震災から15年。“走る・飲む・食べる”で笑顔に――東北風土マラソンが地域に愛される“お祭り”になるまで
マラソンと聞くと、記録や順位を競い、限界まで自分を追い込む――そんなストイックな世界を思い浮かべる人も多いかもしれない。しかし今、タイムや順位よりも「楽しみながら走ること」を大切にする“ファンラン”というスタイルがあることをご存じだろうか。
東日本大震災の震災復興を目的にして始まったファンランのイベント“東北風土マラソン&フェスティバル”は、今年の開催で12回目を迎える。この大会の発起人は、東北に縁もゆかりもない人物。どんな思いでスタートし、今も続けられているのか。イベントの企画・運営を務める、一般社団法人東北風土マラソン&フェスティバルの代表・竹川隆司氏に聞いた。
楽しみながら走るファンランで東北復興を目指す

“東北風土マラソン&フェスティバル(以下、東北風土マラソン)”の舞台は、宮城県登米市。広大な田園地帯を背景に、ランナーはコースの途中にあるエイドステーションで東北のグルメに舌鼓を打ち、給水所では日本酒の仕込み水を飲んで、楽しみながらゴールを目指す。スタート・ゴール地点となる広場では、地元グルメの飲食・物販ブースが並ぶ“登米フードフェスティバル”と、東北の日本酒が蔵人と共に集まる“東北日本酒フェスティバル”を同時開催。ゴールしたランナーはもちろんのこと、応援にやってきた家族、友人など走らない人も楽しめるイベントになっている。これを2014年にスタートしたのは、日本とアメリカを拠点に、IT関連業界での起業、事業開発、グローバル戦略の牽引など行っている竹川氏だ。
「東日本大震災の発生当時、私の仕事や生活の中心はニューヨークでした。私自身東北とは縁もゆかりもなかったのですが、故郷・日本の出来事として周囲からは見舞いの言葉をかけられましたし、自分も何か東北のためにできることはないだろうかと考えていました。そういう思いを持ちながらも、どうしていいかわからず遠慮していた人は多かったと思います」
そんな竹川氏が思いついたのがマラソンだ。走るのが好きで、日本の大会のみならず、ボストンマラソンやニューヨークマラソンにも出場経験があった。

「フランスに赤ワインで有名なメドック地方で開催されるメドックマラソンという大会があります。ランナーは仮装して、美しいブドウ畑の中のコースを走るのですが、途中でワインや、それに合うチーズやハムといった補給食もふるまわれ、ランナーも観光客も地元の人も、みんなが楽しめる大会として世界的に有名になっています。実際、1回の開催で数十億円のお金が地元に落ちるそうで、このメドックマラソンの日本版を東北で開催したらどうだろうかと思いました。
つまり、マラソンをフックにすれば、東北の外から人が来るきっかけになる。東北に足を運んでもらって魅力を感じてもらうことが復興につながるのではないかと考えました」
縁もゆかりもない東北。開催に向けた「仲間づくり」?

メドックマラソンは、ランナー8000人に加え、一緒に足を運ぶ家族や友人たちなどを含めて3万人が集まると言われる。そもそもマラソンに必要なのはウェアと靴だけと参加のハードルは低く、大会自体に魅力があれば、ランナー以外にも多くの人々を集める社会復興のエンジンになるはずだ。その思いを深めた竹川氏は、マラソン大会開催に向け、動き出す。
「まずは、自分の周囲の東北に思いを寄せている人たちに構想を語っていきました。2か月に1回ほどは日本に帰国していたので、同じような思いを持つ人を紹介してもらい、現地のNPOの人々なども交えて企画会議のようなものを定期的に開催するうちに、仲間が増えていったのです。2012年には初めてメドックマラソンにも出場し、実行委員長ともコンタクトを取って計画を話すと、それなら全面的に協力するよと言ってもらえました」
竹川氏は賛同する仲間を募り、スポンサーとなってくれる企業も集めて2013年の開催を目指したが、当初なかなか地元の理解が得られなかった。

