パラ陸上“師弟対談”。アジア記録保持者・兎澤朋美が金メダリストから学んだマインドセット

2022.12.27.TUE 公開

10年前、下肢切断者のための「オットーボック ランニングクリニック」は、パラリンピック陸上競技の金メダリストであるハインリッヒ・ポポフ(ドイツ)指導のもとで始まった。現在、世界各地で開催されているこのクリニックだが、2017年に東京で行われたクリニックでポポフ氏に出会い、その情熱に導かれるように成長を遂げたのが、東京パラリンピック日本代表の兎澤朋美だ。この度、実現した師弟対談では、かつて世界記録を保持していたポポフ氏と100mと走り幅跳びのアジア記録を持つ兎澤のまるで家族のような関係、パッションに溢れたポポフ氏とパッションを秘めた兎澤の前に進み続ける原動力に迫る。

ハインリッヒ・ポポフ  Heinrich Popow
カザフスタン生まれ。7歳で家族とともにドイツに移住。8歳のとき、左ふくらはぎの腫瘍により膝関節から切断。13歳から陸上競技を始め、2004年のアテネ大会でパラリンピック初出場、100m、200m、走り幅跳びで銅メダルを獲得。2008年の北京大会では100mで銀メダル、2012年のロンドン大会は金メダルを獲得。2016年のリオ大会では、走り幅跳びで山本篤との名勝負を制し、金メダルに輝いた。2018年に競技から引退。陸上競技の指導や競技用義足の普及などを行っている。
兎澤 朋美(とざわ・ともみ)
10歳のときに骨肉腫が原因で左大腿部を切断。高校時代、日体大に設立された日本財団パラアスリート奨学金制度を知り、同大学に入学。同時に陸上競技を本格的に始める。2019年の世界パラ陸上選手権の走り幅跳びで3位になり、初のパラリンピック出場権を掴むと、東京2020大会では、走り幅跳びで4位、100mで8位に。2021年3月に日体大を卒業し、現在は富士通に所属。パリ2024大会で活躍が期待されるトップアスリート。2023年は年女(うさぎ年!)。

出会いはランニングクリニック

兎澤朋美(左)とハインリッヒ・ポポフ(右)
――ふたりは2017年に出会い、その後、ポポフ氏が日本代表コーチとして兎澤選手の試合でアドバイスを送ったり、兎澤選手がポポフ氏の拠点であるレバークーゼン(ドイツ)に単身赴いて練習に励んだりと師弟関係は続いています。まず、お互いの第一印象を教えてください。

ハインリッヒ・ポポフ(以下、ポポフ) トモミは最初、本当におとなしかったよ。

 

兎澤朋美(以下、兎澤) ポポフはリオパラリンピックの金メダリストですから、私にとっては『テレビの中の人が現実にいる!』 、『あのハインリッヒ・ポポフ選手が日本にいる!』という感じでしたね。

取材は10月末に、ランニングクリニック2022の会場(東京大学 駒場キャンパス)で行った

ポポフ 才能のある子だなというのが、2番目の印象。『才能がある』と『おとなしい』の組み合わせは最悪なんだよ。トモミはあのとき、ハローも言わなかったよね(笑)

兎澤 うそうそ、ちゃんと言いましたよ!

ポポフ そうだっけ(笑)とにかく、トモミはもっと自己主張をするべきだと思って、トモミに積極的に話しかけることにしたんだ。やはり国際舞台では、自分だけに集中して『私はここで見せるんだ』という強い自己主張で挑まなければ負けてしまうことがあるから、世界のトップを争う選手になるために変わらなきゃいけないと思った。

自身を「チャレンジピープル」というポポフはまさに情熱の人だ

兎澤 いつも『アグレッシブになれ』と言われています。

ポポフ ほら、英語もどんどん上達しているし、今はいい意味でうるさくなった。クリニックでは参加者だったのに今ではコーチの役割を担うまでになってくれて僕は本当にハッピーだよ。

(編集注:対談中、ポポフ氏の問いかけに兎澤選手は英語で返答。兎澤選手は、保育園時代の友人の母親が英会話教室の講師という縁があり、小1から高校まで英語を習っていたそうで、英語が堪能です!)

