オリンピアンが「僧侶」になり「公務員」になったワケ。カヌー矢澤一輝が選んだ“退路を断たない”生き方

カヌー日本代表としてオリンピック3大会出場を果たした矢澤一輝選手は、2度目のロンドン2012オリンピックを終えたあと、なんと地元長野県の名刹・善光寺で「僧侶」になった異色のアスリートだ。生計への不安を解消するために仕事として仏門に入り、現在は青森県で「公務員」として働きながら練習を重ねている。
4度目のオリンピック出場を逃して心が折れそうになったとき、「二足のわらじ」を履いていることが救いになったという。そんな彼の「夢を長く楽しく続ける」生き方について聞いた。
カヌーか就職か?
長野県出身の矢澤一輝選手が父親の影響でカヌーを始めたのは小学1年生の時。高校からは本気で競技に打ち込むため、当時オリンピック選手の多くが練習をしていた川のある東京都青梅市で一人暮らしを始めた。
そして大学2年生となった2008年、カヌーのスラローム競技の日本代表として、北京オリンピック出場を果たす。そこから、ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続でオリンピックに出場。その他にも日本選手権やジャパンカップで優勝するなど、華々しい活躍をしてきたが、その道のりは決して順風満帆だったわけではない。
カヌー競技にはプロリーグや専業のプロ選手組織がないため、選手はスポンサーを見つけるか、就職をして働きながら競技を続けることになる。矢澤選手の場合、最初の北京オリンピック出場時は大学生だったが、残念ながら予選落ち。現地で決勝レースを見ながら「次のロンドン大会では、絶対にあの舞台に立ってやる」と心に誓った。
「とはいえ、ロンドン大会の時には大学を卒業していますから、社会人として競技を続けなければなりません。働きながら競技を続けられるのか不安でしたね」(矢澤選手、以下同)
そこで、地元長野県のカヌー協会の当時の会長、小山健英氏に相談したところ、スポンサーを探すなどして、競技生活を続けられる環境を整えてくれたそうだ。こうして2012年、見事2度目のオリンピック出場。日本勢として同種目初の決勝進出を果たし、結果は9位と健闘した。
僧侶とアスリート、二足のわらじ生活スタート
ロンドン大会出場時、矢澤選手は23歳。まだ次のオリンピックも狙える若さだったが、同時に将来への不安もあった。
「将来は自分の家族を持ちたいし、親が自分にしてくれたように、自分の子どもにも、何かに自由に打ち込めるような環境を与えてあげたいと思っていました。それには生活を安定させる必要がありましたから、どうやって競技を続けるのか悩んでいました」
「スポーツで食べていけるのは一握りの人間だけ」というフレーズはよく聞く。実際に、「自分にはそこまでの実力はない」と、スポーツの道を諦めてしまう人は少なくないだろう。しかし、矢澤選手にカヌーをやめるという選択肢はなかった。
ロンドン大会出場の際に相談をしていた小山氏は、もともと「スポーツ選手であったとしても、社会に出て社会人としての経験を積みながら競技をすることが大切だ」と、常々話してくれていたという。
そんな小山氏から「ロンドン大会が終わったらどうするんだ?」と聞かれた際、矢澤選手はこう答えた。
「僧侶になりたいです」
実は小山氏は、長野県の善光寺一山(善光寺に属する寺)の寺の住職だった。「小山さんが自分にしてくれたように人の相談に乗ったり、困っている人に協力したりできる人になりたい」と考えた矢澤選手は、仏門に入ることを決意。比叡山での修行を終え、地元の名刹・善光寺で僧侶としての生活をスタートさせた。
当時、善光寺でのお務めは日の出とともに始まり、午後3時には終わった。そこから今度はカヌーの練習をするという生活をしていた。
「ロンドン大会を目指していた時は、ひたすら競技を突き詰めるといったトレーニングをしていました。でも僧侶になってからは、純粋にカヌーをスポーツとして楽しむことができたんです。ランニングでいうと、市民ランナーの方たちって、毎日走っているじゃないですか。それと同じで、一回始めたらやめられない、今日もやらなくちゃといった感覚でした」
