「運動が苦手」な子が主役に。荒れたクラスも変えた新スポーツ「テニピン」が描く学校体育のこれから
「体育の授業=運動神経が良い子が活躍する場」「厳しい規律と勝ち負けの世界」。読者である親世代が持つこうした体育へのイメージは、今、大きく覆されようとしている。
現在、教育現場では「個別最適な学び」が重視されるようになり、スポーツの在り方も「勝利至上主義」から「誰もが楽しめる生涯スポーツ」へと広がっているのだ。本記事では、その象徴的な成功事例として全国の小学校で急速に普及している「テニピン」に注目する。
テニピンとは、テニスの楽しさを誰でも簡単に体験できるようにアレンジしたスポーツだが、なぜ、あえてテニスを再設計する必要があったのか。山梨学院短期大学教授・日本テニス協会 普及推進本部 副本部長であり、テニピン開発者である今井茂樹さんへの取材を通して、日本の体育が今、子どもたちに何を教えようとしているのか、その「変化」と「未来」を紐解いていく。
アイキャッチ写真提供:今井茂樹
親世代の体育と何が違う? 変わり始めた学校体育

写真提供:今井茂樹
いま教育現場が目指す「学校体育の新しい設計図」を体現した次世代型スポーツとして注目されているテニピン。全国の小学校での普及が広まりつつあるが、その理由を知るには、まず私たち親世代が受けてきた「体育の過去」を振り返る必要がある。
「気をつけ、休め、回れ右」。私たちが小学生の頃、当たり前のように行ってきた集団行動。あるいは体育館の壁にあるハシゴのような「肋木(ろくぼく)」。これらがそもそも何のために存在していたか、考えたことはあるだろうか。
「そもそも日本の体育は『身体の教育』と呼ばれ、富国強兵を背景に労働力や兵力を鍛えるために行われてきた歴史があります。体育館の肋木も一斉指導で身体を鍛えるためのものでした。そうした軍事的な身体教育の名残が、私たちが受けてきた体育には根強く残っていたのです」

photo by Yoshio Yoshida
そう語るのは、テニピンの開発者であり、日本テニス協会普及推進本部の副本部長、山梨学院短期大学で教鞭を執る今井茂樹さんだ。 実は1970年代以降、学校体育の目標は「運動の面白さを味わう」楽しい体育へとシフトしていた。しかし教育現場ではその理念がうまく浸透しなかったという。
「楽しむためには、まずできるようにならなければならない。そう解釈され、全員を一列に並べて跳び箱を跳ばせたり、逆上がりができるかできないかでAからCの評価をつける『技能習得』が依然として重視されていました。マット運動の最後に、みんなの前でできるようになった技の組み合わせを発表させられる。運動が苦手な子にとって、それは憂鬱でしかなく、体育の時間は学校を休みたいと思うほど苦痛なものでした。結果として、そうした指導が多くの『運動嫌い』を生むことになってしまったのです」
現在の教育現場で求められているのは、こういった全員が同じ到達点を目指す一斉指導からの脱却、「個別最適な学び」だ。今井さんはこれを心理学の「フロー理論(没頭状態)」で説明する。

出典:【文献】チクセント・ミハイ、M:今村浩明訳(1979)楽しみの社会学. 思索社:P86
「個人の技能レベルと挑戦課題がぴったり合致したときに子どもは没頭(フロー)します。跳び箱なら全員が同じ段を跳ぶのではなく、低い段差など自分のレベルに合った場所を自分で選ばせる。没頭できる環境を作れば、運動は苦手でも『体育の時間は好き』という子が圧倒的に増えます」
しかし、既存の球技では運動が苦手な子は「ボールが来たら怖い」「ミスしたら怒られる」と萎縮し、コートの隅で立ち尽くしてしまう。このジレンマを解決したのがテニピンだ。
なぜテニスを“簡単”にしたのか? 全員が主役になる仕掛け

photo by Yoshio Yoshida
「なぜ、小学校の学習指導要領にテニスが入っていないのか?」 教員になりたての2003年、今井さんはそんな疑問を抱きテニスの授業を行った。しかし、柄のついたラケットでボールを打つのは子どもや一般の先生には難しすぎた。
転機が訪れたのは2011年。段ボールを直接手にはめる形を考案すると、子どもたちが劇的にボールを打ち返せるようになった。しかし「手で行うものはテニスと呼べるのか?」という固定観念が立ちはだかる。そこで今井さんはテニスの歴史を紐解いた。

写真提供:横浜山手テニス発祥記念館
「テニスの原型である600年前の中世の遊び『ジュ・ド・ポーム』は素手で打ち合っていました。ラケットは面白さを引き出す一つのツールに過ぎず、相手から送られてきたボールを状況判断して打ち返すこと。それこそがテニスの本質的な面白さなのです」
こうしてあえて「型」を崩した発想から、インクルーシブ(包摂的)な仕掛けが施されたテニピンが誕生した。

