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Sports /競技を知る
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元プロウェイクボーダーが再び世界に挑戦! パラ卓球・四海吏登の素顔

ブレイク必至のスター候補を紹介するシリーズ“TOP PROSPECT(有望株)”。今回は、屈託のない笑顔と芯の強さが光るパラ卓球の四海吏登(しかい・りいと)選手です。16歳を迎えた年の大ケガから再起を果たし、「できないのではなく難しいだけ」を胸にパラ卓球の世界へ。週5日、片道2時間以上かけて練習へ通うハードな日々を送り、今年からはエリートへの本格参戦も果たしました。ロサンゼルス2028パラリンピックのメダル獲得を見据え、温かく背中を押し続ける両親のサポートを胸に突き進む新星の素顔に迫ります。
四海 吏登(しかい・りいと)|パラ卓球
2005年、兵庫県姫路市出身。「筋道を立てて登っていく」という願いを込めて名付けられる。8歳からウェイクボードに打ち込み、小学6年生からプロとして活躍、単身で精力的に海外遠征を行うなど将来を期待される存在となる。16歳のとき、トランポリンでの回転技の練習中に頭から落下し頚椎を損傷、車いす生活に。その後パラ卓球を始め、現在は「アンビション DX ホールディングス」所属のアスリートとして日々研鑽を積む。クラス1・男子シングルス世界ランキング14位(2026年10月現在)。趣味は愛犬3匹との触れ合いと、アイドルの「推し活」。
パラ卓球との出会い、そして世界への再挑戦
――リハビリの一環でパラ卓球に出会い、2023年6月末から本格的に始めました。
四海吏登(以下、四海):週5日、片道2時間かけて大阪に通って卓球漬けの生活をしています。なんだかんだ卓球が好きなので(笑)健常者のときも学校で卓球をしたことはありますが、スマッシュ、スマッシュみたいな……つなげることってあんまりしなかったんです。でも、車いすでプレーしてみて、ボールをつなげる難しさとか、回転を読み切る難しさっていうのに、だんだんハマっていって。ビデオを見る度に、「あ、今のはこういう意図があってこういうボールを出したんだな」っていう頭脳戦的なところもすごく面白いなって思いました。
――もともとウェイクボードをやっていて横乗りスポーツのイメージがあるからか、いくつか体験した競技の中から卓球を選んだのは意外な気もします。
四海:知り合いや家族にも初めは「なんで卓球?」って言われました。全部のミスも自分のせい、全部の得点も自分のおかげっていうのは卓球の魅力です。みんなに「若いね」って言われますけど、「俺が一番や、目立ってやるぞ」という精神でプレーしています(笑)。あと、頭をつかうスポーツがけっこう好きで、オセロとかも好きなんです。
――これまで多くの国へ遠征されていますね。日本から持参するものはありますか?
四海:台湾、タイ、韓国、カザフスタン、エジプト、ドバイ、フランス、ポーランド、チェコ、中国、アメリカ……めっちゃ行ってますね。アルファ米や缶詰、調味料などを持参します。初遠征のチェコで食事が口に合わず苦労して以来、醤油など日本の味に近づける調味料は欠かせません。
――海外の大会では、コンディションを合わせるのも難しいと聞きます。
四海:普段は朝食は食べませんが、遠征では朝食を食べてエネルギー切れを防ぐなど、食事面には気をつけています。国内の練習と違って海外の試合は自分のペースで休憩できず、試合間隔が6〜7時間空くこともあるので、コンディションの維持には最初とても苦労しました。
――中学生の頃から単身で海外に行かれていたとか。
四海:ケガをする前、ウェイクボードをしていてよく海外に行っていました。中2のときは韓国の友だちと練習したくて「韓国に2週間行ってくる」って言って、自分で連絡をとって飛行機だけ手配してもらったり、台風で帰れないから1週間延ばしたり。荷物がどっか行っちゃうこともありましたけど、めっちゃいい経験になりました。だから今、海外に行ってもあんまり怖くないですし、車いすになってからの初めての海外も、緊張より楽しみの方が強かったです。
――ウェイクボードでプロとして活躍されていた頃のことを教えてください。
四海:始めたのは小学2年生(8歳)のときです。両親が遊びでウェイクボードをしていて、父の股の間に捕まって滑ったのがきっかけでした。潮風と水面を滑る非日常の感覚が気持ちよくて「やりたい」と思い、始めました。最初は地元・姫路の川で練習していましたが、より環境のいい西宮のゲレンデへ、小4〜5の頃には片道2時間かけて一人で通うようになっていました。
その後、小6でプロになり、ケガをする高1まで活動していました。中学時代は競技漬けであまり通えておらず、中1のときには「アメリカへ練習に行くので1ヵ月休みます」と伝えていたほどでしたね(笑)
――どんなところがウェイクボードに向いていたと思いますか?
