【特別インタビュー】パラリンピアン初のスポーツ庁長官・河合純一氏の2025年は?

【特別インタビュー】パラリンピアン初のスポーツ庁長官・河合純一氏の2025年は?
2025.12.26.FRI 公開

2025年、河合純一氏のスポーツ庁長官就任のニュースは、パラスポーツ界に大きな衝撃を与えた。就任以降、東京2025デフリンピックや全国障害者スポーツ大会など、さまざまなスポーツイベントに足を運んだ河合氏にとって2025年は、どんな年になったのだろうか。

パラスポーツ界のリーダーが3代目のスポーツ庁長官に

10月1日、スポーツ庁長官に就任。オリンピックの金メダリストである競泳の鈴木大地氏、陸上競技ハンマー投げの室伏広治氏に続き、白羽の矢が立ったのがパラリンピック水泳の金メダリスト・河合氏だった。

河合純一氏(以下、河合):日本パラリンピック委員会の委員長時代、当時の気持ちを「バトンというより、重たいハンマーを受け取った気持ち」と語りました。与えられた役割をしっかりと担って取り組んでいきたいですし、スポーツ庁長官就任後の記者会見でお話ししたとおり、この国のスポーツをより価値のあるものとして多くの皆さんと共有できるようにしていくことが大きな使命であり、スポーツを通じて誰もが自分らしく生きられる社会を目指すことではないかと思っています。

スポーツ庁の3代目長官である河合氏

そんな河合氏にとっての“今年の漢字”とはなにか。

河合:漢字一文字で表すと「命」です。2025年は、スポーツ庁長官に任“命”され、自分の使“命”をもう一度考え直すきっかけになった年。自分自身も50歳になり、「五十にして天命を知る」といいますが、まさにそんな一年になりました。

これまでパラスポーツの振興や環境の改善に取り組んできたが、現職ではフィールドが広がり、スポーツ全般の政策に携わる。

河合:私自身、日ごろから何事もニュートラルに受け止めることを意識していますが、こうしたらいいと思った部分は、仲間と共有したり、協力者を募ったりして推し進めたいと考えています。仕事をする範囲が以前より広範囲になったので、当然、多くの関係者がいるわけです。そこをうまく進めていくことが一番かなと考えています。

スポーツは成長産業です。パラスポーツの競技団体も、期待されているということを踏まえてしっかり取り組んでもらえるといいのではないでしょうか。

「障がいの有無をこえてスポーツの魅力を伝えたい」と語った河合氏

もとは公立中学校教諭だった河合氏。国として取り組んでいる中学校の部活動改革にも、引き続き取り組んでいく。

河合:早めに手を打っていかなければならない課題の一つが、子どもたちがスポーツに親しむ機会の確保と充実です。少子化を背景に、学校単位では部活が成り立たず、やりたいスポーツがあっても選択肢が限られる地域も増えている現状があります。指導者も不足していて課題は山積です。

国としても、2025年12月に新たに策定した「部活動改革及び地域クラブ活動の推進等に関する総合的なガイドライン」に基づき、2026年度から2031年度までの「改革実行期間」において部活動の地域展開などの全国的な実施を推進できるよう、2025年度補正予算で82億円を計上していますが、2026年度予算もしっかり確保していきます。その予算を基に、自治体への継続的な支援などを行います。

我々は、障がいの有無に関わらず、すべての人が個々の力を発揮できる、スポーツを通じた共生社会の実現を謳っています。特別支援学校の子どもたちも含めて誰もが部活動を行えるように取り組みます。

スポーツ庁内に点字ブロックを設置

全盲の河合さんが登庁するようになり、スポーツ庁でなにか配慮はされているのだろうか。

河合:12月にエントランスの床やスポーツ庁のあるフロアの通路などの一部に点字ブロックを設置してもらいました。これにより、さまざまな皆様にもアクセスしていただきやすくなるかと思います。長官の仕事には、大量の書類を処理するイメージを持たれているかと思いますが、私の場合、たいていは読み上げソフトを使ってメールで処理します。会議の前には、職員がサーバーに入れておいてくれた資料などを読んでから臨んだり、あらかじめ概要をまとめておいてもらったり、仕事がしやすい環境を整えてもらっています。

長官室には、視覚障がいのあるスイマーが使用する「タッピングバー」や本人作の書や短歌が飾られ、河合氏仕様になっている。

1975年に静岡県で生まれた河合氏は、50歳でスポーツ庁長官になった

河合:「夢」は新春書道展用に、墨と筆で書きました。長官室を訪れてくれた方とのコミュニケーションツールになればと思って、パラスポーツのボールなども飾っています。

先日、日本で初めての開催となったデフリンピックで活躍した選手たちも、表敬訪問してくれました。デフリンピックは、子どもから大人まで幅広い世代が手話やデフスポーツを知るきっかけにもなり、スポーツを通じた共生社会の実現につながる、大きな意味を持つ大会となりました。

多忙な毎日のリフレッシュ方法は。

河合:私のプライベートのSNSを見ている方はご存じかもしれませんが、スイーツが好きでときどき写真を投稿しています。朝はコーヒーを必ず飲みます。以前は電車の乗り換え時にコーヒーを買っていくことが多かったのですが、今は通勤経路が変わったので、自宅で淹れたコーヒーを長官室でいただくことが多いです。それから、週1回、若手の職員とランチ会をしていて、それも楽しみの一つになっています。

河合 純一(かわい・じゅんいち)
バルセロナからロンドンまでパラリンピック6大会に出場し、金5個を含む21個のメダルを獲得。東京2020パラリンピック、北京2022冬季パラリンピックでは日本代表選手団団長を務める。日本パラリンピック委員会委員長、日本パラスポーツ協会常務理事を歴任後、2025年10月にスポーツ庁長官に。

text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda

『【特別インタビュー】パラリンピアン初のスポーツ庁長官・河合純一氏の2025年は?』

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