甲子園の汗と涙を“アジア”へ。 元プロ野球選手・柴田章吾が挑む「アジア甲子園」球児を照らす希望の光
「アイラブユー!」
「アジア甲子園」を終えた球児が満面の笑顔で柴田章吾さんに向かって叫んだ言葉だ。照れくささより先に込み上げてきたのは、「この大会をつくってよかった」という実感だったと、はにかみながら話す。
読売ジャイアンツでプレーした元プロ野球選手の柴田さんが率いる団体、NB.ACADEMYは、東南アジアの中高生が「甲子園のような舞台」で真剣勝負できる国際大会「アジア甲子園」を開催している。
野球が人気スポーツとして根付いている国は、世界的に見ても限られる。東南アジアではなおさらだ。フィリピンではバスケットボールやボクシング、ビリヤードが熱く、インドネシアではサッカーが圧倒的な人気。
野球は「やっている人はいるけれど、主役ではない」。そんな環境でなぜ、「甲子園」を再現しようとしたのか。そして、どうやって人を巻き込み、具現化してきたのか。柴田さんの言葉から、その輪郭を追う。
「この大会に出たい」と思わせる空気をつくれるか

取材の冒頭、2025年12月に行われた「アジア甲子園」のジャカルタ大会(第2回)を終えた手応えを問うと、柴田さんは最初に「雰囲気」の話をした。
「一番やりたかったのは、『甲子園をアジアで再現し、体現してもらうこと』。子どもたちが本当に『この大会に出たい』『ここで勝ちたい』と思ってくれる大会にしたい。そこは成長できたと思います」
勝敗や競技レベルの話に入る前に、「大会の空気」を語る。ここに柴田さんが、このプロジェクトをただのスポーツイベントではなく、若者の「希望と経験の場」として捉えていることが表れている。
第1回は8チーム、今回は14チーム。観客動員も「第1回の2000人を超え、2,500人の来場者があった」という。増えたのは数字だけではない。運営側のやり方も変えていた。
「1回目は、正直『計算して呼ぶ』ところまで手が回っていなかった。今回は『この団体に何人』『この人に何人』『この広告で何人』とKPIを立てて準備し、それが実現できたのがよかった。普段の観客は20人前後。やはり多くの観客がいた方が選手も盛り上がりますから」。ここには、柴田さんがプロ野球選手後のセカンドキャリアで積み上げてきた企業コンサルタントとしての経験が滲む。
応援があってこそ「甲子園」──吹奏楽とチアリーディングへの「こだわり」

アジア甲子園がユニークなのは、試合だけでなく「演出」まで含めて甲子園を再現しようとしている点にある。象徴的なのが、吹奏楽とチアリーディングだ。
「僕のこだわりです。あれがないと甲子園の雰囲気を感じられない。僕自身、甲子園でプレーした時に思いましたが、声援ってすごい力になるんですよ。これは絶対子どもたちに経験させてあげたい」
ただし、「こだわり」はコストと負担を伴う。日本から招聘するのは、現実的ではない。現地で探し、口説き、納得してもらうところから始まる。柴田さんは、最初に断られた時の言葉を忘れていない。
「『あの炎天下で吹奏楽応援はできない』と言われたんです。楽器も壊れちゃうし、普段室内で演奏してるのを2時間も外で演奏するなんて普通じゃない、と」
たしかに、東南アジアでは気候も違う。甲子園の応援も「文化」として理解されていない。日本とは前提が違う。それでも柴田さんは引かなかった。「どういう形ならできるか」「なぜこれをやりたいか」を説明し続け、1回目に参加してくれた人たちが「楽しかった」「意義がある」と感じてくれたことで、2回目も続けて来てくれたという。
このプロジェクトが面白いのは、甲子園文化を「輸出」する行為が、単なる模倣にとどまらず、「本場」を再現することで、現地の協力者にとっても「やりがい」や「誇り」に変わっていく点だ。つくる側が本気であるほど、受け取る側も本気になる──柴田さんは、その循環を狙っている。
「今回はたこ焼きとかお好み焼きとか、甲子園で売っているようなものを出してもらった。去年は3ブースぐらいしかなかったんですけど、今年は10ブース全部埋まりました。ひとつずつ課題を解決している感じです」
聞けば聞くほど、「甲子園らしさ」は試合の中だけで完結しないことが分かる。あの場所に漂う祭りの匂い、食べ物の気配、応援の音、勝ちたい気持ちが渦を巻く空気。柴田さんはそれらを「できる範囲で近づけていく」方法を選んだ。
「今すぐ勝てる子」より、「5年後に伸びる子」を見たい