四海:向いてたんですかね? 周りからは「天才」って言われてましたけど、全然自分に才能があるとは思っていなくて、みんなの倍練習して、倍イメージトレーニングしてました。動画を見たり、ハンドルを家の階段に巻いて回転の練習をしたり。自分の中で思考と体の動きが合ってくるとうまく波に乗れるようになりました。
家族の支えとチャレンジャー精神の源泉
――3人兄弟の末っ子。家業で多忙なご両親のもとで育ちました。
四海:両親は美容師。だから土日は休みじゃないし、家族で出かけた記憶もなくて嫌だったんです。でも、大人になって、髪を切ってもらったりパーマやヘッドスパを頼んだりしたらすぐやってくれるので、本当に贅沢だなって思います。近くに住む祖母も洗濯や掃除をしに来てくれて。みんな卓球も応援してくれています。
――ご両親から受けた教えや四海家ならではのルールはありましたか?
四海:好きなことは何でもしていいけど、ウェイクボードを始めるときは「なんでそれをしたいのか」「リスクマネジメントはどうするのか」を親にプレゼンしないとダメでした。両親も経営者だから「やりたい」だけではオッケーしてくれない。そのおかげで、卓球でも生きている部分がすごくあります。父親にはかなわないなって思います。でもパラ卓球を始めたときは、僕がケガをして落ち込んで全てあきらめていた状態だったから、「やりたい」と言ったら「もういいよ」って背中を押してくれました。
――お母様の強さにも助けられたそうですね。
四海:母は本当に強いです。僕がケガしたとき、父は腰が抜けちゃって立てなくなるくらいだったんですけど、母は「私らが泣いたって何も変わらへんやん」って気丈にしていました。退院して僕が引きこもっていたときも、「あんた、悲劇のヒロインぶってるんじゃない!」って言われて。裏では泣いていたらしいんですけど、僕が前を向けるように悪者になってくれた。親としても人としても尊敬しています。
――大切にしている言葉はありますか?
四海:ケガをしてすぐの頃、何かの本で読んだ「世の中のすべてのことは、できないのではなくて、難しいだけである」という言葉です。「自分って完全に全部あきめなくていいんだな」と思えて。今では、難しい挑戦こそ「絶対やったろ」って燃えるんですよね。
――オフの時間の楽しみや趣味は?
四海:アイドルですね! 「iLiFE!(アイライフ)」っていうグループの推し活です。ペンライトを持ってライブに行きます。全日本で東京に行った帰りも推しTシャツを着てライブに行きました(笑)。好きなものには全力です。コールを叫んで「はあ、すっきりしたー!」って、日々の疲れも発散できますし、元気をもらえますね。オンとオフをしっかり切り替えて、また卓球を頑張れます。
メダルの先にある夢
――世界選手権が迫ってきました。今回の舞台、タイ・パタヤを訪れたことはありますか?
四海:パラ卓球では初めてですが、ケガをする前ウェイクボードで行きました。懐かしいですね……。ちょうど新型コロナウイルス感染症が出始めた頃で、現地でヨーロッパの人たちと「COVID-19だ!」と話したのを覚えています。帰国後に学校から遠回しに「来ないでほしい」と言われて、それから中学にほとんど行けなくなっちゃって。でも中学の友だちとは今でも仲が良くて、成人式でも会ったし、オフには飲みに行ったりもします。
――本番を目前にしたいまの気分はどうですか? 目標も教えてください。
四海:これからもっと上の選手と戦う緊張感や不安はあります。自分の心・技・体を、しっかりメダルを獲る選手にふさわしいレベルまで持っていきたい。世界選手権を経て来年は5位以内、そしてロサンゼルスではメダルを目指したいです。
――今後の目標や夢を教えてください。
四海:自分も16歳でケガをして全部諦めてきた経験があるからこそ、同じ境遇で「もう無理だ」って思っている若い子たちに、前を向くきっかけを届けたいんです。「頑張れ」とは言わないけれど、無理せず生きていたらどこかに道はあるし、車いすになったからこそ広がる可能性もある。だから、僕の経験を理学療法士の卵である学生の皆さんにお話しさせてもらったり、講演活動にも力を入れています。そのためにも僕自身が知名度を上げなきゃいけないので、ロサンゼルスやブリスベンで金メダルを獲ることが夢のための過程の目標です。支えてもらった分、次は僕が誰かを支えられるようになりたいですね。
text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda