パラリンピック金メダリスト エディナ・ミューラーが語るドイツのパラスポーツ事情

2018.07.19.THU 公開

ドイツが誇るスーパーアスリート、エディナ・ミューラー(Edina Müller)。2012年のロンドンパラリンピックでは車いすバスケットボールで金メダルに輝き、2年後に転向したカヌー(KL1)では2016年のリオパラリンピックで銀メダルを獲得した。
ドイツ人アスリートにとっての最高栄誉賞で、2014年にサッカーW杯で優勝したドイツ代表チームも受賞した「The Silver Laurei Leaf」を3度も授与された彼女は、どんな競技環境にあるのだろうか。「障がい者スポーツの先進国」とも言われるドイツのパラスポーツ事情についてインタビューした。


―― 競技を始めたきっかけを教えてください。

エディナ・ミューラー(以下、ミューラー)  私は2000年に事故に遭い、車いす生活になりました。下半身にまひが残っても、私の住む地域には、車いすテニス、シッティングバレーボールなど、さまざまなスポーツに挑戦できる環境がありました。ドイツでは、同じ障がいの”先輩”が受傷間もない人にカウンセリングを行うプログラムがあったり、フェアアインという地域に根差したスポーツクラブもあって、もしかするとスポーツを始めやすい環境が整っているのかもしれません。

私はというと、事故の前までバレーボールをやっていたので、始めはシッティングバレーボールにトライしましたが、腹筋が効かない私にはシッティングバレーボールは合いませんでした。最終的に、大学で勉強しながら2003年から始めた車いすバスケットボールを続けることにしました。

車いすバスケットボールで金メダル獲得後、カヌーに転向。挑戦を続けるミューラー

―― 現在は、どのようなかたちで競技生活をされているのでしょうか?

ミューラー  私は企業*で雇用してもらって、競技生活を続けています。ふだんは半日は仕事をして、もう半日は練習というかたちです。合宿で長期間職場を離れることもあります。
*2012年から、ハンブルク市の労災リハビリテーション病院(BGハンブルク)でスポーツセラピストとして勤務。障がいを負って間もない人々に対し、スポーツ体験を通じた社会参加の促進に取り組んでいる。

―― その企業は障がい者スポーツに理解があるのですね。

ミューラー  もともとは私が車いすバスケットボールの選手だったということで理解してもらっていました。幸いなことに、カヌーに転向した際も、「引き続きサポートしていきますよ」と理解を示していただきました。

―― そうした企業の理解がなければ、やはり競技生活は難しいのでしょうか?

ミューラー  そうですね。いくら競技をやりたいと思っても環境がなくてはできませんので、こうした企業の支援のおかげで競技を続けられています。

―― 雇用のほかには、どのような支援を得られているのでしょうか?

ミューラー  ほかにはスポンサーですね。その点においては、車いすバスケットボールをしていたときと、カヌーに転向してからはガラリと変わりました。車いすバスケットボールでは、すでにチームにスポンサーがついているので、選手はユニフォームや用具など、バスケットボールをするためのものはほとんどすべてそろえてもらうことができるんです。
でも、個人競技であるカヌーではそうはいきませんので、ボートやパドルなどの用具を買ったり、合宿をしたりするための費用を支援してくれるスポンサーを個人的に見つけなければいけません。

リオパラリンピックから正式競技となったカヌーに出場 ©X-1

―― ミューラー選手も、スポンサー探しに奔走されたのでしょうか?

ミューラー  私にはもともと小さなスポンサーがいくつかありました。ただ、それだけでは賄いきれないので、競技を続けるためにどうしようかなと思っていたんです。私が幸運だったのは、拠点がハンブルクだったこと。おそらく大企業も多い大都市だからだと思うのですが、ハンブルクではオリンピック選手のスポンサー活動というのが非常にうまくいっているんです。そうしたオリンピック選手とのつながりによって、私もうまくスポンサーを見つけることができました。競技を続けるうえで、それが何より大きかったですね。

―― 最後に、そうした支援を得ながら目指す東京パラリンピックへの意気込みをお聞かせください。

ミューラー  リオが終わるまでは、次の東京のことはまったく考えていませんでした。でも、リオの閉会式で「次は東京です」というのを聞いて、「じゃあ、東京も目指してみようかな」と思ったんです。

今は東京に向けてトレーニングを積んでいますが、目標を金メダルというふうには決めていません。とにかく目の前の課題を一つひとつクリアしていくこと。そうしていく中で2年後、自分がどのような目標を立てるべきかを見極めていきたいと思っています。

東京パラリンピックを見据えて語る

~リオでの銀は「悔しさ」ではなく「誇り」~

2008年の北京パラリンピックで銀メダルだった悔しさを晴らし、2012年のロンドンパラリンピックで悲願の金メダルに輝いた車いすバスケットボール女子ドイツ代表。その主力の一人として活躍した。

その後もバスケットボールを続けたが、転機が訪れたのは2014年だった。偶然出会い、楽しさを感じたカヌーに転向。しかし、最初からパラリンピックを目指していたわけではなかった。「まずは楽しむことが優先で、国内大会に出てみよう、1回戦に勝ちたい、というような小さな目標から始めた」という。すると、予想以上のスピードで次々と目標を達成していくうちに、いつの間にか“世界への扉”は彼女の手の届くところにあった。

「この競技でも上を目指せるのかもしれない」

そんな気持ちが少しずつ強くなり、パラリンピックへと向かっていったのだ。

カヌーで日本人唯一のパラリンピアンである瀬立モニカは、ミューラーの強さをこう語る。
「何より軸がブレないところ。パドルを漕ぐ動作もコンパクトで無駄なエネルギーを使っていないところが彼女の強さだと思います」

この言葉を受けて、照れ笑いを浮かべながら、ミューラーはこう自己分析した。
「実は私、スタートは遅いんです。ただ、そこからトップスピードに持っていくまでが速いのだと思います。それと、ほとんどの選手が(200mのうち)150mくらいからスピードが落ちていくのですが、私は終盤までトップスピードを維持できる。それが強みなのかなと思っています」

東京パラリンピックの金メダル候補エディナ・ミューラー ⓒ Matthias Buchholz

カヌーがパラリンピックで初めて実施されたリオでは、0.114秒差で金メダルに届かなかった。数ヵ月前の世界選手権で優勝していただけに、悔しさが募ったに違いない。それでも、ミューラーは「銀メダルは最高の結果」と語った。
「もちろん、ゴール直後は悔しいと思いました。でも、すぐにそれは誇りに変わりました。ロンドンのときの金メダルには決して劣っているとは思いません。なぜなら、どちらも全力を尽くしてメダルを獲れたことに変わりはないからです」

東京パラリンピックの金メダル候補、エディナ・ミューラーは、しなやかな強さを持つ自然体のアスリートだった。

text by Hisako Saito,Parasapo
photo by Mariko Mibu

▼東京2020パラリンピック競技・カヌー
https://www.parasapo.tokyo/sports/canoe

▼東京2020パラリンピック競技・車いすバスケットボール
https://www.parasapo.tokyo/sports/wheelchair-basketball

『パラリンピック金メダリスト エディナ・ミューラーが語るドイツのパラスポーツ事情』