スポーツ選手にもそれぞれの生き方、取り組み方があるが、矢澤選手の場合、僧侶という人の役に立てる安定した仕事があることが安心感につながり、カヌーを楽しむ余裕が生まれたようだ。その心のゆとりからか、見事3回目のオリンピックとなるリオデジャネイロ大会に出場を果たした。
「僕自身が僧侶として人の役に立てたかは分かりませんが、僧侶の仕事の経験が競技につながったと思うこともあります。たとえば葬儀は、その人にとって一生に一度しかないことで、その方の葬儀の“練習”を僧侶がすることはありません。ですから葬儀は毎回が練習なし、しかも失敗が許されない“本番”です。そんな葬儀と比べたら、『スポーツはいくらでも練習ができるじゃないか』と(笑)、必要以上に気負わず競技に向き合えるようになりました」
さらなる高みを目指して新天地へ
しかし矢澤選手は2017年に、僧侶を辞めて青森県に移住した。きっかけは、東京2020オリンピックだった。
「僧侶の仕事にも魅力はありましたが、リオデジャネイロ大会を終えてみたら、今度はやはり東京大会に出たいという気持ちが強くなってしまったんです。そこで競技に打ち込める環境を探し、かつてジュニア大会やジャパンカップなどで来たことのある青森県に移住することにしました。現在は、西目屋村の役場で公務員をしています」
しかし、残念ながら東京2020大会には出場することができなかった。どんなことがあってもカヌーを続けてきた矢澤選手も、これはショックだったという。
「僧侶を辞めて移住して、オリンピックだけを目指していたので、出場を逃した時はさすがに心が折れました。周囲も『絶対にオリンピックに行ける』といった雰囲気で期待してくれていたので、東京での選考会を終えた時、『明日、どんな顔をして青森に帰ればいいんだろう』と思いました。
競技だけしかやっていなかったら気持ちを切り替えられなかったと思うんですが、僕には仕事があった。選考に落ちても出勤はしなければいけないので、ずるい言い方をすれば、カヌー選手から公務員に『気持ちを切り替えればいいんだ』と思えたのが良かったですね」
東京2020大会の出場を逃したのは大きな挫折だったが、カヌーを辞めようとは思わなかった。
「よくスポーツ選手は引退といった言葉を使いますが、カヌーはプロスポーツではないので引退はないと思っています。僕は本当にカヌーが好きで、楽しいから続けているんです。オリンピック出場を目指していた時は、本当に勝たなきゃいけなかったから辛いこともありました。でも、カヌーが楽しいから好き、続けられてきた理由はそれしかないです」
だからこそ、自分を追い込みすぎてカヌーを嫌いにならないよう、友達と遊ぶ時間も大切にし、時にはスラローム以外の種目やSUP(サップ)を楽しんだりといったこともするという。こうして話を聞いていると、実に飄々と楽しく競技を続けて、楽々とオリンピックに出場しているようにも見えるが、決してそういうわけではない。
「『練習は試合のように、試合は練習のように』、という考えが重要だと思っていて、練習でどれだけ真剣に競技に打ち込めるかじゃないでしょうか。それが出来ていれば試合が楽になる。練習で120%の力を出せていれば試合では100%の力を出せばいいんだと思ってやってきました」
と話すように、カヌーを楽しみながらも、人知れず練習に打ち込んできた。それがオリンピック3大会出場という結果に繋がったのだろう。
矢澤選手は公務員とカヌー選手という新しい二足のわらじを履きながら、日々夢を追い続ける生き方をしている。
夢を実現するためには、退路を断って脇目も振らずに全力でそれに集中するという道もある。しかし、夢へ向かって歩む道はそれだけではない。「こうでなくてはいけない」という固定観念に縛られず、自分らしい方法を見つけるのも、また道のひとつ。
ひとつの枠にとらわれず、楽しむ気持ちを原動力に夢を追い続ける矢澤選手の姿は、人生の歩み方を模索する私たちの背中を、そっと押してくれる。
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
写真提供:矢澤一輝