陸上競技&車いすフェンシング&射撃の“期待の星” アジアパラで掴んだ手ごたえ

【アジアパラ】各競技“期待の星”も手ごたえと課題
2018.10.27.SAT 公開

東京2020パラリンピック前“最後の総合国際大会”であるインドネシア2018アジアパラ競技大会が10月6日から8日間にわたって行われた。17競技に304選手が出場した日本は、選手団の主将だった鈴木孝幸(水泳)が5種目を制覇、陸上競技の100m(T64/片下腿義足)予選でアジア新記録を樹立した井谷俊介が初の栄冠を手にするなど、ベテランも新鋭も活躍。金45個を含む合計198個のメダルを獲得し、東京への弾みをつけた。


陸上競技・佐藤友祈、有言実行の2冠達成

そんななかで期待通りの活躍をみせたひとりが陸上競技の佐藤友祈(T52/車いす)だ。2017年の世界パラ陸上選手権大会で400mと1500mの2種目で金メダルに輝き、今年は7月に両種目で世界新記録を樹立。東京パラリンピック金メダルへの道を進む佐藤は、アジアパラでは400mと800mにエントリーし、大会前に他を圧倒する速さで2個の金メダルを獲りたいと決意を述べていた。

アジア2冠の佐藤友祈 ©X-1

圧勝にこだわったのは、2016年のリオパラリンピックで敗れたレイモンド・マーティン(アメリカ)ら世界のライバルを意識しているから。そんな佐藤は、宣言通り、最初の種目である800mで金メダルを獲り、得意の400mでも他の追随を許さず2冠を達成。タイムは平凡だったものの、重圧をはねのけた安堵感からか、ゴール後は息を切らしながら2個目の金メダル獲得を喜んだ。

中盤からの加速が持ち味。だが、アジアが舞台の今回は、できるだけ早い段階でトップに躍り出る「これまでと違う自分」を示すことで、来年の世界選手権につなげたいと考えていた。事実、今シーズンは、力みすぎずに漕ぎ出す、スタートの技術向上が記録更新につながっている。それだけに、2位の伊藤智也との3秒差について、「もう少しタイム差をつけたかった」と悔しがった。

車いすが沈み込むような柔らかいタータンに泣かされ、55秒13の世界記録には程遠い1分1秒49。「これくらい重いトラックでも1分を切れるようにならないと……。まだまだ、ですね。でも、僕にはまだ成長の余地があるということです」と話し、最後はニヤリと笑った。

東京パラリンピックでは、世界記録を更新して金メダルを獲得する。その最大の目標に向かって、佐藤は走り続ける。

800m(T52)で金メダルを手にした佐藤(右)と2位の上与那原寛和 ©X-1

車いすフェンシング・櫻井杏理、悔しさ残る銅メダル

今大会はジャカルタの「GBK」エリアに、佐藤が金メダルを獲った陸上競技のスタジアムなどが密集していたが、そこから少し離れた場所に位置する車いすフェンシング会場では、日本女子のエース櫻井杏理が予選を勝ち上がり、フルーレ(カテゴリーB)でセンターピストに上がっていた。

決勝進出をかけた相手は、タイの実力者であるSaysunee Jana。今大会の目標に、決勝でリオパラリンピックの銀メダリストJingjing Zhou(中国)との対戦を掲げていた櫻井は、ここで負けるわけにはいかない。しかし、予選で櫻井が5-3で勝利した相手であるJanaは、キャリアの長い試合巧者だ。櫻井は序盤から先行され、得意とするストレートアタックを封じられると連続ポイントを許して10-15で敗退した。

ミックスゾーンに現れた櫻井は、今にも泣き出しそうな声で試合をこう振り返った。

「自分がやろうとしていることが、相手に完全に見透かされていました。私が突っ込んだのに対し、向こうが簡単にディフェンスで返してくる……同じパターンで失点を繰り返し、点差が開いていくと、焦りで冷静に戦略を組み立てることがどうしてもできませんでした」

1年ぶりに国際大会に出場した櫻井杏理

続くエペ、サーブルの個人戦も銅メダル。メダルセレモニーでは笑顔をつくったものの、「まったくうれしくない」と話し、悔しさは隠せない。一方で、課題を明確にしたのも事実だ。

「タイの選手も(強豪の)ヨーロッパの選手も、私より体格が良くてリーチが長い。その分、全力で攻撃するのではなく、フェイントをかけて相手を前に出させて、その一歩、二歩、いや三歩先で決める思考の組み立てが重要になる。東京パラリンピックの選考に向けて、そのあたりを早急に詰めていかないといけませんね」

実は、アジアパラは櫻井にとって1年ぶりの国際試合だった。脊髄の感染症の再手術で約半年、競技から離れていたのだ。復帰したのは5月。剣を握れない期間も、ビデオで世界の選手の癖を細かく分析するなど研究を絶やさなかった。

「それくらいしかやれることなかったので……。長く入院していたことを考えると、ここに戻って来られたのが奇跡。でも出るからには勝ちたいんです」

不屈の闘志を含んだその言葉は、彼女がまだまだ強くなると感じさせた。

フルーレの準決勝を戦う櫻井

射撃・山内裕貴、予選敗退も東京への糧に

悔しさを次につなげる――そう誓ってくれたのは、櫻井だけではない。今年5月の世界選手権(韓国)で東京パラリンピックのMQS(出場資格獲得のための標準点)を突破した、射撃の山内裕貴にとっても世界の壁を痛感する分岐点になった。

右手まひの山内裕貴は、10mエアピストルに出場 ©X-1

10mエアピストル(SH1)の予選。国際総合大会特有の緊張感に飲まれていたのかもしれない。山内は前日からどこか不安をかかえたまま試合会場に入った。

「試合前、インドや中国の強い選手をつい目で追いかけてしまい、『自分もそうしたほうがいいのか、ああしたほうがいいのかな』という迷いと焦りの中で試合を迎えてしまいました。もちろん強豪を観察して、そのいいところを取り入れるのは大切なことですが、試合前にやることではなかった。どんな状況でも平常心で自分の今までやってきたことを準備していくというのが大きな大会では大切なのだと、アジアパラで学びました」

後半は立て直したものの、1ラウンドで89.0ポイントだったスコアが響き、結果は16位。山内は上位8選手が進出できる決勝には進めなかった。

「射撃を始めてからこんなに心の底から悔しい思いをしたことはありません。だからこそ、この思いは次の試合のエネルギーに絶対に変えられる。試合の後半は、練習ノートを見返したりして、気持ちを吹っ切ることができ、失敗しても思い切り自分の撃ち方をすることができた。いったん射座から離れて立て直す時間を持てたのは、世界選手権のときとは違う時間の使い方ができたということ。今までは時間で苦しんでいたので、それはよかったところなのかな……」

国際大会への参戦はまだ2年目。アジアパラで手にした収穫と悔しさは、間違いなく今後の成長の糧になる。


東京パラリンピックまでの折り返し地点である国際総合大会とあって、本番に向けて多くの課題と収穫を手にしたという選手は少なくない。大きな大会のあとは、世間のパラスポーツへの関心が薄れがちだが、これからいよいよ東京パラリンピック出場権をめぐる争いが本格化するというとき。今大会をターニングポイントとし、上り坂を駆け上がっていく各競技の“期待の星”に注目しない手はない。

ライター 瀬長あすか
2003年に見たブラインドサッカーに魅了されアテネパラリンピックから本格的に障がい者スポーツ取材を開始。アジアパラを現地で目にするのは3回目。

『陸上競技&車いすフェンシング&射撃の“期待の星” アジアパラで掴んだ手ごたえ』