「見えない」中での生活は?仕事は? ブラインドスケーター大内龍成のリアルライフに学ぶ「今」を生きる力
視野のほとんどを失ってもなお、スケートボードの最前線で挑戦を続ける大内龍成さん。前編では、ブラインドスケーターになるまでの軌跡について紹介した。後編では、鍼灸師として社会と向き合い、一人のスケーターとして世界と繋がった大内さんのリアルライフから見えた「今」を生きる力について探る。大内さんの恐怖心との向き合い方、独自のロジック、見据える「共生社会」の未来へ向けた想いについて語ってもらった。
大内さんのスケートボードの様子を動画で!
積極的に周囲に伝えていくことで、スケートボード活動もスムーズに

――日常生活についてお伺いします。小学一年生の時に発症した進行性の目の病で、現在は視界の95%を失っているとのことですが、生活する上で何か工夫していることはありますか?
大内龍成(以下、大内):基本的には、何事も経験を重ねることで工夫できるようになりますし、できることも増えていきます。メディア出演を含めた社会人生活にもだいぶ慣れてきたので、何かを特別に工夫するというよりは、周囲の大切な人たちからのサポートもあり、心にゆとりが生まれてメンタルが安定したことが大きいですね。

――スケートボードをする際の工夫や、周囲に意識して伝えていることはありますか?
大内:スケートパークで初めて会う人には、「目が悪くてあまり見えないので、変な動きをしてしまうかもしれません。迷惑をかけることもあるかもしれませんが、よろしくお願いします」と最初に伝えるようにしています。これを言うか言わないかで、反応が全然違いますね。悪気がなくてもぶつかってしまうことはありますし、それで「見えないからわかってくれ」というのは、都合のいい話ですから。昔は言うのが恥ずかしくて嫌でしたけど、相手に嫌な思いをさせるくらいなら、先に伝えた方がお互い気持ちよく滑れる。すると相手も理解してくれるし、逆に応援してくれたり、SNSを交換してコミュニティが広がったりもします。精神的な余裕があると、物事が自然と好転していくんだなと実感しています。
――コミュニケーションをとることが大切なのですね。
大内:共生社会の話にも繋がりますが、障がい者側からコミュニケーションをとっていくのも大切だと思っています。健常者側に「何かしたい」という気持ちはあっても、具体的にどうすればいいか分からない人も多いはずです。だから僕の方から、「ミスしてボードが飛んでしまった時、近くなら音でわかりますけど、遠いとわからなくなるので、気づいたら拾ってもらえるとありがたいです」とか、「もし迷ってそうだったら、声をかけてください」「今度パークで会ったら、名前を言ってもらえると分かりやすくて助かります」といったことを具体的に伝えるようにしています。
白杖を手にスケートボードに乗る

――スケートボードに乗る時に使用している白杖は、普通の白杖と何か違うところはあるのでしょうか?
大内:全くそういうことはなく、歩く時も滑る時も同じものを使っています。分けていた時もありますが、先端の削れ具合などで地面から来る振動が変わるので、スケートボードをする際の繊細な感覚にもズレが出てくる気がして。自分は常に同じ感覚でいたいんですよ。でも滑っている時に折れることもあるので、常にスペアは持ち歩いています。
――スケートボードで使っていると、白杖への負担も大きそうですが……
大内:はい。実際たくさん折れますね。月に1回は間違いなく交換しています。業者の方にも「一体、どんな歩き方しているんですか?」って言われましたからね(笑)。それでも自分が使っているのは一番強度が強いモデルで、防弾チョッキに使用されているものと同じ特殊なセラミックでできていて、よくしなって折れにくいという特徴があります。そういうものでなければスケートボードはできません。一般の視覚障がいのある方だったら、交換頻度はだいたい年に1〜2本だそうなので、ハードに使っているとは思います。
「ゾーンに入る」ことも。やりがいのある鍼灸師の仕事

――現在は鍼灸師としても働いていらっしゃいますが、今のお仕事について教えてください
大内:普段は新所沢にある「陶板浴ルミアン」という職場で、週5日、正社員として働いています。学生時代、大学の調査に協力した時に、僕の手の触覚が同世代の平均の11.3倍あることがわかりました。そのおかげか一日中色々な人の身体を診て集中力が高まってくると、ただ揉んでいるというより、その人の身体に自分が入っていくような不思議な感覚になるんです。背中や腰に触れていると、自分がその中に入り込んでいるような……。よく言う「ゾーンに入る」という状態ですね。その感覚で施術をすると、皆さん本当に喜んでくれます。スケートボードは仕事が終わった後、時間や体力がある日に行くことが多いですね。
――社会に出てから、成長したと感じることはありますか?
大内:治療の専門家としての責任感、求められることに応えて進化し続けなければいけない、という意識が強くなりました。これはスケートボードも同じで、「求められたら応えたい」一心なのかもしれません。あとは本当にいろいろな人に助けてもらっていることもより身近に感じるようになりました。身についたものは何かと聞かれたら、「感謝」と「責任感」ですね。
社会人スケーターとしての進化

――社会人になって、スケートボードとの向き合い方に変化はありましたか?
大内:練習の「質」を考えるようになりました。学生時代と違って、練習できる時間は限られています。スケートボードはその日の体調やモチベーションで技の調子も変わるので、そこで闇雲にやり込むのではなく、「今日はこの技を練習しよう」とか、冷静にベストな選択肢を選べるようになってきたと思います。
会社の人たちも応援してくれていますし、SNSのコメントも温かいものばかり。今は自分が上手くなりたいという気持ちだけではなく、応援してくれる人たちの存在を感じながら練習しています。良いトリックが決まったら、「イベントだったら、お客さんは喜んでくれるかな」など、見てくれる人のリアクションを想像しながらやるようになりました。プロスケーターの気持ちが、少しだけ分かったような気がします。会社も「活動で忙しくなるなら、勤務日数を減らそうか?」と提案してくれますし、社会人アスリートとしての地盤が固まってきた感触はありますね。
見えない中でのスケボー。その恐怖とどう向き合う?

