不死鳥と呼ばれた男、元ヤクルトスワローズ館山昌平が見据える未来

不死鳥と呼ばれた男、元ヤクルトスワローズ館山昌平が見据える未来
2025.11.11.TUE 公開

2019年9月、惜しまれながらも17年間の現役生活を終え、東京ヤクルトスワローズのユニフォームを脱いだ館山昌平氏。その後、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍投手コーチなどを経て、2024年春からは、宮城県仙台市を拠点とする社会人野球チーム「MARUHAN GIVERS」(マルハン北日本カンパニー硬式野球部)の監督に就任。さらに野球界の発展のためにさまざまな活動を行っている。現役時代、9回の手術を乗り越え「不死鳥」と呼ばれた館山氏に、野球の魅力やこれからについてお話を伺った。

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他の競技にはない野球の魅力

館山氏は、小学校の音楽教師だった母親の影響もあり3歳からピアノを習い、将来はピアノの先生になりたいと思っていた時期もあったそうだ。それがいつしか野球に夢中になり、ついにはプロの世界でエースと呼ばれるまでになった。野球のどんなところに惹かれたのだろうか。

「体操などの採点競技や、タイムを争う陸上競技もすごいスポーツですが、ゲームセットの瞬間に1点でも多くとった方が勝ちという、分かりやすい勝敗があるというところが僕には向いているみたいで、野球を好きになった理由です。そのせいか、ゴルフは一向にうまくならないんですが(笑)」

そう冗談めかして笑う館山氏だが、野球はわかりやすさの他にも小さな決断の連続があり、リーダーを育てるのに最適だと話す。

「サッカーなどのようにずっと動いている中で状況判断するスポーツとは異なり、野球はプレーが止まって次にスタートするまでに考える時間があります。そうしたいくつものプレーをイメージして選択しながら、なおかつスピード感を持って進める点は、リーダーを育てるには最適だと思うんですよね」

また、野球は守備である程度同じところにポジションをとりながら、各自が状況判断をして動くという点も社会に通じるものがあると言う。

「僕の中には『野球とは移り変わる状況判断と個人プレーの結集』という定義があります。野球はチームプレーと言われますが、チームではなく個人を伸ばすことによってチームが成長すると思うんですね。ベンチからサインは出ますが、ピッチャーやバッターは代わりますし、天候も変わるので、その都度個々でいろいろな決断をします。野球はまさにそうした小さな決断の連続です。そうした経験を積み重ねれば自分の自信に繋がりますし、その経験はきっと社会に出た時に役に立つと思います」

一歩踏み出せない人たちの後押しをしたい

小学生向けの野球肘検診を実施するなど、さまざまな活動を行っている(写真提供:館山昌平)

しかし、近年子どもたちの野球離れが課題となって久しい。そんな課題解消のため、少年期のスポーツにおけるケガの防止に関する動画をYouTubeで配信するなど、館山氏は子どもたちが野球に取り組みやすくなるための活動にも力を入れている。また、現役時代には、神宮球場のシーズンシートを30席自腹で購入して、ろう学校や盲学校の生徒たちを招待。引退後は特別支援学校の生徒たちや、能登半島地震で被災した子どもたちのために野球教室を開催するなどしている。

「現役時代からそうした社会課題に対して何かできないかと考えていました。自分が子どもの頃、決して野球がうまかったわけではないので、一歩踏み出せない人たちの後押しをしたいという気持ちがずっとあったんです」

神宮球場に招待する際、盲学校の生徒たちに対しては「ボールが当たったらどうしよう」、ろう学校の生徒たちには「音が聞こえないのに招待するのは残酷なんじゃないか」といった声もあったという。そうした試行錯誤の上に招待は実現した。

「結果、良かったことしかないです。野球教室もそうですが、事前の準備の大変さより『良かった』『楽しかった』と言ってもらえることの方が大きいですし、そこに自分自身も新たな発見があるので、これからも続けていきたいと思います」

社会人野球チームの監督として新しい未来を築く

そんな館山氏が現在監督を務める社会人野球チーム「MARUHAN GIVERS」で選手たちに伝えているのは、プロ入りを含め「思い切って上を目指してほしい」ということ。そしてもうひとつ、「将来いい指導者になれる準備をしなさい」ということ。まだ創部したばかりのチームの若い選手たちに、なぜ指導者になってからの話をするのだろうか。

「勝った負けたの責任はすべてこちらで取るので、思い切ってトライしてほしいという思いがあります。ただ、そのトライの中でスポーツマンシップに反することはしてほしくない。なぜなら、自分が将来指導者になって選手に何かを伝える時に、『自分は現役時代やってたじゃん』と言われるようなことをしていては説得力がないと思うからです」

実は館山氏自身、現役時代から常に引退する瞬間を思い描きながらプレーしてきたという。引退するその瞬間に後悔することがないよう、辞めた後にどうありたいかも含め、常に未来を見据えて行動していた。

ケガで手術をしたときも、そして引退をしたときも、新たに監督になった今も、館山氏が見ているのは常に未来。こうありたいという未来の自分に向かって、その時の最善を尽くす。その姿勢こそがファンに愛され、現役引退後も指導者として招聘される由縁なのだろう。


取材中、館山氏が「学生時代、日本史は得意じゃなかったです。未来に向けての話には本当に興味があるんですけど、過去の話になると勝手にシャットダウンしちゃうみたいです」と冗談めかして言った。それこそ、館山氏のマインドセットの原点を表す言葉なのではないだろうか。「起きてしまったことはもう変えることはできない。でも、未来ならば変えることができる」――館山氏は今も東北の地で野球の未来をよりよいものに変えようと奮闘している。

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Keiji Takahashi
写真提供:館山昌平

『不死鳥と呼ばれた男、元ヤクルトスワローズ館山昌平が見据える未来』

不死鳥と呼ばれた男、元ヤクルトスワローズ館山昌平が見据える未来