【TOP PROSPECT】偉大な先輩たちがお手本。アルペンスキーの塚原心太郎が世界の高みにチャレンジ

2025.10.29.WED 公開

パラスポーツ界のスター候補を紹介するシリーズ“TOP PROSPECT(=トップ・プロスペクト。「有望株」の意味)”。今回は、アルペンスキーで偉大な先輩たちの背中を追う塚原心太郎選手を紹介します。「王道の車いすテニスから、マイナーな冬競技」に転向し、パラリンピック出場を目指す19歳。「アルペンスキーで世界が広がった」と語る期待の星に、パラリンピックにかける思いを聞きました。

塚原 心太郎(つかはら・しんたろう)|アルペンスキー
2006年、山梨県生まれ。3歳のとき、交通事故で脊髄を損傷。5歳から始めた車いすテニスに熱中した後、中学3年生で本格的にアルペンスキーのキャリアをスタート。2022年から国際大会に出場し、2024‐2025シーズンのワールドカップ(ドイツ)で回転8位。現在は、パラリンピック出場を目指して奮闘している。ニックネームは「心くん」。

アルペンスキーのレジェンドに魅せられて

――幼いころは、車いすテニスをしていたそうですね。

塚原心太郎選手(以下、塚原):5歳のとき、友人の誘いで車いすテニスを始めました。3歳で事故に遭ってから引きこもりがちで幼稚園にもなじめなかったのですが、車いすテニスで車いすに乗ると「こんなに動けるんだ!」と楽しさを覚えて。地元の山梨のテニスクラブでマンツーマンレッスンを受けたほか、千葉にある吉田記念テニス研修センターにも通いました。コーチと打ち合えるようになり、どんどんハマって行きました。

陸上競技、ボルダリング、カヌーなど、いろいろなスポーツに取り組んできた塚原選手
――体を動かすのが好きだった塚原選手。小学2年生から、アルペンスキーにも取り組むようになりました。

塚原:年に一度、チェアスキーの普及と若手育成に取り組む野島弘さん(トリノパラリンピック日本代表)にゲレンデに連れて行ってもらう機会がありました。当時は『テニスにはない感覚で楽しいな』というくらいの気持ちでしたが、雪上に行く頻度が少しずつ多くなっていき、アルペンスキーを深く知ってみたいと思うようになりました。

――塚原選手がアルペンスキーを始めたころ、アルペンスキーの男子座位日本チームは、ソチ2014パラリンピックで金メダル3個を含む5個のメダルを獲得。世界最強の名をほしいままにしていました。
趣味はゲーム。オフの日は、パソコンの前で何時間も過ごします

塚原:狩野亮さん、鈴木猛史さん、森井大輝さんが活躍したソチパラリンピックはテレビで観ていました。勢いのある3人の滑りにも圧倒されましたが、それ以上に『どうしたらあんなふうに滑れるのだろう』と探求心が湧きました。

初めての海外で、自然の地形を活かしたスキー場に驚かされたといいます
――中学生のとき、ニュージーランド遠征を経験。それがターニングポイントになりました。

塚原:初めての海外でしたし、自分の中で大きな変化があった出来事です。大自然の中でスキーをして、ちょうど同じタイミングでニュージーランドに来ていた大輝さんと一緒に滑りました。みんなと買い物に行って自炊をし、お米以外を食べて生活をするのも初めてでした。

この遠征がきっかけとなり、車いすテニスで思うように結果が出なかったこともあって、アルペンスキーの道に進むことにしました。

用具の費用もかかり、始めるハードルが高い。そんなアルペンスキーで結果を残したいと考えている塚原選手
――今も第一線で活躍する森井選手は、どんな存在ですか。

塚原:大輝さんと初めて会ったのが、そのニュージーランド遠征です。まずは体つきにびっくりしました。そして、なぜあんなに自由にスキーを操作できるのだろうと……見習いたいところばかりでした。自分と障がいの状態も似ているので、体幹の使い方など真似できるところは真似してみようと動画もたくさん見ました。今でも、用具や技術など、わからないことを教えてくれる“頼れる先輩”です。

まだ見えない「パラリンピックの舞台」

――アルペンスキーの魅力はどんなところですか。

塚原:いろいろありますが、一番はさまざまな障がいの選手と競えることです。パラアルペンスキーは、公平に競技を行うため、障がいの種類や程度に応じたファクター(係数)を用い、実際のタイムに補正をかける方式が適応されます。それによって、異なる障がいクラスの選手が同じレースに出場することができる。車いすテニスでは障がいが軽い選手と同じ条件で戦っていた自分にとって、挑戦しがいのある舞台です。
それに、対戦型競技よりも、ひたすら自分の技術を磨いてタイムを競う競技が自分には向いているかもしれません。

――ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会が近づいてきました。

塚原:焦る気持ちもありますが、いきなりいい結果が出ることはありません。まずは、これまでの最高成績であるワールドカップ8位の上をいくこと。回転もしくは大回転で6位以内に入り、パラリンピックの日本代表になることを目標にしていますが、自分のなかでパラリンピックは、まだ見えません。

「今、思うのは、競技に限らず、何年も続けてトップにいる選手の覚悟はすごいということです」
――アルペンスキーで高みを目指すうえで何が必要だと考えていますか。

塚原:今の自分に足りないのは、コミュニケーション能力です。アルペンスキーはやはり用具の調整が大事ですが、疑問があるとき、大輝さんに質問すれば一瞬で答えがわかる。だから、次々と質問をすればいいはずなのに、自分の場合は最初の質問で終わってしまうんです。アルペンスキーを続けていくうえで、それじゃダメなのでなんとか克服したい。コミュニケーション能力をつけることは、人生の課題でもあります。
あと、体重が増えなくて……。とにかく、できるだけ食べるようにがんばっています。栄養指導もしてもらい、ようやく40㎏を維持できるようになってきました。


――塚原選手にとってパラリンピックとは?

塚原:4年に一度の特別な場所ですね。今はレースで滑ることに必死なので、大勢の人に見られて滑ることを考えると……コースや雪に対応できるかを含めて不安はあるし、まだちょっと練習が足りないんじゃないかなと思います。ですが、その挑戦権が与えられたら、しっかりと上位を目指したいです。

19歳になり運転免許を取得。「出かけられるところがぐんと増えました」

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今年、生涯ゴールデンスラムを達成し、スターダムにのし上がった小田凱人と同じ2006年5月生まれ。勝利への自信を口にする車いすテニスのスターとは違って、塚原選手は慎重に目標を口にします。アルペンスキー日本チームの次期エースは、雪上のスピードスターが共演するパラリンピックに初出場を果たせるか、期待が高まっています。

text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda

『【TOP PROSPECT】偉大な先輩たちがお手本。アルペンスキーの塚原心太郎が世界の高みにチャレンジ』