――通常でもスケートボードに恐怖心はつきものですが、視覚情報がない中で、その恐怖とどう向き合っているのですか?
大内:僕も怖くないと言ったら嘘になります。でもスケーターは皆、その恐怖も含めて楽しんでいるんだと思います。スケートボードって、乗ったことがない人からすれば危なっかしい乗り物ですよね。それに視野を失った僕が乗ってトリックを仕掛けるなんて、想像を絶する挑戦に見えるかもしれません。「神業だ」と言ってくれる方もいますが、自分の中ではもっとロジカルなもので、「ここからアプローチして、こう進めば目標に到達できる」という確実なロジックがあります。僕はそのルートを頭と身体に叩き込んでいるだけです。「これくらい踏み込めば、ちょうど対象物の高さに掛けられるな」というのを計算して実践する。この考え方は、目が見えていたら絶対にしていなかったでしょう。だからマジカルに見えて意外とロジカルなんです。
でも初めて行くスケートパークの場合、距離感、対象物の高さ、路面の状況まで全てが違うので、それを一つひとつ確認しなければいけません。だから健常者と比べたら、「トリックの成功」というゴールは遥かに遠い。でも、どれだけ苦労しても、トリックが成功した瞬間に全てが報われます。これこそ、健常者も障がいのある人も全く変わらない、スケーターのアイデンティティだと思います。
世界のアーバンスポーツフェスが見せてくれた理想の形

――最近では海外のコンテストにも出場されたそうですね。
大内:はい、スペインのヴィーゴで開催された「オマリスキーニョ」というアーバンスポーツのフェスティバルに招待していただきました。そこでは「アダプティブスケートボーディング(障がいのある人々がスケートボードを楽しむための取り組み)」が確立されたジャンルになっていて、義足のスケーターやハンドスケーター、ヨーロッパのブラインドスケーターも集まりました。僕はそこで3位になることができたのですが、イベント自体すごく盛り上がって、障がいの壁を感じることもなく心から楽しめました。新たな繋がりもできましたし、僕が将来やっていきたいことの理想形が詰まっていました。
ブラインドスケーターとしてのこれから

――将来、スケートボードとどう関わっていきたいですか?
大内:とにかく、スケートボードに乗り続けたいです。今の僕は、スケートボーダーであり、障がい者でもある。それぞれの立場で求めてくれる人がいるので、やるべきことは多いと感じています。そのためにも、まずは自分が滑り続けること。自身のライディングをまとめたビデオパートも残したいし、また「オマリスキーニョ」のようなコンテストにも出たい。それに、デフスケーター(聴覚障がいのあるスケーター)やハンドスケーターたちを集めた交流会も日本でやりたいです。それも障がい者だけにスポットが当たるのではなく、健常者も一緒に楽しめるように。あとはブラインドスケーターとしての経験を、講演などを通じて一般の方々にも伝えていきたいです。
――最後に、これから何かを始めたい人へメッセージをお願いします。
大内:打ち込めることに本気になって、頑張ろう! ということですかね。僕はスケートボードに乗りたいから、これからも乗り続けます。世の中には、色々な理由をつけて諦めてしまう人も多い。でも、「そんなことは関係ないんだ」ということを、障がいのある僕が動き続けることで感じてもらえたら嬉しいし、そんな見本になりたいです。誰かが新しい一歩を踏み出すきっかけになりたい。もし同じビジョンを持つ人がいたら、ぜひ一緒にやっていきたいです。
大内さんのかつての激情は今、静かな自信へと昇華された。恐怖を「ロジック」で解き明かし、失われた視覚を「研ぎ澄まされた感覚」へと転換する彼の成熟した視線は、自身の成功の、さらにその先を見据えている。彼が白杖とスケートボードで描くラインは、単なる滑走の軌跡ではない。それは多様な人々が交差する「共生社会」という未来の景色へと、着実に繋がっている。逆境を強みに変えた彼の言葉と滑りからは、まさに「今」を生きる力が感じられた。
PROFILE 大内龍成(おおうち・りゅうせい)
アダプティブスケートボーダー・鍼灸師
2000年生まれ、福島県郡山市出身。進行性の目の病気「網膜色素変性症」により現在までに視界の95%以上を失っている。中学時代にスケートボードと出会うが、病状の進行とともに絶望し、”見えているふり”をする時期も経験。同じ病気のスケーター、ダン・マンシーナの存在に勇気を得て、「降りなければ、ずっとやれる」と本格的にブラインドスケーターとしての活動を再開。現在は鍼灸師として働く傍ら、研ぎ澄まされた感覚と独自のロジックを武器に挑戦を続け、2025年8月にスペインで開催された国際大会「オマリスキーニョ」では3位に入賞。自身の経験を通して「共生社会」の実現を目指している。
text & photo by Yoshio Yoshida(Parasapo Lab)






