復興を支えるパラスポーツの知恵。どんな時も前を向いて生きるために必要なこと<第二部>

復興を支えるパラスポーツの知恵。どんな時も前を向いて生きるために必要なこと<第二部>
2021.03.23.TUE 公開

特別連載 震災復興×スポーツ(全2回)の第一部では震災復興において、スポーツから発信される言葉の力や被災地で実施されたスポーツ支援の取り組みなどを紹介した。第二部ではさらにパラスポーツによる復興支援の影響力について、被災地の学校へ訪問を続ける、パラアスリートによる体験型出前授業「あすチャレ!School 」の活動とともに考えてみたい。この授業では子どもたちがパラスポーツを体験しながら、人間の強さや多様性について学んでいく。震災後、困難に立ち向かう中でパラスポーツを通した学びは、子どもたちにとってどのような気づきとなったのだろうか。東日本大震災から10年となる今年3月9日に、石巻市立住吉中学校にて特別に開催された本活動を取材した。

※今回の石巻市訪問、ならびに市内での「あすチャレ!School」実施は、講師及び随行スタッフ、取材スタッフが事前にPCR検査を行い、陰性と確認した上で、マスク着用や手指、用具の消毒など適切な処置を行い石巻市との綿密な打ち合わせのもと、特別に開催されました。通常の「あすチャレ!School」は一都三県に緊急事態宣言が発令されている期間はガイドラインに則り休止されていました。(2021年3月9日時点)

パラアスリートだからこそ伝えられる「前を向いて生きていくチカラ」

生徒をとりこにする名物講師としても知られるシドニーパラリンピック男子車いすバスケットボール日本代表キャプテン・根木慎志氏。「出会った人と友達になる」をライフワークに、パラスポーツの普及や講演活動を続けている

今回取材した日本財団パラリンピックサポートセンター主催のパラスポーツ体験型出前授業「あすチャレ!School」(協賛:日本航空株式会社/JAL)は、これまでの5年間で約1090校の小・中・高等学校、特別支援学校などを訪れ、延べ16万人の子どもたちに講演やパラスポーツの体験授業が行われてきた人気プログラムだ。授業では、車いすバスケットボールや車いすリレーなど、子どもたちや先生がパラスポーツを実際に体験。そして、パラアスリートのリアルな声から人間の強さや多様性の価値を学ぶことで、「想い」を明日へのチャレンジとなる「行動」へつなげる学びを提供している。

震災後、石巻でも延べ22校で実施されているが、今回講師を務めたシドニーパラリンピック車いすバスケットボール日本代表キャプテン・根木慎志氏は、個人でも毎年訪れているという石巻に特別な想いを寄せる一人だ。根木氏はいつも授業で自身のこれまでの経験を語るというが、石巻の子どもたちにはどのように伝えているのか、話を伺った。

授業では、生徒も車いすバスケットボールに挑戦!

「僕は高校3年生の時の交通事故が原因で車いす生活になったのですが、人生どん底の時に車いすバスケットボールに出会って救われました。当時スポーツは諦めていたのですが、車いすバスケットボールのプレーを見た時に『この人たちすごい!』『すげーかっこいい!』って本当に輝いて見えて。人間の可能性ってこんなにすごいんだと衝撃を受けたんです。それから、車いすバスケットボールにどんどんのめり込んでいって、ついに2000年に開催されたシドニーパラリンピックに、男子車いすバスケットボール日本代表キャプテンとして出場することまでできた。そして今は、こういった経験を皆さんに伝える素晴らしい活動ができている。これってすごいことですよね。
もちろん事故にあったことは、決して喜ばしいことではないし、今でも当時を思い出すとつらい経験だけれども、それ以上に車いすバスケットボールや仲間に出会えた経験が、僕の人生の中で宝物になったということ。車いす生活になることと震災で大切な人や家を失うことは違うけれど、人生で想像していなかったことが起きたあと、そこからどう生きていくのか? 何に向かって生きていくのか? 悲しかったり切なかったりそこにはいろいろな試行錯誤があると思うんです。でもたくさんの仲間と出会うこと、そして夢や目標にチャレンジすることで、みんな絶対に素敵に輝ける未来があるから!って。僕の経験から少しでも何か伝わればいい。そういう想いでいつも子どもたちにはお話ししています」(根木氏)

