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Sports /競技を知る
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「世界一のセンター」になって連覇へ。ゴールボール男子日本代表・行弘敬祐の素顔

ブレイク必至のスター候補を紹介するシリーズ“TOP PROSPECT(有望株)”。今回は、2028年のロサンゼルスパラリンピックで連覇を目指すゴールボール男子日本代表の新鋭・行弘敬祐(ゆくひろ・けいすけ)選手です。コート上で静かな闘志を燃やす攻撃型センターが、世界の頂点を目指して覚悟の挑戦を続ける――。そのひたむきな姿と、探求心あふれる素顔に迫ります。
行弘 敬祐(ゆくひろ・けいすけ)|ゴールボール
1999年福岡県生まれ。大学1年時にレーベル遺伝性視神経症と診断され、2019年にゴールボールを始める。2022年4月より強化指定選手。高身長を活かした広範囲の守備でウイングの負担を減らし、速攻からの力強い投球で得点も狙う攻撃型センター。パーソルテンプスタッフ所属。好きな色は黄色と青。
縁がつないだゴールボール日本代表への道
――太宰府天満宮をはじめとする歴史ある福岡県太宰府市の出身。どのような子ども時代を過ごされたのでしょうか?行弘敬祐(以下、行弘):太宰府と言っても、山や川があってイノシシやサルが出るような自然豊かな場所なんですよ。公園もたくさんありましたし、地域の方が昔ながらの独楽やメンコで遊ぶサークルを開いてくれたりして。それに歴史的な建造物も身近にあったので、昔の文化に触れる機会はすごく多かったですね。
とくに印象に残っているのが、近所で新しい建物を建てる前の発掘調査です。横倒しになった大昔の木が埋まっていたり、土器の破片が出てきたりして、歴史的なものを間近で見られたのはすごく記憶に残っています。高校や大学の頃は博多や天神に遊びに行ったりと便利な場所でもありましたし、東京に出てきて改めて故郷の良さを実感しましたね。
行弘:昔からスポーツに熱中していたかと言われるとそうでもなくて、実はかなりの飽き性なんです(笑)。小学校で空手をやって、中学校ではテニス部。高校はスポーツ強豪校の東福岡に進学したんですが、どうしてもスポーツがしたいという理由ではなくて、なんとなくバスケットボール部に入りました。バスケ部以外はとにかく強豪ばかりだったので……。
――ゴールボールを始めたきっかけと競技の魅力について教えてください。行弘:18歳で視覚障がいになり、自立訓練のセンターに通っていたんです。そのときに職員の方から「こういった競技があるよ」と勧めていただいたのがきっかけでゴールボールを始めました。実はその方が、現在ヘッドコーチを務めている工藤力也さんの奥様だったという縁もありまして。そういったつながりでゴールボールを知り、今に至ります。
魅力は、目隠しをした状態での「音の駆け引き」、そして勢いのあるボールで相手を弾き飛ばして点を取ったり、逆にその強いボールを体全体で止めにいったり……他にはない迫力があります。見えないからこそ、仲間の息遣いや動きの音で「あ、今疲れてるな」とか「ちょっとイライラしてるな」というのが同じチームだと感覚で分かってくるんです。そうやってみんなで勝ちを掴み取れるのが最高ですね。チーム競技でありながら個人のベストパフォーマンスの掛け合わせという個人プレー的な要素も強くて、そこが僕にとってすごく面白いと感じるポイントです。
行弘:大学時代に視覚障がいであることが分かり、将来の仕事に対する不安もありました。そんな中、ご縁があって大手化粧品会社に就職が決まりました。入社決定後にゴールボールの強化活動をすることになったのですが、幸いにも配属先が競技の強化拠点と同じ東京になったことで競技を継続できたんです。もし地方配属だったら辞めていたかもしれません。その後、本格的にアスリートとして上を目指すために転職を決意しました。仕事は大好きでしたし前職には今も感謝していますが、「世界で活躍できるチャンスに挑戦できるのは、自分の年齢的にも今しかない」と思ったからです。ちなみに、化粧品業界にいたこともあって当時から美容にはこだわっていて、今でも遠征には使い切りタイプの化粧水や美容液を必ず持参していますよ。
――オフの日は「時間がもったいない」と予定を詰め込むタイプだそうですね。趣味も多いのでしょうか?
行弘:アニメや映像作品を見るのも好きなんですけど、一番の趣味と言われたらNBA(バスケットボール)観戦ですね。日本選手だと河村勇輝選手や八村塁選手をよく応援しています。
――世界のトップ選手のプレーや姿勢が、ご自身の競技につながることも?行弘:そうですね。トップに君臨し続ける人たちは、いろんな壁を乗り越えてさらに上にいる気がしていて、「その思考って何なんだろう」ってすごく気になります。本よりYouTubeのインタビュー動画をよく見るんですが、英語の動画だと字幕が見えづらいこともあるので、AIに「これはつまりどういう意味?」って翻訳してもらいながら深掘りしています。海外選手の言葉を聞いて「確かに!」って感銘を受けることも多いですね。
たとえば、NBAのラッセル・ウェストブルック選手が「僕は疲れないんだ」とコメントしていて。「なんでですか?」と聞かれた彼は、「疲れないと決めたからさ」って答えたんですよ。アスリートって疲労度管理が大事で、僕も世界選手権に向けて体や心の調整をしてきました。でも「疲労」と一言で言っても、精神的なものや神経の疲労などいろいろあって、自分で「疲れた」と思い込むこと自体が脳や身体に疲労を認識させてしまうんですよね。「疲れないと決める」という彼のマインドはすごく勉強になりましたし、自分を追い込む時期の意識作りとして、とてもいいエッセンスになっています。
世界の舞台で感じた意識の変化
――現在、強化指定のセンタープレーヤーは3人。二番手として日本代表に選ばれた今年6月の世界選手権では悔しくもロサンゼルス2028パラリンピックの最初の出場枠を逃しましたが、次の予選に向けて確かな手ごたえがあったようですね。行弘:相手の強力なボールや高いバウンド、速い球に対しても、失点こそありましたが、技術的に「速すぎて手も足も出なかった」という感覚はなかったんです。だからこそ、あとはメンタリティをどう鍛え上げるかだなと感じました。試合に出る以上、「世界一の選手である証明をしに来た」くらいの強い気持ちがないと勝ち抜けない。世界選手権を通じて、そのメンタルの部分で一皮むけた感覚があります。
実は以前の僕は、「自分がベンチにいても、チームが勝てばそれでいい」と思えるタイプだと思っていたんです。でも、大会を経て「自分はそうじゃなかった」と気づきました。試合に出場できない時間は強烈な悔しさを覚えたし、スタメンに選ばれる存在にならなきゃダメだと強く思ったんです。
個人競技的な側面もあるからこそ、「自分が原因で負ける覚悟」「自分が失点してチーム全員に負けを背負わせてしまう覚悟」を持たないと、本当の意味で勝利の喜びを味わうことすらできないんだと痛感しました。いつまでも二番手に甘えるつもりはありません。スタメンを勝ち取るために、自分自身が「日本一、いや世界一のセンターだ」と信じ続けなきゃいけない。初めての世界選手権は、そう思えるだけのメンタリティを大きく成長させてくれた貴重な大会になりました。次の国際大会では、中心メンバーとして勝利に貢献する存在になりたいです。
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練習後の帰り道に音楽を聴きながらプレーを振り返るのが習慣になっているという行弘選手。自分自身を超えようとに挑戦を重ねるその先に、世界一への道はつながっていく。
text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda