外国人選手12名の野球チーム、北海道・旭川ビースターズ。多様性のあるチームと地域の暖かいつながり

野球が盛んな国と言えば、真っ先に挙がるのは競技が生まれた国であるアメリカ、そして日本はもちろん、韓国、台湾、そしてキューバなど中南米の国名も挙がる。北海道の独立リーグに加盟する旭川ビースターズには、大谷翔平選手がSNSで応援するカスンバ・デニス選手をはじめ、近年野球界から注目のウガンダ(4選手)、スロベニア、オーストリア、アルゼンチン(2選手)、ベリーズ、韓国、台湾、アメリカの8カ国から計12人の選手が在籍、プレーしている(チームの約半分が海外勢)。選手の多様性という観点から言えば、かなりバラエティに富んでいると言えるだろう。選手たちはなぜ旭川を目指してくるのか? それは旭川と関係の深いある選手の功績があるという。同球団の営業本部長・平亮氏に話を伺った。
※本記事は2025年7月時点の情報をもとに掲載しています。
野球選手として高いポテンシャルを秘めたウガンダ選手の受け皿に

photo by AP/AFLO
旭川市に関係の深い野球選手と言えば、ヴィクトル・スタルヒン選手だ。ロシアで生まれ、幼い頃に親に連れられて日本に亡命。旭川で育ち、後に日本プロ野球初の300勝を達成する名投手となる。
「旭川で“スタルヒン”といえば、その名がつけられたスタルヒン球場を皆が思い浮かべます。素晴らしい成績を収められたのは、もちろんご本人の才能によるところも大きかったのでしょう。ただ、亡命者としてどこの国の国籍も持てないような厳しい環境の中で名を残すことができたのは、当時の旭川の人々が深い懐でスタルヒンさんを守って支えたからでもあったようなんです。このことは比較的最近知りました」
と語るのは、自身も旭川で生まれ育った旭川ビースターズ営業本部長の平氏。学生時代は野球部に所属し、「地元野球の憧れの聖地」スタルヒン球場で野球をすることが目標だったという。
「多くの海外選手の入団を受け入れるのは、そういったスタルヒン選手にゆかりのある旭川という地の歴史や伝統を重んじているためです。また、現在指導にあたる土肥翔治監督、田中勝久コーディネーターがJICA海外協力隊でウガンダに派遣され野球を教えていたことも大きいですね。ウガンダをはじめとするアフリカ地域は、まだまだ野球文化が根付いているとは言いがたいのですが、最近ではあのドジャースがウガンダ出身の選手と契約をしたという話もありますし、これから伸びる地域として大いに期待されています。我々としても、そんな地域の選手の受け皿になりたいという気持ちがあります。他の球団がしていないなら、国際的な関わりを重んじる旭川がやるべき! 何よりロマンを感じてなりません。実際、ウガンダ出身選手のポテンシャルはずば抜けたものがあり、野球やスポーツを経験した者ならその伸びしろの大きさに魅了されると思います」(平氏、以下同)
野球以外で、地域とのつながりが深まるという意外な付加価値

海外から選手を受け入れるにあたっては、まず生まれ育った国と日本との文化の違いなど、いくつかのハードルがあるように思う。受け入れる側としては、どのようなことに留意しているのだろうか。
「海外からの選手は、寮に入ってもらいそこで他の選手と生活を共にします。JICAの派遣でウガンダに長く暮らした経験もある田中コーディネーターに寮での生活をサポートしていただきながら、選手たちには徐々に日本の生活、日本の様々な作法に慣れていってもらいます」
ひと口に海外からの選手と言っても、生まれ育った地域の環境はさまざまだ。日本の食べ物などにキラキラと目を輝かせ、積極的に外に出て行く人もいれば、自分からはなかなか他人に働きかけられない人もいる。かと思えば、お兄さん的なキャラで、日本の子どもたちと遊ぶのが上手で、寮母さんと仲良くなって個人的に自宅に呼ばれるなど、野球以外で地域の人々との交流を深めている選手もいるのだという。
「海外からの選手たちは、車も持っていないので基本的には徒歩や自転車での移動なのですが、SNSなどで連絡を取り合って、ホームパーティに招待されたり、子ども食堂をやるので来てほしいと言われたり、交流の場ができていることが嬉しいですね。せっかく旭川に来てくれたのですから、野球だけやって帰ってしまうのは残念だと思います。勝負事は、勝った・負けた、活躍した・活躍していないという判断になりがちで、その都度、感情的にも複雑です。しかし、地域の催しや球団で行うイベントは勝ち負けに関係ないですから、間違いなく市民のありがたい反応がもらえるので、選手はもちろんのこと、球団としても大事だと考えています。旭川市の抱えるいじめや教育などの課題にも彼らとの交流は大きな意味があると思うのです。人生観がまるで違う世界の暮らしや道徳は、子どもから大人まで素晴らしい勉強と気付きを与えてくれると思います」
ビースターズでの経験を母国の発展に活かす