photo by Yoshio Yoshida
最大の特徴は、手のひらに装着する約20cm四方のラケットだ。現在ではスポーツメーカー大手のヨネックスが開発に協力。「テニス普及にも繋がる。絶対にやっていくべきだ」と共感し、通気性や固定バンド、アルコール消毒が可能な衛生面など、教育現場のニーズを極限まで追求した専用ラケットが誕生した。ボールも、体育館の床でも見やすいピンク色で、適度な弾力性を持つ特製のスポンジボールを採用している。
さらに、ルールにも「全員を主役にする」ための緻密な魔法がかけられている。 「卓球のダブルスをヒントにした『2対2で交互に打つ』ルールにより、上手い子だけがボールを独占することがなくなります。また、『4回連続でラリーが続いてから、5回目以降を得点にする』というルールも発明しました。4回ラリーするまではミスをしても失点にならないため、運動が苦手な子もミスを恐れずに安心してボールを打つことができます。初心者は2バウンドでの返球もOKにしています」
全員が必ずボールに触れ、得点する機会が保証される見事なゲームデザインが、子どもたちの自己肯定感を高め、スポーツへの参加意欲を爆発させる原動力となっているのだ。
荒れたクラスが一つに?テニピンが子どもたちに起こした変化

photo by Yoshio Yoshida
「すべての子どもが輝ける」というテニピンの力は、単なる運動能力の向上にとどまらず、教室内に「ソーシャルチェンジ」と呼べるほどの劇的な変化をもたらしている。 今井さんがある学校へ出張授業に行った際のエピソードだ。
「その学校の5年生は非常に荒れていて、授業中に教室から飛び出してしまう子や、校長先生に対して暴言を吐くような子どもたちもいる状態でした。しかし、テニス経験者だった校長先生がそのクラスでテニピンの授業を行ったところ、子どもたちの目の色がすっかり変わったそうです。休み時間になると、あの子たちがわざわざ校長室までやってきて『校長先生、テニピンやろうや!』と誘いに来るようになった。初めて『校長先生』と呼ばれて本当に嬉しかったと、ご連絡をいただきました」

写真提供:今井茂樹
個人技で突破できるスポーツとは違い、テニピンは自分一人ではどうにもならない。ラリーを続けるためには友達とのやり取りや協力が不可欠であり、だからこそ、他者との関係性を結び直し、子どもたちの荒れた心を和らげる力があるのだ。
その熱狂は、世界トップのテニスプレイヤーの心さえも動かした。2019年、有明コロシアムで開催されたイベントでのこと。ロジャー・フェデラー選手のエキシビジョンマッチのオープニングで、今井さんのクラスの児童たちがテニピンを披露した。当時はまだ専用ラケットがなく、100円ショップの園芸用の膝当てをラケット代わりにしていた時代だ。
「フェデラー選手はスポンサー契約の縛りがあり、他メーカーのラケットは持てないと言われていました。しかし、子どもたちがあまりにも楽しそうにラリーをしているのを見てたまらずコートに入り、自ら園芸用の膝当てを装着して一緒にテニピンを始めてくれました。関係者も驚愕していましたね」
言葉の壁も、運動神経の壁も、スーパースターとの壁さえも取り払ってしまう、そんな圧倒的な引力がテニピンにはあるのだ。
勝つためだけじゃない。子どもにスポーツを届ける理由

写真提供:今井茂樹
教育現場にパラダイムシフトを起こしているテニピンは、現在、学校の枠を飛び出し、家庭でのコミュニケーションツールとしても広がりを見せている。
ポケモンのキャラクター「ニャオハ」をキッズアンバサダーに迎え、家の中で親子でテニピンに取り組むプログラムも展開中だ。自宅でクリアするごとにシールを貼ってもらうラリー企画や、段ボールを使って自分だけのオリジナルラケットを工作し、そのまま親子で楽しむショッピングモールのイベントは、一日で1500人もの親子を集客したという。

写真提供:今井茂樹
「サッカーボールを家の中で蹴ることはできませんが、段ボールラケットとスポンジボールがあれば、リビングや公園で手軽にコミュニケーションを取りながら遊ぶことができます。家庭での運動を通じたコミュニケーションツールとして、非常に優れた側面を持っています」
最後に、これからの学校体育を見守る親世代に向けて、今井さんはこう語る。 「スポーツは『文化』です。生きていくために絶対に必要な食文化などとは違い、スポーツは明日なくなったとしても生きていくことはできます。しかし、もしも無くなってしまったら、人生は少し寂しくなってしまう。なくても生きていけるけれど、あったら人生がより豊かになるもの。私たちがスポーツを教えるのは、子どもたちにそうした文化を伝え、人生の選択肢を増やしてあげるためなのです」

写真提供:今井茂樹
勝ち負けや運動能力の優劣をつけるための体育から、誰もが自分の輝ける場所を見つける体育へ。 「テニピンは、運動が苦手な子でも『自分が輝ける』良さを持っています。学校に行きたくないと思っていた子が、『今日はテニピンがあるから学校に行きたい』と思えるようになるかもしれない。子どもたちの幸せを願いながら、これからもテニピンの活動に取り組んでいきたいと思っています」
細部にまでこだわる日本の緻密な国民性が生み出したこのプログラムは、今後ITF(国際テニス連盟)にも魅力を提案をしていきたいとのこと。「運動神経がいい子だけが楽しい」体育の時間はもう過去のものだ。手のひらにラケットをはめた瞬間から、すべての子どもが主役になれる新しいスポーツ文化が、今まさに始まろうとしている。
text & photo by Yoshio Yoshida(Parasapo Lab)
写真提供:今井茂樹






