NBAプレーヤー河村勇輝らを育てた高校バスケ名将が、“昭和の熱血”を手放して見えたもの「生徒はロボットじゃない」

2026.08.28.FRI 公開

バスケットボール日本代表にしてNBAプレーヤーの河村勇輝選手を始め、数多くのトップ選手を輩出している高校バスケの名門・福岡第一高校。創部から32年間、同校の男子バスケットボールチームを率いてきたのが井手口孝監督だ。

全国大会優勝経験も多数。輝かしい実績を誇るが、かつての井手口監督は「昭和的な怒鳴る指導」でチームを引っ張っていたという。そんな熱血監督の指導観を180度変えたのは、アメリカでのある日系人コーチとの運命的な出会いだった。

創部当初は昭和的熱血指導だった

選手に言葉をかける福岡第一高校男子バスケットボール部・井手口孝監督(写真右)

福岡第一高校男子バスケットボール部は、これまでに全国高等学校バスケットボール選手権大会(ウインターカップ)では2連覇を含む5回の優勝、インターハイでも5回の優勝、九州大会10回優勝、国体7回優勝など華々しい成績を残している。しかし、最初から順風満帆だったわけではなかったという。

1994年、井手口監督は「体育教師となってバスケットボールの指導をしたい」という高校時代からの夢を実現し、福岡第一高校で男子バスケットボール部を創部した。しかし、無名の監督が率いる何の実績もないチームだ。実力のある中学生はみんな強豪校へ進学してしまう。

それでも、井手口監督は創部からわずか5年でインターハイ出場、10年で優勝を成し遂げるという快挙を達成した。

そんな短期間でどうやって結果を出せたのかを尋ねると、井手口監督は「バイオレンスです」と苦笑いしながら言った。今では考えられないが、当時の運動部は「しごき」といわれる熱血指導が当たり前で、そうしなければ強くなれないという考えが主流だった。井手口監督もその例にもれず、いわゆる昭和的な指導を行っていたと当時を振り返る。

「あの頃は周囲もみんなそうでしたが、僕もとにかく気合いを入れようと『ばかやろう!』と怒鳴ったりしていましたね。生徒に『お前、帰れ!』と怒鳴って『帰りません』と言われると『じゃあ俺が帰る!』と言って、本当に帰ったりしていました。翌朝、その生徒が僕のところに『昨日はすみませんでした』と謝罪にくる。そういう青春ドラマのようなことをやっていたんです」(井手口監督、以下同)

「生徒はロボットじゃない」コーチとしての姿勢を変えた運命の出会い

デイブ・ヤナイさん(左から3人目)と井手口監督。(同2人目)。NBAプレーヤーとなった河村勇輝選手(左端)、現神戸ストークスの小川麻斗選手(右端)も一緒に(2019年、井手口さん提供)

2000年、そんな井手口監督のコーチとしての姿勢を大きく変える出会いがあった。当時カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校でヘッドコーチを務めていた日系人のデイブ・ヤナイ氏に、同部の生徒たちへクリニックをしてもらう機会に恵まれたのだ。ヤナイ氏はNBAのチームからもオファーがくるような人物。井手口監督は生徒たちを連れて渡米した先で、衝撃的な体験をする。

「それまでの僕は厳しい言葉で生徒に活を入れ、時には手も出し、蹴飛ばしたりするようなこともありました。でも、デイブさんは言葉で彼らを動かしていたんです」

渡米して2週間、練習試合の最中のことだった。当時のエースだった生徒がどんなに攻めてもことごとく相手チームに止められてしまう。そこでヤナイ氏はタイムアウトを取ると、そのエースの生徒に片言の日本語で語りかけた。すると、今まで井手口監督がどんなに怒鳴っても叱っても平気だった彼が、ヤナイ氏の言葉に涙を流したそうだ。その後、タイムアウトが明けると彼のプレーは明らかに変わっていて、長身の相手選手にも果敢に向かっていったという。

「これには参りました。会ってたった2週間のデイブさんが言葉だけで生徒たちを動かしたんです。こんな風にはなれないと思いましたね。でもデイブさんが僕に『生徒はモノじゃないし、命令して動かすロボットでもないよ』と言ってくださった。『あなたはこう話しなさい』と命令するのではなく、僕にもやんわりと、でも心に伝わるように教えてくれたんです。だからといってすぐに切り替えることはできませんでしたが、コーチとはこういうものだという気づきがあって、あれが僕の指導者としての転機でしたね」

ちょうど世の中でも、暴力や暴言による昭和的指導への批判が高まっていた。だが井手口監督は世の中がダメと言っているからではなく、自身の実感として昭和スタイルから、平成、令和の指導方法へ切り替えていった。

「怒るのは一番簡単な方法なんです。でも、それでは『怖いからとりあえず言われたとおりにやっておけばいいや』『言われたとおりにやっておけば練習が早く終わる』となるだけで、相手は言われたことに本当に納得はしていませんよね」

今は「ただお腹いっぱいに(練習)すればいいわけじゃなく、また食べたい(練習したい)、またこの店(体育館)に来たいと思わせることが大事」と話す。

たとえば同じようなミスをしても、試合経験も少なくそれほど強い関係性もできていない1年生と、経験値があり関係性ができている3年生とではかける言葉も違ってくる。

「接し方を変えたことで、生徒たちの中に『なぜこのプレーがダメなのか』『なぜこういう練習が必要なのか』といったことを考える余地ができたような気がします。もしも結果が出なかったときに、もっと練習をしろ、お前たちがやらないからダメなんだと言っているばかりでは成長はない。

