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Sports /競技を知る
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車いすバスケットボール・京谷和幸HC×ブラインドフットボール・中川英治監督が語る、選手から信用される指導者像とは

元Jリーガーで車いすバスケットボール男子日本代表の京谷和幸ヘッドコーチと、北海道1部のサッカープレーヤーだったブラインドフットボール(ブラインドサッカー)男子日本代表中川英治監督。障がいのある日本代表選手たちをいかに導くかという指導者論でも共感するところが多いようだ。指導者になってから身についたメンタリティとは。(以下、敬称略)
京谷 和幸|車いすバスケットボール男子日本代表HC
1971年生まれ、北海道室蘭市出身。元日本代表・藤田俊哉さんをはじめ同い年のサッカー関係者やジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)時代の同期などサッカー界の友人たちも車いすバスケットボールの活動を応援。「江尻篤彦さん(現・東京ヴェルディ強化部長)は年上の同期なのですが、いまでも年末になると一緒にご飯を食べています」

中川 英治 | ブラインドフットボール男子日本代表監督
1974年生まれ、北海道新ひだか町(旧静内町)出身。室蘭大谷高出身で京谷の1学年下の元Jリーガー・深川友貴さんとは食事に行く仲。「彼がろう者サッカーに関わっていることもあり、すごく応援してくれています。会うと必ず京谷さんの話が出て『京谷さんからいいパスがもらえたからU-18日本代表にも入れた』と言っていました」

ブラインドフットボールもサッカー
見えないのにまるで見えているかのようにプレーするブラインドフットボールの選手たち。どのような戦術があるのか、サッカーの指導者でもある京谷は興味津々の様子だ。
中川英治(以下、中川):車いすバスケットボールは、東京大会までパラリンピックに出続けていましたが、パリは逃しましたよね。
京谷和幸(以下、京谷):東京大会で銀メダルを獲ったことで、メディアを含めまわりもチームも「次は金メダルいけるだろう」みたいな雰囲気になったんです。自信があるのはいいことなのですが、私も含め、過信や慢心になった結果、パリを逃したのだと思っています。
中川:代表の環境も変わりましたか。
京谷:活動予算が減らされたので、なかなか合宿ができないんですよ。でも、「次、結果を出してもう1回」という闘志が選手にも湧き上がってきていると思いますし、何より僕自身が「見とけよ」って思っています。
中川:ところで、ブラインドフットボールの指導者には興味ないですか?
京谷:同じサッカーとはいえ、どういう戦術があるのかわからないからなあ。でも、今日実際に目の前で見たら、本当に面白いスポーツだなと思いました。フットサルのようにひし形の陣形を作るんですよね。
中川:前から行くとき、押し込んだときなど、システムはいくつかパターンを持っているんです。