「アジア甲子園」ではチーム別の試合以外に「オールスター戦」がある。日本人の助っ人も加えた、アジアの選抜同士の戦いである。この試合のメンバー選出については、柴田さんなりの強い想いがある。それは今すぐのスターづくりではなく、育成の時間軸に重きを置くということ。
「東南アジアの代表選手で、今すぐにプロに行ける子は正直いません。練習も基礎もまだこれからの子が多い。でも、13、14歳の子が5年くらいちゃんと練習してくれたら、プロに行ける子が出てくるんじゃないかと。そういった将来性ある選手を中心に選出していて、経験を積ませようと思っています。
この大会を通じて、みんなが見てた子が活躍する、日本に挑戦する、っていうことをやりたいです。だから将来性のある子をちゃんと見ておく。できれば日本の高校に行ってくれたり、本気で練習を積んでくれれば、5年以内にプロ選手が出るようにしたいです」
では、次の一歩をどうつくるのか。柴田さんが語ったのが、ショーケース(選考会)の構想だ。
大会で熱を生み、「プロ野球への可能性の接点」を置く。スカウトや日本の学校関係者が来やすい「一点」をつくることで、実現の機会につなげる。さらにその先に、アカデミー設立という順番も見据えている。
「夢を語る」のではなく、「夢に到達する順番を考える」。柴田さんの話は終始、地に足がついている。
「人を動かす」のは熱意だけじゃない

「アジア甲子園」には、現役選手やレジェンドが関わる機会もある。実際、 NB.ACADEMYは海外での野球教室などを行っており、たとえば現ソフトバンクの山川穂高選手がタイ・バンコクで指導したイベントは、アジアでの野球振興と「第2回アジア甲子園」へ向けた取り組みの一環として実施されている。
では、どうやって多様な人を巻き込むのか。柴田さんはこう説明した。
「自分がプロ野球業界にいたことや、ビジネスパーソンでもあるというどちらの立場や気持ちも分かる人だと認めてくれていることが大きいと思います。仮に野球をやったことがないイベンターが有名選手にオファーを出すと壁もあるし仕事としか捉えられない。でも僕は野球界の将来を本気で良くしたいと思い、海外に移住して本気でやっている。そこが共感につながっているのかもしれません」
「当事者性」と「外の視点」。その両方を持っているからこそ、言葉が届く。さらに柴田さんが強調したのは、結局のところ「基本を守る」ことだった。
「常に感謝の気持ちを忘れないように。皆さんの協力がないとできないことなので。」
華やかなプロジェクトに見えて、支えているのは地味な誠実さだ。スポーツの世界も、ビジネスの世界も、人は最後に「信用」で動く。柴田さんの実感が滲む。
「夢があるなら『やりたいな』と思いながら何もしないよりは、やってから後悔したい」
「行動する人の言葉」には、説得力がある。アジア甲子園の現場が動いているのは、柴田さんがまず自分の人生を動かしてきたからだ。
夢を叶えるために必要なこと

柴田さんの人生は決して順風満帆ではない。中学3年生の時に難病の「ベーチェット病」を発症した。闘病しながらも努力を続け、野球の名門校である愛知工業大学名電高等学校(愛工大名電)に入学。3年生の夏には投手として甲子園に出場する。その後、明治大学に進学。2011年にプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成3位指名を受け、プロ野球選手となる夢を叶えた。
引退後は経営/ITコンサルティングの大手、アクセンチュア株式会社に就職。セカンドキャリアを歩みながら野球への情熱が消えることはなかった。2019年にコンサルティング会社を立ち上げ、起業。アジア圏に野球を軸としたビジネスモデルを生み出すことを目標としながら、2022年に「アジア甲子園プロジェクト」を主催するNB.ACADEMYを設立した。
夢を諦めることなく、目標へ向かってひたむきに歩み続ける柴田さんに「夢を実現するには?」と聞くと返ってきた答えは、意外なほどシンプルだ。
「あまり深く考えないこと。本心でやりたいことは、夢中になると止まらない。やれるかどうか分からないことでも、実現後のワクワク感を妄想する。それができなくなったらやめる。諦める理由はたくさんありますけど、『やる』って決めたら、ワクワクする方向を向いてトライしてみてほしいです」
もちろん、現実には資金も、手続きも、仲間集めも必要だ。柴田さん自身がその全部と格闘している。だからこそ、この言葉は「根拠のない精神論」ではない。
やめる理由が湧いてくることを知っている。お金がなくなって大変な瞬間があることも知っている。その上で、「それでもやる」と決める力は、理屈より先に「ワクワク」が支える、と柴田さんは言う。さらに、もうひとつ釘を刺す。
「自分に期待しないなら、『やりたい』と言わないほうがいい」
夢は、口にした瞬間から「責任」が生まれる。だから軽々しく言わない。言うなら、やる。その覚悟が、仲間を動かし、現地の子どもたちの「笑顔」につながっていく。
「プロ野球選手」という肩書がなくなっても、野球の世界に貢献できる場所はある。むしろ、セカンドキャリアにこそ開ける道がある。柴田さんはそのことを、自分の生き方で示している。甲子園の汗と涙は、アジアへ伝播し、「本気の物語」が生まれ始めている。
PROFILE 柴田章吾
1989年生まれ・三重県出身。難病ベーチェット病初の元プロ野球選手・起業家。
愛工大名電高、明治大を経て読売巨人軍でプレー。難病を患いながらも、”甲子園”を目指す過程で得た原体験が人生の転機となる。引退後は大手外資系コンサル・アクセンチュアに転身し、その後独立。現在はシンガポールを拠点にコンサルティング事業を行う傍ら、国際野球大会「アジア甲子園」を主催。自らの経験を原点に、アジアの子どもたちにも夢と挑戦の舞台を届ける活動を続けている。
text by Akihiro Ichiyanagi(Parasapo Lab)
写真提供:一般社団法人NB.ACADEMY






