心が震える! スポーツ・ノンフィクション作家から見たアスリートの真の姿

2021.07.26.MON 公開

スポーツには、プレーする楽しみ、見る楽しみ、支える楽しみがある。実はさらにもうひとつスポーツの楽しみ方があるのはご存じだろうか。それは選手の人生を読む楽しみ。 読むと言っても、スポーツのニュースやネットの情報ではなく、作家が描くスポーツの世界。当事者ではなく、第三者が見たリアルなスポーツを浮き彫りにし、命をかけたアスリートの人生に触れ、自分の生き方と重ね合わせることができるスポーツ・ノンフィクションのことだ。

小松成美さんは、日本のサッカー界のレジェンド・中田英寿を10年間取材して2冊の本にまとめるなど、スポーツ・ノンフィクション作家と言えばすぐに名前の挙がる作家。その小松さんに、作家から見たアスリートの世界、自らを惹きつけて止まない彼らは、いったいどんな存在なのか、私たちの知らない彼らの真の姿について語ってもらった。

中田英寿はなぜすぐにピッチを降りられなかったのか。その瞬間を書きたかった

The FIFA World Cup Germany 2006 Group F match between Japan and Brazil. ©️Getty Images Sports

小松さんが中田英寿氏を取材してまとめた2作目の作品『中田英寿 誇り』は、2006年ドイツで行われたサッカー・ワールドカップの予選、日本対ブラジル戦のシーンから始まる。この試合で日本は敗退し、直後中田氏はプロサッカー界からの引退を発表。日本のみならず世界中に大きな衝撃が走った。小松さんに中田氏が引退する決意を固めたことが知らされたのは、W杯の約3ヵ月前。1996年に初めて取材で出会ってから10年、彼を追い続けていた小松さんの驚きは想像に難くない。
『誇り』には、その最後の試合の内容、負けた直後の中田氏の様子などがつぶさに描かれている。

しかし、無理だと諦めてしまえば積み重ねてきた戦いが無意味なものになってしまう。これまで、どんなに無様な試合であろうとゲームオーバーの笛が鳴るまでは諦めずにきた。そう自負している中田は、醜態をさらそうとも走らなければならなかった。敗者であることが覆らない今、自分にだけは負けるわけにいかなかった。 (小松成美著『中田英寿 誇り』幻冬舎文庫より)

こののちブラジルにあえなく敗れ、試合が終了した後、中田氏はピッチに仰向けに倒れ10分以上も立ち上がれなかったという。

「中田さんはあのとき、まだまだ活躍できるのに、自分から降りて現役というドアを閉めました。でも、それが悲しくて悲しくて、ピッチから出られない。ピッチに倒れたまま何十分も涙を流し続けていました。そんな彼の気持ちを知らない人は、“また中田はパフォーマンスをしている”とか、“イタイ”などと言います。スタンドで瞬きもせずに見ていた私にとってそれは、中田英寿というトップのサッカー選手の命の潰える瞬間でした。彼や、その他のアスリートも同様ですが、彼らのそうした瞬間こそ実は貴い。もちろん金メダルを取ったり、世界記録が出たりした瞬間も感動しますが、私はあのような瞬間こそ書くべきテーマであるなと思いました」

『誇り』に描かれる、自らサッカー選手としての人生に幕を下ろす中田氏の孤独と決意。それを知って驚き惜しみつつ、彼の意思を尊重しようとする周囲の人々の様子には思わず感情移入して、緊張で鼓動が速くなるのを感じた。それは、小松さんが覚悟を持って彼らの本質に迫り、渾身で作品にしたからだろう。まるでその場にいるかのような臨場感に包まれ、心が震える内容だった。

どんなアスリートにも語りたいメッセージがある。それを受け取り伝えるのがスポーツノンフィクション

©︎Shutterstock

小松さんが中田氏の話を初めて聞くことになったのは1996年。夏に開催されるアトランタオリンピックへの出場を控えるサッカー五輪代表選手の誰かを取材することになり、中田氏を取材したいと思ったのだそうだ。当時中田氏は19歳。チーム最年少で実力はもちろん、少々生意気とも取られるような発言で注目されることも多かった。

人を食ったような大胆発言が大好きでした。けれどメディアは彼を宇宙人などと呼んで異端児扱いします。それでも何を言われようが、彼はどんなときもブレずに、自分の言葉で自分の考えを伝えていました。ユニークな想像力と、自分らしさを貫こうとする強烈な個性、そして、サッカー選手としての類い希な資質。それを感じていた私は、彼をインタビューしたいと考え、編集部に伝えました。(小松成美著『対話力 私はなぜそう問いかけたのか』ちくま文庫)

