サッカー元日本代表の太田宏介が「月謝無料」のサッカー教室を開校。自身の経験からみんなにチャンスを

2025年春、神奈川県厚木市に、月謝無料のサッカー教室「ジョガスポーツカレッジ厚木校」がオープンした。なぜ無料なのか? この教室の開校式を取材するとともに、同教室を創立し指導にもあたる、サッカー元日本代表の太田宏介氏と、同教室の代表を務め同じく指導を担当しているビーチサッカー元日本代表の原口翔太郎氏に話を聞いた。
無料でも指導陣は一流
ジョガスポーツカレッジ(以下ジョガスポ)は、「すべての子どもたちが本物に触れ、平等にスポーツを楽しめる」ことを目的として、2024年に常設校の湘南校からスタート。日本全国47都道府県に展開することを目指している。
取材当日に開校した厚木校の練習場は松蔭大学厚木森の里キャンパスのグラウンド。美しい人工芝とナイター設備の整った素晴らしい環境の中、小学1年生から6年生まで約70名の児童が集まって開校式と第1回目の教室が行われた。
太田宏介らによる挨拶の後、まずは全員参加のウォーミングアップが始まった。指導にあたったのは、ビーチバレーボール女子元日本代表の幅口絵里香氏。幅口氏が準備したこの日のコーディネーションメニュー(全身のさまざまな動作を連携させ、効率的に運動を行うためのトレーニングメニュー)は、さまざまな工夫がされていて、初めての場所、初めての顔ぶれに緊張していた子どもたちが、あっという間に笑顔になり、楽しみながら体を動かしていた。
十分に体を温めた後は、低学年と高学年に分かれていよいよサッカーの練習に移る。この日指導にあたったのは、横浜FC、清水エスパルス、FC東京など、名だたるクラブでプレー後、オランダ1部リーグ・SBVフィテッセに移籍、日本代表にも選ばれた元Jリーガーの太田宏介氏。そして、彼の熱い想いを受けジョガスポーツカレッジの代表として活動しているビーチサッカー元日本代表の原口翔太郎氏。原口氏は一児の父でもあり、かつてサッカーの指導者をしていた経験があるそうだが、そのときの教え子が複数人、プロサッカー選手になっている。さらに原口氏の母校でもあり、厚木校の練習場にもなっている松蔭大学サッカー部の皆さんも指導をサポート。この他にも、ジョガスポーツカレッジの活動に賛同したさまざまな一流アスリートが指導を担当する。
かつて与えてもらったチャンスを今度は自分が
ジョガスポーツカレッジの「すべての子どもたちが、平等にスポーツを楽しめる」という理念と、それを実現するための「無料」という形態は太田氏の発案で誕生したそうだが、それには太田氏の育ってきた環境が影響しているという。
「僕が6歳のときにJリーグが開幕して、地域にもサッカースクールができたり、いろんなサッカー選手が来るイベントが開催されたりしていました。友だちもスクールに通って楽しそうにしている中、家庭の経済的な事情で通えなかった僕は、悔しくて公園で練習していました」(太田氏)
幼少期から母親と兄の3人暮らしだった太田氏は、中学時代に両親が正式に離婚したことから、完全なシングルマザー家庭となり、経済的にサッカーを習う余裕はなかったという。それでもサッカーを諦められなかった太田少年を支えたのは周囲の人々。母親はパートで働き、お兄さんはアルバイトを掛け持ちしてサッカー用具代を賄ってくれたそうだ。それでも足りないときには、学校の関係者などが経済的に支援してくれた。そんな周囲の人々の応援によって太田氏は見事Jリーガーになるという夢を叶えた。
「最近、中学校の部活動の地域移行化が推奨され、スポーツはスクールなどに通ってやるものになってきています。そうした中、スポーツをやりたくても経済的な理由でやれない子どもは、たくさんいるんですが、なかなかそこはクローズアップされません。ですから機会を与えてもらった自分が、今度は与えられる立場になったからこそ、子どもたちが誰でも平等にサッカーに触れられる場を提供したいと考えたんです」(太田氏)
努力と周囲の人のサポートで夢を叶えた太田選手は、今度は自身が子どもたちの夢を叶えるサポートをしたいと考えているのだ。
「家庭に負担がないようにスポーツと触れ合う機会を作るというのは、ずっとやりたかったことでしたが、実際に実現しようとすると、たくさんの人や資金が必要です。ですから、それぞれの地域や企業の方々など、いろんな大人たちの力をお借りしています」(太田氏)
諦めなかったからこそ、掴んだもの
太田氏の思いを受け、協力者集めに尽力する原口氏も子どもたちがスポーツに触れる機会を持つことは重要だと考えている。
「神奈川県川崎市出身の僕は子どもの頃、ヴェルディ川崎の三浦知良選手や、ラモス瑠偉選手が活躍しているのを見て育ちました。毎週、地元の子どもたちを試合に無料招待してくれて、僕も目の前で試合を観て、いつか自分もプロサッカー選手になりたいと思っていたんです」(原口氏)
小学1年生から大学までサッカーを続けた原口氏だったが、大学卒業後は大手企業に就職した。しかし、ビーチサッカーに出会い、再び夢を追いかけることを決断した原口氏は会社を退職。アルバイトをしながらプロのビーチサッカー選手を目指した。その後、FIFAビーチサッカーワールドカップに日本代表として3回も出場し、銀メダルを獲得した。
「あるとき、ご縁があってラモスさんと一緒にサッカーをすることができました。一度は諦めたのに、20年後に憧れていた人と一緒にサッカーができた。しかも今はサッカーを仕事にしている。諦めなければ、そんなストーリーもあるということを僕自身が体現しているので、子どもたちには続けることの大切さを伝えたいし、そうしたことを体験できる場を作ってあげたいと思っています」(原口氏)
たとえプロサッカー選手になれなかったとしても、諦めずにひとつのことを続けた結果、そのときにできた人脈や成功体験が、今の原口氏の活動を支えているという。スポーツには続けることで得られるものがたくさんある。それを身をもって経験したからこそ、原口氏は子どもたちにもそれを伝えていきたいと語る。
また、スクール開催においてジョガスポでは場を提供するだけでなく、子どもの心に細やかな気配りをしている。たとえばウェアの問題だ。
「参加費が無料だと言っても、家庭の経済的な事情によって、最新のウェアを着られる子と、そうでない子が出てきてしまいます。そうしたところも平等になるように、ウェアを一律にしようという話が出て営業をしたところ、ある企業さんが300枚、提供してくださることになりました」(原口氏)
ジョガスポでは子どもたちが、物理的にも心理的にも平等にスポーツを楽しむ機会を作り続けている。
太田氏に子どもがスポーツを経験することの意義について尋ねると「チームメイトや同級生、そういった仲間と同じ目標に向かって頑張るってすごくいいことですし、勝っても負けても、みんなで一喜一憂するからこそ仲間意識が芽生え、友だちを大切にすることもできる。スポーツには得るもの、学べることがたくさんあると思うし、子どもたちが大人になって社会に出たときに必ずその経験は生きると思う」と話してくれた。しかし、それを無料で提供することは容易ではない。「それこそが真の社会貢献であり、これを続けることが自分たちの使命です」と言い切る太田氏。それを聞いて、太田氏のような健全で真っ直ぐな心を持った人材が生まれることこそが、スポーツの意義なのではないかと感じた。
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Kazuhisa Yoshinaga