当たり前の日常が望まないものへと一変してしまった時、人はどのような感情を抱え、考え、行動するのか、その道筋はどんな状況でも前を向いて進み続けてきたパラアスリートだからこそ伝えられるものがある。そういった彼らの力強いストーリーを通して、子どもたちは可能性に挑戦する勇気や夢・目標を持つことの大切さを学ぶ。これも復興においてパラスポーツが支援できることのひとつと言えるだろう。

16年間、夢を諦めずに努力し続けられた魔法の言葉

車いすバスケットボールのデモンストレーションにて、子どもたちが懸命に応援する中、スリーポイントシュートを一発で決めた根木氏

この日、根木氏が子どもたちへ伝えた話の中で、一番印象的だったのは「応援の力」だ。車いすバスケットボールでなかなか入らないシュートが初めて入った時、何度も諦めそうになりながらパラリンピック出場を果たすことができた時、そこにはいつも友達の応援があったという。

「僕は事故の後、これからどうやって生きていけばいいんだろうと自分を見失っている時がありました。けれど、車いすバスケットボールを始めてから、子どもたちが『根木さん、かっこいい!』『がんばれー!』と応援してくれるようになって、それまで可哀想な存在だった自分が、かっこいい存在として認められた気がしました。失っていた自尊心と自己効力感を取り戻したんですね。そこからもっとみんなに輝いている姿を見せたい!と、パラリンピック出場を目指すことになりました。出場までには16年もかかりましたが、仲間の応援があったからこそ、諦めずに挑戦し続けることができたと思います」(根木氏)

「応援する」ということは、前提としてその人を認めていることになる。認めた上で、愛を持って相手を勇気づける行動だ。最初は何気ない「がんばれ」の一言かもしれない。けれど、応援された者はその一声で勇気が湧き、力がみなぎってくる。その頑張る姿を見て、応援する者もまた「がんばれ」と今度はもっと気持ちを込めてエールを送るだろう。この好循環は、両者にとって想像以上のパワーを作り出しているのではないだろうか。

生徒全員参加での車いすリレー体験では、生徒同士で多くの声援が飛び交い、応援の大切さを改めて学ぶ機会となった

この日の授業に参加した生徒や先生からの声も紹介したい。

「根木さんのお話を聞いて、いつも以上に応援の大切さや仲間の大切さを感じることができました。それから夢や目標を持つことの大切さとポジティブに考えることがすごく大切だということも教えていただきました。医療関係の仕事に就きたいという夢があるので、今日の教えを活かしていきたいと思います」(鈴木謙吾さん)

「色んな人と一緒に応援して協力し合う、という言葉がとても心に残りました。僕も部活や大会などの行事で応援されると、がんばろう!という気持ちになるので、これからは僕自身ももっと仲間を応援したいと思いました。それから、母から震災の時は周りの人とよく協力しあったと聞きます。今日学んだことも活かして、周りの人で困っている人がいたら進んで協力して助け合いたいと思いました」(鈴木崇太さん)

「今年度は、中総体(全国中学校体育大会)がコロナで中止になり、今日の授業に参加した1年生は、先輩たちのがんばりや挑戦する姿を見ることができなかったこともあったので、根木さんの、長い年月がかかったけれど周りの応援によって諦めずにパラリンピック出場を目指せた、というお話は生徒たちにもとても良い刺激になっていました。結果がどうであれ、まずは挑戦してみる、ダメでも挑戦してみる、というところもとても学びが多かったと思います。生徒たちにも、前向きに自分から行動を起こす強さを持って欲しいなと思いました」(高橋先生)

「スポーツでいうと勝っていくほどに『自分だけの力じゃない』と、応援の力というものを感じます。私自身もテニス部出身で、教員になってからは生徒たちにテニスを指導しているのですが、10年以上かけてやっと(生徒たちの)東北大会への出場を成し遂げた経験があります。それこそ何度も諦めかけたのですが、生徒のがんばる姿を見る度に勇気づけられたこと、いろいろな人に支えられてきたことを、今日のお話を聞いて思い出しました。震災から10年経ちますが、起きたこと全てがダメだったわけじゃなく、応援や支援もあって、みんながすごくたくましくなっていく経験もたくさんもありました。今の子どもたちにも、たとえどんな状況でも挑戦する力、諦めない力を持って生きていって欲しいと思います」(学年主任 扇谷先生)

他にも授業を見守っていた保護者からは「やはり人間はひとりでは生きていけない。仲間や周りの人を大切に成長していって欲しいと思います」「子どもたちも社会に出れば、さまざまな経験の中で必ず壁にぶつかる時があると思うので、周りの人の助けというのは本当に大事なことだと改めて気づかされました」といった声が寄せられた。