当時中田氏はマスコミ嫌いで、インタビュアーと意見が食い違うと取材の途中で席を立ってしまうなど、メディアからの評判は決して良くなかった。もちろん小松さんもその悪評は知っていたので、インタビューの冒頭で、「もしこんなこと話したくないなと思ったら、怒って席を立つ前に、何か合図を送ってください」と頼んだのだそうだ。しかし、彼はそれを笑い飛ばし、真摯に小松さんに向き合ってくれたのだという。

「アスリートに限りませんが、私がインタビューするときにいつも思っているのは、人には必ず語りたいことがあるということ。そう信じていて裏切られたことは今まで一度もありません。どんな方でも、必ずその胸には語りたいメッセージがあって、それを伝える人、機会を探しているのだと思います。もし、それができないのだとしたら、機会が作れなかったこちらの責任、伝え手になれなかった私の責任なんですね」

日本が世界に誇る野球選手イチローの場合もそうだった。彼は過去、インタビュアーに不信感を持ったことから、取材を受けないというスタンスを取っていた。しかし機会があって話を聞くことになった小松さんは、「どうして、イチローさんは、こんなにヒットを打てるのですか?」と聞いたのだという。あまりにもシンプルすぎる質問に、イチロー氏は相当戸惑ったことだろう。しかし、目の前にあったコーヒーテーブルをどけ、小松さんをそこに立たせながら、自分がバッターボックスに立ったときの動き、何を考え何を見ているのかを説明してくれたのだそうだ。

「私はインタビューをするとき、男女の違いや年齢など関係なく、全て取り払ってこの瞬間に生きる同じ人間として向き合うことにしています。そうすれば何も怖いことはありません。イチローさんはどうしてそんなに打てるんですか? どうしてヒデだけそんなにパスが出せるの? 野茂さんは、あんなに変わったピッチングフォームを変えようと思ったことはないんですか? と。それは一人の人間として知りたいことだから聞くんです」

お正月恒例の箱根駅伝。往路最後の5区は、「山登り」と言われ小田原の中継所からゴールまで標高差約860mを一気に駆け上がる苦しい区間。東洋大学在学中に4年連続区間賞に輝き「山の神」と称えられた柏原竜二氏も、マスコミ嫌いと言われたアスリートの一人だった。

「柏原さんは、自分は毎日どこかしら体に痛いところがある本当に弱い人間で、マスコミの方はそんな弱い人間に興味ないでしょ? とおっしゃいました。でも、私はそこに興味があるんです。それが聞きたいんですと言ったんです。すると彼はそれまでの固い表情から一転して笑って、貧しかった家のこと、陸上を辞めようと思った時のことなど、プライドの高い彼からは信じられないようなことをいろいろ語ってくれました。私は相手には書かれる側の覚悟を強いているわけですから、こちらも覚悟を持ってきちんと向き合わないといけないと思っています」

作品に“真の姿”が映し出されるのは、アスリートと作家が“覚悟”を持って対峙するから

©︎Shutterstock

ところで、誤解のないように説明しておくと、アスリートが自分の名前で著書として世に出す本と、小松さんが取材をして文学作品として出す本は、性質が全く異なる。前者は、たいていは構成者がいてアスリートに話を聞き、一人称で私は~、僕は~などという形で語るが、後者は第三者が誰々は~という形でまとめる。だから、当然本人が知らない周囲のエピソードなども出てくるし、本当は隠しておきたいと思ったことも書かれてしまう。小松さんが「書かれる側の覚悟」と言ったのはそういうことだ。

たとえば、中田氏のイタリア・セリエAへの移籍にまつわる一連の出来事をつづった長編『鼓動』には、中田氏がイタリアのペルージャというチームに入団したばかりの頃、日本から来た取材陣に苛立ち、取材を受けない彼に不満を募らせた一人のカメラマンが叫んだひと言「取材を受けろよ!」に、「帰れ、虫けら!」と怒声を上げたことが描かれている。その原稿を読んだ中田氏は、小松さんの不安をよそに、1行も削ってほしいとは言わなかったそうだ。

確かに、彼はコミュニケーションや自己表現が巧みではなかったかもしれません。むしろ、周囲との関わりに苦しんでいたでしょう。彼にはプロなら互いに意見を激しく戦わせることもいとわない、という信念がありました。強い言葉がときに誤解を生む結果になっていたと思います。(中略) だからこそ、中田さんの個としてのあり方に尊敬を抱くことになります。絶対曲げられない意思があるなら、そのときは孤独を恐れず、声を上げる。その覚悟を私は彼から教えられました。(『対話力 私はなぜそう問いかけたのか』より)

作家が覚悟を持ってそのアスリートに対峙するからこそ、アスリートも覚悟を持ってそれに応える。だからこそスポーツ・ノンフィクションは熱いのだ。本人しか知り得ない世界を、いや本人さえ知らない真実をも私たちに見せてくれるのだから。