「そもそも僕は東北に縁があるわけでもなく、当時はニューヨークから時々やってきていたよそ者です。総論は賛成だけれども、今やらなくてもいいのではないか。なぜマラソン大会なのか。そんなイベントなどやったことないなどと、いろいろ言われました。確かに地元の人からすれば、それも当然だろうと思ったので、2013年年末から翌年にかけてはずっと登米に滞在して、地域の関係者やコースの周辺の家を一軒一軒訪ねて説明して回りました。何度も回った家もあります。最後にはそんな周辺の方々から100以上の同意書をいただき、そして「地元の合意がないと……」と言っていた自治体や警察の方々も開催に合意していただき、やっと2014年4月に第1回開催にこぎつけられたのです」
地元の人々が自主的に運営を支えてくれるように

東北風土マラソン第1回の告知は開催の2か月前ほどになってしまったが、結果的に参加ランナーは約1300名、総来場者は約1万5000名になった。
「第1回目にしては、予想以上の人数の方が来てくれたと思います。準備もギリギリで延期した方が良いのではないかという意見もあったのですが、地元の方にどんな大会を目指しているのかを見ていただくためにも、開催して良かったと思っています」
その後、毎年1回のペースで開催を続け、今年は12回目を数える。現在、地元のさまざまなグルメが出店する登米フードフェスティバルは登米市観光物産協会、日本酒の蔵元が集まる東北日本酒フェスティバルは地元の田口酒販が中心になって運営するなど、地元のさまざまな人々を巻き込んだ大会となっている。

「地元ではなかなかご理解いただけなかった方もいらっしゃいましたが、そんな方も当日は会場に来て応援してくれました。警察の交通課の方には警備の仕方やコース配置でたくさん“指導”を受けたりもしましたが、そんな警察の担当の方が異動した後もお子さんを連れてプライベートで参加してくれた時は、涙が出るほど嬉しかったですね。今では、10か所あるエイドステーションのうち4か所は、地元の区長さんの仕切りで町内会を動員して、開催前の清掃から当日の運営までやってくれています。ある地区では、“エイドステーションで太鼓を叩いて良いですか”と言っていただくほど、大会を盛り上げてくれています。また、メドックマラソンに倣ってランナーには仮装を奨励しているのですが、エイドステーションの地元の方まで仮装してくれたりして、まさにみんなで大会を楽しみにして支えていただいてます。これこそ、まさに僕の目指した形なので、本当に嬉しいですね」
東北風土マラソンは、マラソンを走ってそれで終わりという一過性ではないところに特色がある。地元の人の歓迎を受け、地域の食に触れ、日本酒を味わうことにより、普段の生活に戻っても“またあれを食べたい、あの日本酒を飲みたい”と思い出す機会が増える。
「参加者の中には海外の方もいて、先日は香港のランナーから“スーパーで登米の米を見つけたので買いました”という報告も来ました。リピーターも増えています。最初は東北復興支援に繋がるからという理由が多数を占めていたのですが、近頃は単にお祭りとして楽しいからと行ってくれる人たちも多くなっています。
今年はJR東日本さんのご協力で、仙台駅から会場最寄り駅までの臨時列車が初めて運行されます。これからもみんなでこの大会を作っていくという気持ちを大切に続けていきたいですね」
竹川氏は、東日本大震災の発災当初は海外にいたが、東北のために何か自分にできることはないだろうかという思いひとつで東北風土マラソンの開催にこぎ着けた。今では地元の人も巻き込んで、みんなで作り上げる大会になっている。
竹川氏の本業は、AI・デジタル分野を中心とした教育プログラムを開発・提供する企業の経営だが、広く言えばマラソンも本業も“世の中の笑顔の総数を増やす”ための活動だと語る。今年は震災後15年、12回目の大会となるが、きっと多くの笑顔が溢れる大会になるに違いない。
text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)
写真提供:東北風土マラソン&フェスティバル実行委員会