震災という経験、事故で車いす生活になるという経験、人はみなそれぞれ多様な人生を送っている。応援し合うというのは、そんなお互いの多様性を認め合うということ。そして人は認められることで、勇気を持って夢や目標に挑戦し続けることができるのだろう。この日の「応援の力」の話には、そんな多くの気づきを与えてもらった。

パラスポーツには一人ひとりを、そして社会を変える力がある

こうしたパラスポーツを通した復興支援は、被災地の人々にとって、前向きな気持ちへの後押しになったのではないだろうか。

震災後に女川を訪れた時のことを、根木氏はこう振り返る。

「女川フィーバーエンジェルスという女子ミニバスケットボールチームの子どもたちによく会いに行っているのですが、震災後の初期の頃はやはりまだスポーツをする雰囲気じゃなかったんですね。子どもたちのお母さんも『あんなにミニバスが好きだったのに、子どもたちはやりたいと一言も言わない。そんな余裕もないし、手段もないし、やりたいと言ってはいけない。という空気だった』とおっしゃっていたんです。そんな状況だったけれども、県外から来た車いすバスケットボールをやっている僕やバスケの女子選手たちが関わっていったことで、みんなが笑顔を取り戻していった。お母さんたちも楽しそうにしていたし、子どもたちも『またバスケができて本当に良かった。来てくれてありがとう』『今度はいつ来る?』って嬉しそうに言ってくれて。そんな子どもたちを見たら、また絶対会いに来よう、パラスポーツを通して僕はみんなにパワーを届けて行こう!そう心に強く思いました」(根木氏)

流れを変えるためには、時には外からの新しい風が必要だ。根木氏の訪問活動は、被災地の子どもたちにとって、安心して笑顔になれる時間であり、きっと意識が変わる転換期になったに違いない。

女子ミニバスケットボールチーム・女川フィーバーエンジェルスの子どもたちとの交流の様子 ※写真は根木氏提供(2014年撮影)

最後に、石巻での「あすチャレ!School」の実施を積極的に推進している石巻市 復興政策部 東京オリンピック・パラリンピック推進室 主任主事の境氏にパラスポーツの可能性についてお話しいただいた。

3年前に初めて「あすチャレ!School」と関わり、そこから毎年応募しているという石巻市 復興政策部 東京オリンピック・パラリンピック推進室 主任主事の境氏

「研修で初めて根木さんのお話を伺った時に、『エレベーターの無い場所で、車いすの僕が2階へ行くにはどうしたらいいか?と言う質問を子どもたちにしたら、<僕が根木さんを運んであげるよ>という答えが返ってきた』というエピソードがありました。この時にお話しされていた、障がいは “体” にあるのではなく“社会” にある、社会が変われば障がいはなくなる、という考え方にとても感銘を受けました。お互いの多様性を受け入れて支え合う。この共生社会に対する考え方が世の中に広まっていけば、すごくいい社会になるのではないかと思います。まずは石巻からですが、パラスポーツの取り組みをこれからも積極的に実施していきたいと考えています。パラスポーツに触れる機会を増やすことで、そう言ったかけがえのない気づきがよりたくさん生まれるのではないでしょうか」(境氏)


パラスポーツには、新しい発見や気づきを与えてくれる特別なストーリーがある。そこから学べるものは、被災地の方々のみならず、人生で思いがけない困難に直面した時、自信を失った時、思い悩んだ時、誰もが必要とする生きる術だ。それは小さな意識の変化から大きな価値観の変化まで、一人ひとりの人生を変えるだけでなく社会全体を変えていけるほどのパワーに満ちている。となれば、パラスポーツは今後もますますあらゆる分野で活用されていくのではないだろうか。パラスポーツの可能性に今後もより一層期待したい。

この記事の<第一部>はこちら↓
震災復興になぜスポーツが活用されたのか? 被災地に希望をもたらしたスポーツの真価とは
https://www.parasapo.tokyo/topics/31215

「あすチャレ!School」の応募申し込みは公式HPより
https://www.parasapo.tokyo/asuchalle/school/
※2021年度第2次募集(7~9月実施分)受付期間は4月12日~23日になります。

text by Parasapo Lab
photo by Yoshiteru Aimono

復興を支えるパラスポーツの知恵。どんな時も前を向いて生きるために必要なこと<第二部>

『復興を支えるパラスポーツの知恵。どんな時も前を向いて生きるために必要なこと<第二部>』