兎澤 初めてクリニックに参加した大学1年のとき、まだ陸上競技を始めたばかりで海外の選手と触れる機会もなかったですし、ポポフのパッションも感じた。技術面でも、義足だけではなく、健足のフォームを意識することなどを指導してもらい、今振り返ってもポポフからいろいろな刺激をもらったと思います。

2017年に「参加者」だった兎澤は2019年に「アシスタント」になり、現在は「コーチ」に。「他の人に教えることで自分も学ぶことができます」

かわいい子には旅をさせよ

――当時、同じ障がいの選手と練習する機会の少なかった兎澤選手にとって、同じ左大腿切断のポポフ氏の“すべて”が参考になり、記録向上に直結していたわけですね。

ポポフ トモミが『才能のある子ども』から『オープンマインドを持つ大人』に成長したのをよく覚えているよ。彼女が20歳くらいのときかな。

兎澤 私にとって2度目のドイツ遠征のときの話ですね!

ポポフ そのときは、非常に申し訳なかったんだけれど、空港に迎えに行ってあげることができなくて。空港から目的地まで約3時間の道を、トモミは1人で電車とタクシーを乗り継がなければならなかったんだ。トモミはすごく不安そうだったよね。

兎澤 途中で電車を乗り間違えちゃったんです。

ポポフ でも、トモミはちゃんと自分で電車を乗り換えて練習場所があるレバークーゼンにたどり着いた。このことが彼女を一層成長させたような気がするよ。ドイツのトップ選手にも同じことを伝えているんだけど、コーチはアスリートをあるレベルまでは引き上げることができる。でも、それ以降、どうしても自分で越えなければいけない部分があるから、個人の成長のためにできるだけ自分でできることは自分でやらせているんだ。そういう積み重ねが、ここぞという試合でのメンタリティにつながると思うからね。

走り幅跳びと100mでアジア記録を持つ兎澤。「ポポフは競技以外の立ち振る舞いの部分もアドバイスしてくれます」
――「かわいい子には旅をさせよ」ということですね。

兎澤 ポポフは空港に迎えにこそ来なかったけれど、私の便が空港に到着する時間はちゃんと把握していて、ドイツに降り立った瞬間くらいに電話をくれました。『大丈夫か?』って(笑)

ポポフ たしかに、ときどきは少し引いたところから見守って、若い選手がミスをするように仕向けているんだ。やっぱり心配はしてしまうけれど、それはなるべく見せないようにしているつもり。

兎澤 ときどき、ポポフの優しさには気づいています。

義足のセッティングについてポポフに相談する兎澤
――素敵な関係性ですね。兎澤選手にとって、ポポフ氏はどんな存在ですか。

兎澤 お兄ちゃんに近い感じかもしれません。ポポフは忙しく飛び回っているので、実は頻繁にSNSで連絡を取り合うというわけではないんです。でも、本当に必要な時に手を差し伸べてくれるんです。

ポポフ SNSで返信を書くのは苦手だし、夜は疲れて既読のまま寝ちゃうことが多いかな(笑)でも、重要だと思ったら、電話をするかボイスメッセージを送るよ。

兎澤 ボイスメッセージは車移動中に吹き込んでくれているみたいで、いつも車の騒音が聞こえます(笑)

多忙なポポフ氏に連絡すると、たいてい「車か飛行機かミーティング中」だという。いろんな分野の人と対話をして「障がい者にとって素晴らしい未来をつくるために戦っている」
――ポポフ氏が兎澤選手に期待することを聞かせてください。

ポポフ トモミはすごく成長している。今後に向けて、もっと自分を信じ、どんどん進んでいってほしいと思う。日本人はやはり島国の文化なのか、対外的ではないところがあるが、トモミなら国際舞台で活躍する人になれるのではないか。日本のいいところをもっと世界に紹介して広げたり、各国との接点をつくるアンバサダーみたいな役割を担ったりするのもいいよね。
あと、もう一つ、日本ではトモミに続く次世代のアスリートがいない。だから彼女に必要なことは次世代アスリートの育成だと思っている。これは彼女もよくわかっているはずだけど、次世代の育成はパラリンピックでメダルを獲ったり、試合に勝利すること以上に大切で誇らしいことなんだ。

兎澤 はい。ポポフからは立ち振る舞いや環境を整えることも大事だと学びました。
試合で『もっと自分に自信を持て』というのは、ポポフから本当にしょっちゅう言われること。マインドセットの仕方は、競技の中の技術以上に、ポポフからかなり影響を受けている部分です。いい方向を探りながら、進んでいければと思っています。

text by Asuka Senaga
photo by Haruo Wanibe

『パラ陸上“師弟対談”。アジア記録保持者・兎澤朋美が金メダリストから学んだマインドセット』