現役サッカー選手が農園の園長に。アルビレックス新潟・谷口海斗選手が野菜を育てる理由
サッカー選手が農業に従事する。そんな例を耳にすることも増えたが、自ら農園の園長を務める選手がいることはあまり知られていないだろう。
Jリーグ・アルビレックス新潟のFW(フォワード)の谷口海斗選手は、4年前から自身の名前を冠する「谷口農園」の園長として、野菜や果物を育てている。その活動は多くのサポーターや地元民に支持され、昨年には小学生を招いた苗植え体験も開催。野菜を通じて「食べることの大切さ」を伝える取り組みは、いまや子どもたちの食育へと広がっている。
サッカー選手でありながら農園の園長を務めることになった意外な理由、そしてスポーツを超えて地域に届けたい想いを伺った。
始まりは「水やりしたことあります!」の一言だった
新潟県をホームに長く活動しているプロサッカーチーム・アルビレックス新潟。「谷口農園」は、そのクラブハウスの駐車場の一角にある農園だ。園長を務めるのは、谷口海斗選手。2021年にアルビレックス新潟に移籍し、もともと農業の経験もなかったという谷口選手は、なぜ農園の園長になったのだろうか。
プロ1年目のとき、当時J3リーグに所属していた盛岡のクラブでプレーしていたという谷口選手。サッカーだけでは生計を立てられず、ホテルで住み込みのアルバイトをしながらプレーを続けていたという。
アルビレックス新潟に移籍して間もない頃、当時のエピソードをスタッフに話している中で発した「花壇の水やり経験がある」という何気ない一言がきっかけで「農園をやってみないか?」という話が持ち上がった。コロナ禍にあった当時、クラブハウスでの練習を公開できない中で、広報が選手たちのピッチ外の様子をサポーターに紹介したいと思案している状況だったそうだ。
最初は駐車場の隅にあった小さな花壇に野菜を植えるところからスタートした。経理や広報スタッフに手伝ってもらいながら、ゼロから野菜作りに挑戦。映像バラエティコンテンツとして人気を博し、現在は5年目を迎えた。
少々こじつけ感のあるスタートとも思えるが、これまでアルバイトを含めていろいろな経験をしてきた谷口選手にとっては、特に抵抗はなかったという。
「選手として試合で成果を上げてアピールすることはもちろん大切ですが、なんでも一生懸命やろうという気持ちで取り組みました。始まりはほぼ勢いでしたね(笑)」と振り返る。
新潟は、言わずもがな農業が盛んで、米や野菜・果物の農家がたくさん住んでいる地域。活動を通してクラブがより地域に親しみを持ってもらえる存在になればと願い、農園を続けてきた。
野菜のおいしさと、周囲の喜ぶ顔がモチベーションに
いま谷口農園で育てているのは、トマト、なす、枝豆、スナップエンドウ、きゅうり、ジャガイモ、しそ、バジル。谷口選手が自身で収穫した野菜は、調理して選手たちや地元の人々に振る舞う。とれたてのジャガイモで作るポテトチップスは、普段は揚げ物や添加物を控えている選手たちの間で「合法ポテトチップス」と呼ばれ、ヘルシーでおいしすぎると大人気だ。「自分で作ったとは信じられないくらい、とにかく野菜が美味しくて。メンバーも喜んで食べてくれるので、モチベーションになっています」と谷口選手は笑う。
谷口選手が野菜作りに奔走する様子は、アルビレックス新潟の有料会員サイトやYouTubeで動画コンテンツとして公開されており、楽しみにしているファンも多い。「谷口選手がぽつりぽつりと喋りながら農作業をする様子がクセになる」「選手たちのオフの姿が垣間見える」というのがその理由だ。
クラブハウスの入口近くに農園があるので、スタッフやチームメイトも作物の様子を気にかけてくれるという。「おい、あれ枯れてんぞー(笑)」「雑草生えてるじゃねえか」と谷口選手をいじりながらも、毎年の収穫を楽しみにしているのだ。
谷口農園は、コンテンツとして選手たちの素顔を見せることで、サポーターとの距離を縮める役割も果たしている。
応援される選手になるために、サッカーも農園も手を抜かない
「ちょっとしたスペースで行っているものなので、農業と呼んでいいのかわからないんですけど(笑)」と謙遜しつつ、実際にやってみてわかった農作業の大変さもあった。1ヶ月間雨が降らなかったときには、作物がうまく育たずに苦戦したが、地元の農家の方が「うちの野菜はこんな感じだったぞ」と声をかけてくれたり、アドバイスをくれたりしたのだそうだ。
サポーターの方や地域の方にも、谷口農園は親しまれており、谷口選手のことを「園長」という愛称で呼ぶサポーターも多い。「本業はサッカー選手なのに……とも思うのですが(笑)、谷口農園をきっかけにたくさんの方が話しかけてくれるのは、素直に嬉しいです。園長としての僕を入り口に、サッカーに興味を持ってもらえるのは良いことですし、そのために自分にできることがあるのであれば。もちろん、一番はサッカー選手として実力で示すのが理想ですが、多方面で知っていただき、応援される選手になることに意味があるのだと思います」と谷口選手は話す。まるで近所のお兄さんのように明るく、冗談好きで気さくな人柄も、周りの人から愛される理由のひとつなのだろう。
もともと農園を始めたきっかけは、谷口選手自身の強い想いではなかった。しかし、谷口農園がだんだんと地域に溶け込んでいく中で、その存在自体が地域貢献につながっているのだと実感できるようになったという。
子どもたちと取り組む食育プロジェクトで、彼らから得たもの
また、2024シーズンにはホームタウンである新潟市と連携した食育プロジェクトを実施するなど、食育にも力を入れている。谷口選手が取り組んだのは、地域の児童館での野菜作り。子どもたちと肥料を作り、野菜を植えて、収穫するところまでを一緒に行った。
「僕とのコミュニケーションを通して、新たな世界を知って、夢を持つきっかけが少しでも生まれたら」と谷口選手。実際に参加した子どもたちの中には、一緒に農作業をしたことで谷口選手を知り、その後初めてスタジアムに足を運んでくれた子もいたそうだ。
逆に、谷口選手が子どもたちから得たものも大きかった。彼らの中には、日頃から学校や家庭で農作業を行っている子も多く、水やりのタイミングや収穫のコツを教えてもらうこともあったという。「子どもたちの純粋さや、真剣に畑に向き合う姿に胸を打たれました。積極的な姿勢を見て、本当に農作業が好きなんだなと伝わってきましたね」
いま、米の高騰など食に関するさまざまな問題が取り沙汰される中、子どもたちが食に興味を持つことは、大きな意味を持つ。自分で作った野菜を食べるという経験を通して、食べることの大切さや、食の未来について考えるきっかけになってほしいと谷口選手は言う。
「谷口農園」を通して見せたい、チームのあるべき姿
ひょんなことから始まった「谷口農園」。「世界の谷口農園」(2024シーズン)というふうに、シーズンごとに枕詞のようなものがついているが、今シーズンは「さいごの谷口農園」と名付けられている。谷口選手曰く「さいごのつもりで頑張ろう」という思いが込められているというが、その真意はわからない。
「来シーズン以降の谷口農園がどうなるかは、正直僕にもわかりません(笑)。いまに集中したいタイプなので、サッカーについても農園についても大きな野望とかはなく、やれることをやっていった結果、何かに繋がっていけばいいなと思っていて。いまはとにかく、サッカー以外にも自分にできることがあるのが嬉しいですし、谷口農園は、皆さんにもチームのあるべき姿を見てもらえるいいきっかけになっていると思います」
「これからも地域とつながり、挑戦を続けていきたい」という谷口選手の想いは、サッカーと農業という2つのフィールドを超えて、確実に地域の未来へと広がり続けている。
text by Miu Tanaka(Parasapo Lab)
写真提供:(株)アルビレックス新潟






