選手の体の一部として記録向上を支える! 陸上競技用車いす「レーサー」進化の歴史

選手の体の一部として記録向上を支える! 陸上競技用車いす「レーサー」進化の歴史
2021.04.23.FRI 公開

まるでモータースポーツのような迫力とスピード感が魅力の陸上競技の車いす種目。記録の向上にはアスリートの身体能力だけでなく、車いす側の進化も欠かせない。例えば1988年のソウルパラリンピックの400mでの優勝タイムは59秒02(クラス:4)だったが、20年後の北京パラリンピックでは45秒07(T54)まで短縮されており、アスリートの努力と用具の進化が合わさったことによる結果といえるだろう。レーサーと呼ばれるこの競技用車いすの進化について、陸上競技選手としてアテネ大会とロンドン大会の2度パラリンピックに出場し、オーエックスエンジニアリングで開発にも携わっていた花岡伸和さんに聞いた。


競技用車いすの“素材”も進化

第1回大分国際車いすマラソンが開催されたのは1981年、当初はまだ生活用の車いすがほとんどだった。その後、ハンドリム(※1)が小さく、軽さを意識した競技用車いすが開発される。

ハンドリムが小さくなると、生活用車いすがギアの1速だとしたら3速や4速で走っているようにスピードが出ます。その分、漕ぎ出しには力が必要になります!

※1 ハンドリムとは、車いすの車輪外側に取り付けられたリングのこと。ここを手で回転させ、車いすを操作する。
1981年に開催された第1回大分車いすマラソンには、4輪の車いすに乗った選手たちの姿が photo by 社会福祉法人 太陽の家

競技用車いすが4輪から3輪になったのは80年代の後半になってから。フレームの素材はクロモリと呼ばれる鉄が主流だった。

私が初めて乗った競技用車いすもクロモリ製でした。複雑な形状で軽さと剛性も求められるため、細身のパイプをトラス(はしご)状に組み合わせていました。

その後、フレーム素材はより軽量なアルミが主流となり、90年代にはカーボン製も登場。軽いだけでなく、振動吸収性にも優れたカーボン製のフレームは、とくに長距離を走る競技では大きな効果を発揮した。

モデルチェンジを経て、1999年に発売されたオーエックスエンジニアリングのアルミ製レーサー photo by OX ENGINEERING
オーエックスエンジニアリングから2015年に発売されたカーボン製レーサー photo by OX ENGINEERING

高速で走る競技用車いすは、ハンドリムを漕ぐのは一瞬。慣性で転がっている時間が長いので、振動を吸収してエネルギーを殺さずに進めるカーボンのメリットが活きるのです。


素材だけでなく”フレーム形状”も進化

進化したのはフレーム素材だけではない。フレームの設計も、クロモリ時代の細いパイプを組み合わせた形状から、太い1本のパイプを使ったものに進化した。

個人的には素材よりもフレームワークのほうが変化が大きいと感じました。見た目の形状だけでなく、オーエックスエンジニアリングではフレームの断面形状も縦楕円からおにぎり型、ひょうたん型、モナカ型と進化させていました。

2012年のロンドンパラリンピックは、オーエックスエンジニアリングの市販カーボンレーサーで車いすマラソンに出場。5位に入賞した花岡伸和さん photo by X-1

フレームの長さも、選手によって好みが分かれる部分のよう。その長さに合わせてフレームのどの部分で選手の体重を受け止め、分散させるかなど設計も異なってくるという。

私は短いフレームが好みでした。長くなると剛性バランスが難しくなる気がして。3輪の乗り物でコーナーを曲がると、必ずねじれが発生するので、フレームがしなってくれるほうが感覚に合いましたね。


効果の大きかった”ホイール”の進化

当初はスポークホイール(※2)だった車輪も、90年代前半にはカーボンコンポジット(炭素繊維強化炭素複合材)のスポーク本数が少ないものに。そして90年代中頃にはカーボンのディスクホイール(円盤状のホイール)へと進化した。