北海道で野球と言えば、トップに位置するのは北海道日本ハムファイターズ。そして、旭川ビースターズのような独立リーグと言われるカテゴリのチームは、北海道には6球団(2025年度)ある。旭川ビースターズは、地域とのつながりを重要視しているということだが、それも含めて球団の存在意義は、どのようなところにあると考えているのだろうか。
「旭川ビースターズがある程度の成績を残せば、ファイターズをはじめトップリーグからスカウトマンが来てくれます。今シーズンもすでにたくさんの球団から熱視線を頂いております。そういったところに期待を寄せているというのがひとつ。それから、受け入れた選手が、ビースターズを巣立った後、どのような活躍をしてくれるかということにも、可能性を感じています」
2023年にはバングラデシュから2人の選手がやってきた。母国では警察官をしていて、子どもに野球を教えたいので日本で学びたいというのが動機だったという。1年の滞在を経て母国に帰った2人のうちの1人は、中東の野球リーグのバングラデシュ代表に選ばれ、優秀選手となった。その後、中東にプロ野球チームができて入団が決まったそうだ。
「旭川ビースターズの選手では、ファイターズにスカウトされた例はまだありませんが、先ほどお話しした中東のチームのほか、韓国のチームに入団した選手もいます。海外でビースターズ出身の選手がプロになったというのは、本当に嬉しいですね。選手の名前を検索したら、経歴にビースターズの名前が出てくるわけですから」
年齢国籍、さまざまな多様性がチームに豊かな空気を作る

実は、旭川ビースターズは国籍の多様性もさることながら、日本人選手にしても、年齢や背景などはさまざまだ。今シーズン入団した日系アルゼンチン3世のキャッチャー、ルーカス・ナカンダカレ選手は、日本語のほかスペイン語、英語も話せる38歳。一方で、いわゆる支配下、選手契約には至っていない育成契約の選手が5人いて、そのうちの4人は最年少の16歳。親子と言ってもいいぐらいの年齢差がある。
「16歳の選手のうち2人は、怪我や人間関係に悩んで高校の野球部を辞めてしまったそうです。いろいろあったのでしょうが、やっぱり野球をやりたいという思いで入ってきてくれました。他にも自分の通っている高校には野球部がないからとか、軟式野球は経験あるけれども、硬式に挑戦したいなどといって入ってきてくれた人たちもいます。親御さんも、子どもたちが野球を失って、間違った道に進むよりは……といって応援してくれているケースもあるようです。独立リーグの活動は、部活動と違って大人との関わりがあります。先輩選手はもちろん、支援してくれる町の人や企業の方などと触れあう経験が、彼らの今後の将来に活かされるといいなと思っています」
年齢も背景も国籍もさまざまな選手たちが集まると、平氏自身も元気をもらえるような良い空気が流れているのだという。
「外国人選手は基本的に明るくて、日本人にはない陽気さのようなものを持っている人が多いです。試合前に音楽を聴きながら踊っているような選手もいますし、昭和の野球のイメージがある人が見れば、これは野球じゃないと言うかもしれません。でも、日本語の勉強に積極的な選手も多く、よく応援に来てくれるファンの方とも仲良くなって一緒に写真を撮ったり、将来的には選手以外の形でも、日本の球界の力になれる、頼もしい存在感を持っています。そんな雰囲気なので、16歳、17歳といった年若い選手も萎縮することなくのびのびと過ごせているように思います」
今後は、部活動地域移行を支えるアカデミーやU15の整備をスピード感をもって進めつつ、車いすラグビーや車いすソフトボール、ブラインドサッカーなど、パラスポーツとの連携もとっていきたいと語る平氏は、支援してくれる自治体や企業との連携のあり方も、より良い方向性に向かって模索していきたいと言う。旭川ビースターズの存在がこれからの旭川に果たす役割は大きくなりそうだ。
平氏は、実は実家がお寺で副住職を勤めているのだそう。現在はまだ現役の父親がメインで仕事をしているというが、地域との繋がり、旭川を盛り上げたいという思いの強さは、そんな家庭背景にもあったのだろうと納得できた。
text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)
写真提供:旭川ビースターズ