわけです。 オリパラでの一時的な盛り上がりではなく文化として日本に根付かせていくには、続けていくための資金も必要ですから、こうしたスポンサー企業様とのWin-Winの関係を考えていくことも、とても大事だと思います。

広告界における世界最高峰の賞を受賞! 実現させた圧倒的な“巻き込み力”の源とは

2019年のカンヌクリエイティブフェスティバルで金賞を受賞!(写真は総務大臣賞ACC)
――そして2019年、パラ卓球台は見事にカンヌクリエイティブフェスティバルで金賞を受賞して、まわりのパラ卓球を見る目をガラリと変えることに成功しましたね。

僕は、クリエイターのみなさんに、ずっとモチベーション高くやり続けてもらうために、共通認識・最高水準目標として「カンヌでゴールドを取りましょう!」と言い続けました。でも実はその当時、僕はカンヌライオンズというアワードをいまいち理解していなくて。だからこそよかったんだと思いますけど(笑)。 結果的に、世界中のクリエイターたちが何年かけても目指していく世界最高峰、カンヌライオンズでゴールドを受賞することができました。そして最終的には世界中のアワードで合計50の賞を受賞しその年の最多受賞プロジェクトだったと聞きました。カンヌを含む世界三大広告賞のニューヨークやロンドンのクリエイティブアワードでも受賞することができました。東京2020大会の開催のタイミングも大きかったですが、これは僕自身の力ではなく、本当に全力で関わってくれた全ての皆様のお陰ですね。

ご兄弟であるパラ卓球の立石アルファ裕一選手と一緒に
――カンヌで金賞受賞までみんなを引っ張っていった立石さんのまわりを“巻き込んでいく力”、そのエネルギーはどこから来るのでしょうか?

大事にしているのは 「情熱と信念と覚悟」ですね。これをブレずに持ち続けていれば最終的に勝つと思うんですよ。仕事でもなんでも。そして楽しむこと。なぜこの気持ちをパラ卓球に持てたかというと、やはりパラ卓球の選手である兄の存在が大きいです。パラ卓球に関わることによって大切なことを学ばせてもらったし、クリエイティブチームに入って学ぶことで、広告とは何か、クリエイティブとは何かを最高の場所で学ばせてもらいました。その過程を自分自身も本当に楽しんでいた。兄がいなかったらこの世界にいなかったし、卓球もやっていなかったかもしれない。卓球を自分の想いだけで続けていたら、こういう世界にはいなかったと思います。人に恵まれたからこそできたことですね。


カンヌ金賞受賞という快挙を成し遂げ、パラ卓球をより多くの人に知ってもらうことに成功した立石氏。「情熱と信念と覚悟」と大切な人への想いをモチベーションとして持ち続け、クリエイターたちがワクワクする出来事を提供し、お互いWin-Winとなるような状況を作り出すことが重要だと教えてくれた。そして人との出会いをチャンスとして、多くの人を巻き込んでいくことが成功の秘訣だとも語ってくれた。後編は、立石氏のブランディングスキルがいかにして養われたか、その源となった家業の額縁屋での経験による本質の深掘りする方法についてお伺いする。

後編はこちら↓
パラ卓球をカンヌ金賞へと導いた、これからの時代にマストなブランディングの考え方
https://www.parasapo.tokyo/topics/99530

text by Jun Nakazawa(Parasapo Lab)
photo by Takeshi Sasaki, 日本肢体不自由者卓球協会

『関心度ほぼゼロ!から“カンヌ国際広告賞”を受賞するまで。 パラ卓球広報に学ぶブランディング戦略』