そういう時には視点を変え自分にベクトルを向け『この場合は作戦を変えたらいいんじゃないか』と考えられる勇気を持てば、コーチ自身も成長できると思うんです。特に若い頃にはありがちですが、一度決めたことをやり遂げるのが正しいと考えが凝り固まってしまっては、それ以上先にはいけませんよね」

「今時の子どもは」は「今時の大人は」と同義

生徒とのコミュニケーションを大切にしている井手口監督(C)山口賢二郎

チームが強くなる上で、練習の質や量、作戦などはもちろん大切だが、スポーツを指導する上で大事なことは? という問いに井手口監督が最初に挙げたのは、意外な答えだった。

「僕が、そしてチームが学校の中で認めてもらわなきゃダメだと思うんです。男子バスケットボールチームは学校の体育館を長い時間使わせてもらっています。電気をつけっぱなしで帰ったとか、鍵を開けっぱなしにしてしまって不審者が侵入して近隣に迷惑をかけたなんていうことがないようにするのは、当たり前ですが大切なことです。

他にも、たとえば1時間目に体育でバレーボールの授業がある時には、授業が始まる前にバスケ部の子たちがバスケ部のものを片付けてバレーボールの準備をしておくとか。もちろん、体育館の中は常にきれいに掃除しておくのは基本です」

強豪チームになったからといって体育館を優先的に使えるのは当たり前ではない。他の生徒やその保護者、教師、卒業生や地域住民などに協力・応援してもらえるからこそ、集中して気持ちよく練習ができる。だからこそ、勝ち負けと同じくらい日ごろの言動も大切にする。

ただ、井手口監督はこうしたことを生徒たちに命令してやらせるのではなく、自身が態度で示すことを大切にしてきた。

今は定年を迎え通常の授業を持っていないため、生徒とバスケットボール以外で触れ合う機会は減ったが、かつて授業を持っていたときは、チャイムが鳴る前に体育館に入るようにしていたそう。そして体育館の掃除も率先して行い、コロナ禍で授業ができなかった時は、毎日のように体育館に行き、普段は掃除しないような額縁の上まで徹底的にきれいにしたという。

「よく、昔と比べて『子どもたちは変わってしまった』と言う人がいますが、子どもたちは変わっていません。大人が子どもたちに与える環境が変わってきているだけです。子どもは大人たちの姿を映す鏡ですから『今時の子どもは』と言うのは『今時の大人は』というのと同じなんですよ」

かつて「バイオレンス」で子どもたちを指導していたと言った監督は、今は自らの言動で子どもたちに多くのことを教えている。

試合に出られなくても、人生の可能性は開ける

試合に出られなかった選手たちにも声をかける井手口監督

現在、福岡第一高校の男子バスケットボール部には100人近い生徒が在籍しているが、レギュラーとして登録されるのは15人。3年間一度も公式戦に出られない選手もいる。それでも3年間モチベーションを切らさず、部活動に打ち込む生徒が多いのはなぜだろうか。

「うちに入ってくるには、僕がスカウトしてき入ってもらう子、中学校の推薦などで入ってくる子、自分から入部してくる子と、大きくわけて3つのパターンがあります。スカウトした子の方が試合に出られる可能性が高いですが、自分で入ってきた子の中にも、ウインターカップの優勝時にスターティングメンバーになった子もいます。

彼らがバスケットボールをやる目的は、高校で日本一になることだけではありません。大学でも続けたい、プロの選手になりたい、指導者になりたいなど、人それぞれ。つまり高校時代にベンチに入れなかったからといって、それで終わりではないということです」

もちろんスカウトで入部してくるような子が多い中でレギュラーの座を掴むのは並大抵なことではない。しかし、実際に高校では一度もベンチに入れなかったのにプロになった子や、指導者になって成功した子もいるという。

そうした話を生徒たちにすることが、諦めずに頑張れば可能性は開けるというモチベーションになっているようだ。井手口監督はプロになれるようなバスケットボール選手を育てているのではなく、あくまでも「人」を育てている。

卒業後、バスケットボールのプロ選手や指導者になれなくても、多くの卒業生は立派な社会人となり、今でも井手口監督のもとを訪ねてくる生徒も少なくないという。


井手口監督はバスケットボール界の名将として知られるが、たとえどんなにお金を積まれても、大学やプロで指導者になるつもりはないという。中学を卒業し、子どもから大人になっていく3年間を共に過ごせることは、本当に楽しいしやり甲斐を感じるからだそうだ。

一方でそうした大切な時期だからこそ、指導者の影響力は大きい。生徒たちの今後の人生を左右しかねない貴重な時間を共に過ごすからには、指導者には「子どもたちの人生をいい方向に変えるくらいの熱い気持ちを持った関わり方をしてほしい」と話してくれた。

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
写真提供:井手口孝、山口賢二郎


<参考図書>
『人生のアシストパス――福岡第一魂』
/井手口孝・青志社

『NBAプレーヤー河村勇輝らを育てた高校バスケ名将が、“昭和の熱血”を手放して見えたもの「生徒はロボットじゃない」』