京谷:守備は?
中川:基本はゾーンディフェンスなのですが、今後はマンツーマンも出てくると思っていて、僕らもトライしたいなと目論んでいます。
京谷:守備者はみんな「ボイ」って言いながら進むのがルールなんですよね。
中川:そうです。攻撃側からすると相手の位置がわかる。ということは、自チームが攻撃から守備に切り替わった直後は、相手の位置が予測できるから、すぐにボールを奪い返しに行くなど効果的な守備ができるはずなんです。最初の頃、選手たちにそう伝えたら「そんなの無理」って言っていたんですけど、練習したらできるようになって。今は、「逆サイド、マンツーマン付け」みたいな感じでやってます。
京谷:いやあ、すごいなあ。見えない状態でやることとは思えない。
中川:後から選手に聞いてみたら、「無茶なことを言うなって思っていたけど言えなかった」って。
京谷:それをトライして、やってきたところが……。
中川:選手たち、すごいですよね。僕、視覚障がい者とほとんど交流したことがない状態で代表チームに入ったんですよ。「サッカーなんだし代表選手なんだから、それぐらいやらなきゃ」みたいな感じで指導したら、「え?」みたいな雰囲気になったのは覚えています(笑)
勝負の神は細部に宿る
プレーの質や勝敗は選手たちの自立度とも関係がある、と2人は語る。
京谷:いまだにブラインドフットボールはやったことない?
中川:ないですし、できるわけないですよ。
京谷:手で目を覆うだけでも怖いもんね。
中川:「選手の状況を知るために一度ぐらいやってみよう」なんて思ったこともありません。だって、やるのはサッカーだから。
京谷:だから、ブラインドフットボール男子日本代表は強くなったんだなって思いますね。僕らも、車いすバスケットボールは「バスケットボール」って伝えています。自分たちがやっているのはサッカーなんだ、バスケットボールなんだって選手自身が思えるようになると、ちょっと難しいかなと思うような練習にもすっと取り組めるようになりますよね。
中川:これって日常生活も同じですよね。実は3、4年前まで、最寄り駅まで僕らスタッフが選手を送迎していたんですよ。でも、選手たちは学校も職場も電車を乗り継いだり道を歩いたりして通っているわけです。ならば、練習場にも来れないわけないじゃんって、送迎をやめて。今ではみんな、すたすた歩いたりバスに乗ったりして行き来してますよ。
京谷:すごいな。
中川:「見えないから無理でしょ」みたいな感じで、なんでもやってあげるのって、逆に失礼じゃないかなと思うんですよ。
京谷:介助され過ぎていると、プレーに出ますしね。
中川:そうなんです。大切な試合や苦しいときに甘えが出て、勝ち切れなかったことが実際にあって。だから、日常生活から見直さなければだめだよね、と。
京谷:まさに。僕が代表で最初に担当したのが中学生ぐらいの子たちだったのですが、彼らは普段、親の手を借りて生活し、合宿でもマネージャーが洗濯や排泄のサポートをしていたんです。だから、「今後は一切手伝うな。自分で自分のことをできないやつは合宿に来る必要ない」とすべてやめさせました。一切の甘えを捨てさせて育てたのが、いま代表にいる川原凜たちの世代です。
中川:試合のときだけちゃんとしようと思っても無理ですもんね。
京谷:僕の恩師である岡田武史さん(元サッカー日本代表監督)がよく言っていますよ、「勝負の神は細部に宿る」って。勝負の神様は細かいところまでちゃんと見てるんだって。

2028年にロサンゼルスで開催されるパラリンピック出場をかけて、車いすバスケットボールは2025年11月からアジアオセアニアゾーン予選が、ブラインドフットボールは2026年にアジア予選が予定されている。指揮官たちは何を思うのか。
中川:お互いにロサンゼルスへ向けての戦いが本格的に始まりますね。僕はプレッシャーはありますけど、基本、自分の好きなことを選手とやっている感覚なので、楽しいことやって勝てればいいじゃんと思っています。
京谷:僕も重圧はないけど、プレッシャーはあります。勝たなきゃじゃなくて、選手に勝たせてあげたい。
中川:同じです。僕は選手をメダリストにしたいんです。指導者ってそんなもんじゃないですか。結局、競技をやるのは選手だから、選手の成長に共感する人、みたいな。
京谷:元々そういうタイプなんですか?
中川:違います。
京谷:僕もです。選手時代は「俺が、俺が」でしたから。変わったのは、サッカーとバスケットボールの指導者ライセンスを取った後です。実際に指導してみて「自分はできるのに、なぜできないんだろう」というところから始まって。どうしたら選手が理解してくれるかを考えて練習を組み立ててみたら、できた。「できるじゃん!」って感動的でしたし、どんどん変わっていく姿を見て、「すごいな。こいつらと一緒にパラリンピック出たいな」って思ったんですよ。以来、僕の目線は選手中心です。
中川:わかります。仮に僕がいい指導者だとしても、選手がいなかったら、ただの人なわけじゃないですか。選手あっての僕ということは、すごく思います。それと、指導者も個性がないとだめですよね。
京谷:僕は、世代を問わず誰とでも普通に会話できるのが自分の個性だと思っています。バカみたいなこともできるし、自分をさらけ出すことも平気です。
中川:そこ、大事ですよね。自分が選手なら、喜怒哀楽がちゃんとあって、本心を言ってくれる人についていきたいですし、自分もそうありたい。同時に、相手の感情を拾うことも大切だと思っています。あまのじゃくみたいな人はなんか信用できないし、そういう人にはなりたくない。こんな感じで、選手たちに信用してもらえてるといいんですけど。
京谷:信頼してくれていると思いたいですね。

対談記事①はこちら
【日本代表監督対談】元Jリーガーと同郷の指導者が語りつくした、車いすバスケットボールとブラインドフットボールの魅力と共通点
対談記事②はこちら
ともに北海道出身の元サッカー選手! 車いすバスケットボール日本代表ヘッドコーチとブラインドフットボール日本代表監督が語る青春時代
text by TEAM A
photo by Hiroaki Yoda,Takamitsu Mifune