【Road to 2026】難聴のアイスホッケー日本代表候補・森崎天夢が目指す場所

2025.11.26.WED 公開

アイスホッケー日本代表が2026年3月に開催されるミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会に出場する。エースの伊藤樹、得点頭の鵜飼祥生らとともにチームを盛り上げる若手が“日本代表のスピードスター”森崎天夢だ。肢体不自由だけではなく、きこえにくさがある中で競技をする代表候補に話を聞いた。

森崎 天夢(もりさき・あむ)|アイスホッケー
2005年生まれ。北海道札幌市出身。2022年に「J-STARプロジェクト」を通じて競技に出会い、わずか1年で日本代表になり、国際大会を経験。ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会最終予選では初戦でゴールを決めた。2024年にアスノシステムに入社し、パラアスリート社員として競技に打ち込む。炭酸水が大好きで、日本代表のチームメートから20歳の誕生日にもらった炭酸水メーカーを愛用している。

アイコンタクトと仲間のフォローで意思疎通

先天性絞扼輪(こうやくりん)症候群で右下肢2分の1以上欠損という障がいがある森崎には、生まれたときから聴覚にも障がいがある。そのため右耳に補聴器をつけて生活をしている。

森崎天夢(以下、森崎):補聴器をつけるようになったのは5歳からです。幼稚園に入ったときに担任の先生が「あむくん」と呼んでもきこえていなかったらしく、それがきっかけでした。親からは先天性の難聴だと言われています。僕自身は幼稚園のころは何とも思っていなかったのですが、小学校に入学するときに引っ越してからは、耳のことで嫌なことがいっぱいあるなぁと思っていました。1年生のときに母が学校の連絡帳に僕のことを書いて、担任の先生が学年の集会の場でその内容をみんなに話してくれました。先生が「あむくんは耳がきこえにくいんだよ」とか「足がないんだよ」と話をしてくれたので、その後はみんな理解してくれていました。

きこえ方については、周りがガヤガヤしているところで対人で話すのは難しいというか、あまりききとれない感じがあって、大人数でみんながしゃべっているのはあまりききとれません。でも、静かな場所で大きな声で話してもらえればきこえるんですよ。

右耳に補聴器をつけている

幼少期から体を動かすのが大好きだったという森崎は、小学校低学年のころ、1学年上の両足義足の子に誘われてスキークラブに入り、大会で優勝するなど運動神経が良かった。5年生から始めたアンプティサッカーでは、中学2年生のときにユース代表のキャンプに呼ばれて参加したこともある。

森崎:アンプティサッカーは最初、シュートが遅くてめっちゃ悔しかったので、家の前でずっと夜まで練習していたら努力の成果が出てシュートが速くなりました。パラアイスホッケーに出会ったのは高校2年生だった2022年。高校時代は最初サッカー部に入っていたのですが2年生でやめて、2023年の世界選手権からパラアイスホッケー日本代表になりました。実は2024年にアンプティサッカーの合宿に呼ばれたので参加したら日本代表に選ばれて海外に行くことになったのですが、パラアイスホッケーを優先してお断りしました。

切断者のためのアンプティサッカーでフィールドプレーヤーは杖を使い片足でプレー。両腕でスティックを操作するパラアイスホッケーに転向後も、鍛えられた上半身が活かされている

団体競技では試合中のコミュニケーションが欠かせない。ましてヘルメットを着用するアイスホッケーはより一層、声がきこえにくくなる。難聴の森崎はどのようにして仲間との意思疎通を図っているのだろうか。

森崎:アンプティサッカーでたくさん試合に出ていたのは小学校ぐらいまでだったので、指示が分からなくても適当にきき流してました(苦笑)。パラアイスホッケーでは僕以外にもう1人、きこえにくい人がいるのですが、みんなが大きな声で話してくれるからきこえ方にはあまり問題がないですし、しっかり周りを見てアイコンタクトすることで補っています。日本代表では同い年の(伊藤)樹が僕のためにわざわざ大きい声を言ってくれたりと気をつかってくれますね。

パラアイスホッケー日本代表候補の森崎

パラリンピックで日本代表の歴史を塗り替える

日本は11月5日からノルウェーで行われたパラリンピック最終予選で1位になり、ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会の出場権を見事に勝ち取った。

森崎:最終予選では初戦の韓国戦で逆転負けをして悔しかったですが、負けてしまうかもしれないと思って臨んだ2戦目のスロバキア戦で勝って道が開けたと思いました。みんなの気持ちが一つになって勝てたのだと思います。最終的に4勝1敗で1位になり、パラリンピックの出場権を獲得しました。

先日にはパラリンピックの組み合わせも決まり、日本は初戦で世界ランキング3位のチェコと対戦することになりました。組み合わせが決まってから行った合宿では、当たってくるスピードが速いチェコへの対策としてパススピードを速くするなど、パラリンピックで勝つための戦術を立てて練習しました。

日本代表でスピードがあると言えば僕。前回の合宿で30mのタイムを測定したら僕と(伊藤)樹が5秒7で並んでトップだったので、次の測定では5秒6を出して1番になるのが僕の目標です。スピードは誰にも譲りません!

パラリンピック出場が夢だった。

森崎:パラリンピックに出たいという夢を持っていたので、ようやく夢が叶うという気持ちです。出場権を得たときは、うれしくて泣きました。実は、アンプティサッカーからパラアイスホッケーに転向した理由のひとつは、パラリンピックに一度は出場してみたかったから。アンプティサッカーはパラリンピック競技ではないので、アイスホッケーで目指すことにしたんです。2023年4月に強化指定選手に選ばれたときに心に決めたパラリンピックという夢が叶ったら、次はその舞台で点を取ることを目標にしたいと思います。

手話は使用しない森崎。きこえない・きこえにくい人も、さまざまなのだ

日本代表は2010年のバンクーバーパラリンピックで銀メダルを獲得したが、その後は成績が下降し、前回の2022年北京大会は出場権を逃した。ミラノ大会は日本代表にとって2大会ぶりの大舞台だ。

森崎:パラアイスホッケーを始めたころは、(札幌が2030年のオリンピック・パラリンピック招致に向けて活動しているときだったので)友だちや家族、親戚などお世話になった人に生でパラアイスホッケーを見てほしいと思っていました。まだミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会の代表に選ばれたわけではないですが、一人のパラリンピアンとして、大会で活躍することによって札幌の方々に僕のような人がいるんだよということを知ってもらいたいです。

コーチ陣は必ずメダルに絡むという目標を掲げています。日本代表は2010年のバンクーバーパラリンピックで銀メダルを獲ったので、その歴史を塗り替えて金メダルを獲りたいです。高校時代の僕は体重が58㎏くらいで腕も細かったのですが、今は70㎏くらいあります。週4日で筋トレをして鍛えています。個人としては1点でも多く得点してチームに貢献したいです。

聴覚障がいのある選手たちが出場するデフリンピックが日本で初めて開催され、日本勢はメダルラッシュに沸いた。次は、肢体不自由、視覚障がい、知的障がいのある人が対象になるパラリンピック。高みを目指してチャレンジを続けるアスリートに変わらぬ声援を送りたい。

ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会の開幕100日前、地元である札幌で取材に応じてくれた森崎

text by TEAM A
photo by Hiroaki Yoda

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