機材の進化で一番大きく変わったと感じたのがホイールです。カーボンホイールになったときはビックリするくらい変わりました。

カーボンディスクホイールのメリットは、軽量で空気抵抗が少ないことというイメージがあるが、競技用車いすの場合、むしろホイールが一体となっていて剛性が高いことのほうが大きなメリットだとのこと。2つの車輪が横に並んでいる車いすの場合、ディスクホイールはトンネル構造になるため空気抵抗はむしろ大きくなるのだとか。

※2 スポークホイールとは、車輪の中央に向けて何本も細いワイヤーが張り巡らされたホイールの種類。
2002年にフルカーボンボディの車いすレーサーの試作車を製作したのがホンダ太陽。車いすマラソンのベテラン・山本浩之はホンダグループのカーボン製レーサーで世界と戦っている=大分車いすマラソン2020 photo by X-1

ホイールに直接力を加えるので、剛性が高く、慣性がつきやすいディスクホイールの効果が大きいんです。この点は競技用の自転車などと異なる点ですね。


フレームの進化で”漕ぎ方”も変わる

フレームがアルミからカーボンに進化したことで、選手の漕ぎ方も変化。

カーボンフレームになって漕ぎ方を変えました。体全体をダイナミックに使うより、体幹を固定して腕を回転させるイメージ。フレームが進んで行くのを邪魔しないようなフォームです。

逆に体をダイナミックに動かし、1回ずつの漕ぎに力を込めるタイプの選手の中には、カーボンフレームが合わず、力の逃げにくいアルミ製に戻す人も。花岡さんもカーボンフレームに変えて直線でのスタートはうまくいかないと感じたこともあるとか。微妙な力のかけ方が違ってくるよう。

トラック種目における実力者の樋口政幸は、東京パラリンピックが1年延期となった期間でフレームをカーボン製からアルミ製に戻したとか=東京陸協ミドルディスタンス・チャレンジ2021 photo by X-1

体を大きく動かすと、車体の真ん中がたわんでホイールの角度にも影響を与えます。人によって出力の左右差もありますし、大きな力を必要とするスタートでは、そのことで違和感が出たのかもしれません。


“ポジション”はミリ単位で調整する

選手が乗るポジションも進化を続けているポイントだ。当初は生活用の車いすと同じく足を前に出すスタイルだったが、90年代頃から正座のように、ひざを下にするポジションに。障がいの程度によって、個人差がある部分でもある。

いくら良いフレームでもポジションが良くないとタイムは出ません。とくにひざの位置は5mm高さが変わったら大変な違いというくらい大切なものです。

1999年の大分国際車いすマラソンで1時間20分14秒という今でも続く世界記録を樹立したスイスのハインツ・フライはひざの位置が高かったことから、一時期は多くの選手がそのポジションを真似たとか。

世界記録を保持するスイスのハインツ・フライ(右)=ロンドンマラソン2020 photo by Getty Images Sport

あのポジションは胸から下の体幹が使えないというハインツ・フライ選手の残存機能に合わせたもの。形だけ真似ても速くなるわけではありませんでした。選手にとって車いすは乗り物というより体の一部ですから、一人ひとりに合わせることが重要なんです。

選手とレーサーが一体となって初めて生まれる好記録。その裏にある、用具の進化に注目してみてはいかがだろうか。


■教えてくれた人 花岡伸和(はなおか・のぶかず)

1976年大阪府生まれ。高校3年生のときにバイク事故で脊髄を損傷し、車いす生活に。1994年、競技として車いすマラソンを始める。2002年にトラック1500m日本記録、フルマラソン日本最高記録を樹立。2004年アテネパラリンピックに出場、マラソン(T54)で日本人最高位となる6位に入賞。2005年〜2011年までオーエックスエンジニアリングに勤務。2012年のロンドンパラリンピックに出場した後、第一線から退き、後進の強化育成に務める。2013年より日本パラ陸上競技連盟副理事長。

現在は、後進の強化育成に務めているパラリンピアンの花岡伸和さん

text by TEAM A
key visual by X-1

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