私がスポーツ・ノンフィクションを書き続ける理由

小松成美氏 ©︎Shutterstock

小松さんは、最初からライターの仕事をしていたわけではない。大学を卒業後広告代理店で勤務していたが、体調を崩して退社。医師に病気の原因であるストレスを減らすようにと言われた小松さんは「自分の意思だけで生きなければいけない、そういう環境に自分をおこう」と、「書く仕事」を志すことになる。その時思い浮かんだのが10代の頃に感動を覚えながら読んだ沢木耕太郎氏の『敗れざる者たち』や山際淳司氏の『スローカーブを、もう一球』など、スポーツ・ノンフィクションの名作の数々だった。こんな作品を書きたいと、人づてに会いに行ったスポーツ総合雑誌『Number』の編集長から、幸運にも連載の仕事をもらうことになった。

「私がこの仕事を始めた1990年代は、ちょうど日本のスポーツ界が大きな変化をした時期でした。野茂選手のアメリカ・メジャーリーグへの移籍を初めとして、日本のスポーツの価値を高めるような選手が国際舞台で活躍するようになり、ある意味嵐が吹いていた時代だったんです。日本のスポーツ界はものすごく高揚していたし、アスリートの世界が一気に拡張している。彼らは自分の肉体を極限まで鍛え、ストイックに生きていますが、それを話したり、活字にするのが仕事ではありません。だから私が彼らの思いやパフォーマンスを伝えていこうと、それが私の仕事なんだと思って書いていました」

アスリートの言葉の数々を豊かな表現で文学作品に昇華することをミッションとしている小松さんには、もうひとつ大きなテーマがあるのだそうだ。

「私はアスリートに向き合うときに、この人は死を目前に生きているんだなと感じるんです。つまり、彼らの人生には必ず“引退”という、アスリート人生の終焉が訪れます。それを自らの手で早めてしまう人もいるし、どんな形でもいいから長らえようとする人もいる。誰もが肉体や魂と向き合いながら懸命に生き、現役生活を終えるとき、その死をもってまた新たなスタートを切るわけです。そういう死生観をもっているアスリートたちはその恐怖を知っているからこそとても繊細だし、誰よりも荘厳な経験をしている。それが彼らの死生観であり、彼らの表情や言動を大人びたものにしているのだと思います。20代の青年がそんなことを言う? と感じるぐらい老成している人もいます。そんな彼らの死生観を私は尊重し、思いやって作品にしていかなければいけないと思っています」


小松さんにお話を伺うにあたって、あらためて中田英寿氏について書いた著書『中田英寿 鼓動』『中田英寿 誇り』を読んだ。ここに記されているのは1996~2006年までの中田氏の活躍。冒頭はもう20年以上前の話になるが、今でも読者の心に響くものがある。小松さんはインタビューの最後に「100年後の人々、中田や小松成美の名前を知らない人にも、こんな稀有なアスリートがいたのかと、知ってくれたらいいと思って書いています」と語った。
ストイックに自分の道を究めようとするアスリートたちの凄まじい世界は、私たちのような凡人には窺い知れないものだが、作品を通して少しでも垣間見ることができるのは嬉しく、とても貴重な体験だと思った。

【著書紹介】
『中田英寿 誇り』(幻冬舎文庫)
2006年、ドイツW杯終了後に突然引退した中田英寿。その胸に去来する者はいったいなんだったのか。1996年から、その活躍を見守っていた著者が、妥協を許せなかった孤高のプレイヤーの思いに寄り添って克明につづる。感動のスポーツ・ノンフィクション。

PROFILE 小松成美
神奈川県横浜市生まれ。広告代理店、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。生涯を賭けて情熱を注ぐ「使命ある仕事」と信じ、1990年より本格的な執筆活動を開始する。真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。主な作品に、『アストリット・キルヒヘア ビートルズが愛した女』『中田語録』『中田英寿 鼓動』『中田英寿 誇り』『イチロー・オン・イチロー』『和を継ぐものたち』『トップアスリート』『勘三郎、荒ぶる』『YOSHIKI/佳樹』『なぜあの時あきらめなかったのか』『横綱白鵬 試練の山を越えてはるかなる頂へ』『全身女優 森光子』『仁左衛門恋し』『熱狂宣言』『五郎丸日記』『それってキセキ GReeeeNの物語』『虹色のチョーク』等、多数。最新刊『M 愛すべき人がいて』は、累計21万部突破のベストセラーに。2014年9月、高知県観光特使に就任。現在、執筆活動をはじめ、テレビ番組でのコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

Text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock,Getty Images Sports

『心が震える! スポーツ・ノンフィクション作家から見たアスリートの真の姿』