3度のトミー・ジョン手術を乗り越えた、元ヤクルトスワローズ館山昌平に聞く「諦めない心」

3度のトミー・ジョン手術を乗り越えた、元ヤクルトスワローズ館山昌平に聞く「諦めない心」
2025.11.10.MON 公開

2024年春、宮城県仙台市を拠点とする社会人野球チーム「MARUHAN GIVERS」(マルハン北日本カンパニー硬式野球部)が発足、今年の5月から公式戦に参加している。この新チームを監督として率いるのが、東京ヤクルトスワローズで右のエースと言われた館山昌平氏だ。現役時代は、2009年に最多勝利のタイトルを獲得するなど活躍したが、同時に故障にも悩まされた。その度にどん底から這い上がる姿は「不死鳥」とも言われ、多くのファンの心を掴んできた。そんな館山氏に「諦めない館山流のマインドセット」について話を聞いた。

手術痕は191針、9度の手術から復活

元東京ヤクルトスワローズの投手で現在は社会人野球チーム「MARUHAN GIVERS」(マルハン北日本カンパニー)で監督を務める館山昌平氏

館山昌平氏は、日本大学4年生の2002年ドラフト3巡目で指名されて東京ヤクルトスワローズに入団。以降、2019年に39歳で現役引退するまでの17年間、スワローズひとすじ、左のエース・石川雅規氏と並ぶ右のエースとして活躍した。しかし、その17年間は決して順風満帆ではなかった。肩や腕の故障でトミー・ジョン手術3回を含む9回もの手術を受け、手術痕はなんと191針に及んだ。一般人でさえ肩や肘にメスを入れれば以前と同じような動きが出来なくなる不安はある。ましてや繊細な腕や指の動きが求められる一流のプロの投手が何度も手術を受けることに不安はなかったのだろうか。

「もともとプロに入る直前に肩の手術をしていますし、実際にプロになってからはこの世界で生きていくためにはどうしたらいいのかということを常に考えていました。全治1年のトミー・ジョン手術を受けたのも、自分の故障の状況が自然治癒力だけではどうにもならない、医学の力を借りなければ前に進めないということが分かっていましたので、好きな野球という仕事を続けていくためには必要なことでした。だから手術に対する不安は全くなかったですね」(館山氏、以下同)

もちろん「不安は全くない」と言い切れるようになるための準備は怠らなかった。たとえば、プロ入り前に肩の手術をした際は、横浜ベイスターズで活躍した木塚敦志投手が同じ手術を先に受けていたことから、その手術の映像を見せてもらい、さらに木塚投手の術後から復帰までのプロセスを見て、自分の復帰までのビジョンを明確にしていた。そしてプロになってから受けたトミー・ジョン手術も、手術を経験をした先輩たちのリハビリ過程などを調べ、自分が復帰するまでのイメージを具体化したそうだ。

「僕は子どもの頃からすごく野球が上手かったというわけではなく、いろんなところにアンテナを張って、その中から自分で決めたさまざまなことに対して努力して徐々に上手くなっていったんです。だから手術を受けて、万一以前とは同じ内容のプレーができなくなったとしても、またそこから作り上げていけばいい。術後新しくなった身体を受け入れ、その身体で戦うための武器を揃えてまた勝負をしようと考えていました」

ケガをしたからといって絶望せず、残された選択肢を自分にとって意味のあるもの、今後のためになるものと考える。言うのは簡単だが、人はどうしても感情に左右されてしまうもの。しかし館山氏は、ケガに一喜一憂せず、未来を冷静に見つめることによって故障を何度も乗り越え、復活してきたのだ。

すべてを受け入れる

インタビュー中、館山氏が何度も口にした言葉がある。それは「受け入れる」ということ。たとえば野球の投手の場合、どんなにいいピッチングをしても味方が打ってくれなければ試合に勝つことはできない。現役時代、自分がいいピッチングをしたのに試合に負けた時も、館山氏はその状況をも受け入れたのだという。

「長く先発ピッチャーをやっていると、研究して攻略されてしまうこともあります。そういう場合は、次はそれを上回れるように相手を研究する面白さがある。それに、自分がいいピッチングをしたのに相手チームが勝ったということは、その瞬間、ベストを出せたのは相手チームだったんだ、と素直に受け入れるのがスポーツなんだと僕は思うんです」

また「ケガをするのも自分だし、それを乗り越えて成績を残すのも自分しかない」と言い、まずはケガをしたこと自体を受け入れるのだという。だからこそ、「あの時、ケガをしていなければ、もっといい成績を残せた」といったような言い訳は絶対にしたくないとも。

「世の中にはうまくいかないことがいっぱいあります。だけどそれを受け入れることは大事だと思います。自分にはそんなに大きなことも、多くのこともできないので、できることはやりたいけれど、できなければそれは受け入れるしかない」

ただ、館山氏は「できないこと」も決して悲観したりはしない。

「自分の力って、実は他人が評価するものだと思うんです。自分がいくらできると思っても人から見たらできていないことはある。それは受け入れなくてはいけない。ただそれをマイナスに考えるのではなく、再度挑戦するのか、もっと自分に向いている違ったことを探すのかを考えればいい。自分が100%この道だと思えるひとつのことに突き進み、やり遂げるのはすごいことですが、難しいです。だから色んな人のアドバイスを聞きながら、自分がこの先どうなれるのかを考え、辞めるのか進むのかも含め、いろいろ試しながら進んでいくのがいいんじゃないでしょうか」

80点を目指す

何度故障しても悲観せず、できないことは受け入れ、ピンチを乗り越えてきたというが、そのメンタルはどうやって培ってきたのだろうか。

「現役時代は常に、自分の感情ぐらいコントロールできなければボールをコントロールすることなんてできない、という感覚でプレーをしていました。ピッチャーが投げることでプレーはスタートするので、その人間がマウンド上で動揺していたら、試合にもそれが影響してしまう。だから自分にできることはセルフコントロールだし、それをしっかりしなければと。チームメイトの生活もかかっているわけですから」

そして、そのセルフコントロールをするためには、あえて「無難」を心がけてきたとも言う。

「メンタルを常に一定に保つには、無難なところ、100点ではなく常に80点を目指すのがいいのかなと思います。最初から最後までギアをトップに入れっぱなしでは、いざという時に力を出せないので、現役中は強弱をつけて試合を支配していくということを意識していました」

人は常に100点を取ることは難しいし、「取れた」「取れなかった」で一喜一憂してしまう。あえて80点を目指すことで、たとえ100点を取れても過信しない、79点でも落ち込まない。常に冷静でいることができるのではないだろうか。


そんな館山氏が現役中、念頭に置いていたのは「引退する時のこと」だったという。後編では、なぜ常に引退する時のことを考えていたのか、そして実際に迎えた引退の後、何を思い、今は何を目指しているのか。「不死鳥」と呼ばれた男の今について伺った。

<後編は11月11日(火)公開予定!>

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Keiji Takahashi

『3度のトミー・ジョン手術を乗り越えた、元ヤクルトスワローズ館山昌平に聞く「諦めない心」』

3度のトミー・ジョン手術を乗り越えた、元ヤクルトスワローズ館山昌平に聞く「諦めない心」