震災復興になぜスポーツが活用されたのか? 被災地に希望をもたらしたスポーツの真価とは<第一部>

震災復興になぜスポーツが活用されたのか? 被災地に希望をもたらしたスポーツの真価とは<第一部>
2021.03.11.THU 公開

東日本大震災から10年が経った。震災直後から始まった復興・創世もこの10年目を節目に新たなステージへと向かう。これまで国内外からさまざまな支援が行われてきた中で、被災地に大きな希望をもたらしたもののひとつが、スポーツだ。復興支援にスポーツがどのように活用されたのか? どれほどの影響力があったのか? 今回は、特別連載 震災復興×スポーツ(全2回)の第一部として「復興支援におけるスポーツの価値」について考えてみたい。

※写真は、震災当時、多くの人が津波から逃れるために登ってきたという宮城県石巻市の高台にある日和山公園(2021年3月9日現在)。

日本の力をひとつに。スポーツから発信される言葉の力

2011 FIFA女子ワールドカップにて、優勝トロフィーを掲げるなでしこJAPAN ©︎Getty Images Sports

スポーツはこれまでも、する楽しみや観る楽しみ、一体感、悔しさを乗り越えた後の達成感など、さまざまな魅力や感動によって幾度となく人を、社会を動かしてきた。そういった中、震災という困難な状況下でスポーツはどんな価値を発揮したのか? そのひとつにスポーツから発信される言葉の力があるだろう。震災後に行われた、復興支援によるスポーツイベントでは各所でさまざまな想いやメッセージが発信されたが、日本全国、そして海外の人々の心にも力強く刻まれたのではないだろうか。まずは、そんな印象に残るメッセージや名スピーチを一部紹介したい。

<2011年3月29日>
東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ「日本代表 ×Jリーグ TEAM AS ONE」

東北地方太平洋沖地震 復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン! サッカーファミリーのチカラをひとつに! TEAM AS ONE チカラをひとつに。 がんばろうニッポン!(被災地市町村名表示) と共にチカラをひとつに。/ 日本は必ず立ち直ると確信している。サッカー界として一致団結して全力を尽くしていきたい。 日本代表 監督 アルベルト・ザッケローニ / 私の愛する美しい日本は必ず復活する。共に力を合わせて歩んでゆこう。 TEAM AS ONE 監督 ドラガン・ストイッコビッチ
2011年3月29日に大阪長居スタジアムで行われた東日本大震災復興支援のチャリティーマッチにて、電光看板に表示されたメッセージ。復興支援のスローガンは、「チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-」

震災直後の3月29日、大阪長居スタジアムに海外組12名を含む全46名の日本代表及びJリーグのスター選手が集結した。入場時には、各選手が “がんばろうニッポン!” のプリントと手書きメッセージが書かれたTシャツを着用、両チームのキャプテンによる復興スピーチ、後半36分に得点を決め、会場を一気に沸かせた現役最年長・三浦知良選手の “カズダンス” も感動的なシーンとして記憶に残っている人も多いだろう。

この日Twitterで最も多かった賛同の声は、LED看板に表示されたメッセージに対するものだったという。「メッセージに感動した」「被災地名があって感動した」「海外へのメッセージが良かった」「チャリティーの意義がある」など、多くの敬意や感謝の声がツイートされ、サッカーファンのみならず、日本中で支援の士気が高まった。

<2011年4月2日、3日>
プロ野球 チャリティーマッチ/楽天イーグルス・嶋基宏選手のスピーチ

先日、私たちが神戸で募金活動をしたときに、「前は私たちが助けられたから、今度は私たちが助ける」と声をかけてくださった方がいました。  いま日本中が東北をはじめとして、震災に遭われた方を応援し、みんなで支え合おうとしています。地震が起きてから眠れない夜を過ごしましたが、選手みんなで「自分たちに何ができるか」「自分たちは何をすべきか」を議論し、考え抜きました。  いまスポーツの域を超えた「野球の真価」が問われています。  見せましょう、野球の底力を。 見せましょう、野球選手の底力を。 見せましょう、野球ファンの底力を。 ともに頑張ろう東北! 支え合おうニッポン!
札幌ドーム慈善試合にて、2011年の選手会長、嶋基宏選手の名スピーチ(一部抜粋)

震災後、安全を考慮の末、遠征からすぐに帰仙できなかった楽天イーグルスの選手たち。当時、選手からは「やっぱり仙台、宮城、東北の方々が心配でなりません。家族もそこにいますから、正直、練習に100パーセント集中はできていません」(初代キャプテン 土屋鉄平選手)「野球をするよりも、1日でも早く被災地に行って、がれきのひとつでも片づけたい」(選手会長、嶋基宏選手)といった、「早く戻りたい」の声が続出したという。そんな中で選手たちは「帰れないのなら、いまできることをやろう」と立ち上がり、募った義援金とともに物資を被災地へ送った。
そして、その想いは同年4月2日に開催された慈善試合で伝えられた嶋選手のスピーチに続く(上記)。当初、プロ野球を統括する日本野球機構から送られてきた原稿は、『被災地,頑張れ』というどこか他人目線とも感じられるものだったという。その表現に違和感を覚えた当時の楽天野球団の広報担当と嶋選手は、独自の原稿に書き直す。『頑張れ』から『見せましょう』に表現を変え、共に立ち向かう意志を伝えたことで多くの共感を呼ぶこととなった。その後、2013年に楽天イーグルスは日本一を達成した。

<2011年7月17日>
2011 FIFA女子ワールドカップ なでしこJAPAN 優勝時の横断幕メッセージ

2011 FIFA女子ワールドカップにて。決勝試合の終了後、復興支援への感謝を伝えた横断幕を掲げるなでしこJAPANの選手たち ©︎Getty Images Sports

震災があった2011年の7月、FIFA女子ワールドカップでのなでしこJAPANの初優勝は、歴史的勝利として世界中で語り継がれるものとなった。試合後に選手たちが最初に手にしたものは、日の丸国旗ではなく、震災後の日本への支援に感謝するメッセージが綴られた英字の横断幕『To Our Friends Around the World, Thank You for Your Support』だったことも心に刻まれる名シーンだっただろう。
そして、なでしこJAPANに惜敗した米国のメディアでは、「力強いプレーと意表を突く走りが、大震災からの復興を図る日本の国民を(大会を通じて)勇気づけた」(CNNテレビ)、「復興への希望の上に築かれた勝利で、(大震災で)打撃を受けた国を盛り上げた」(ニューヨークタイムズ)、「なお大震災からの回復を図る国民にとっては、特に感動的な優勝」(ウォールストリート・ジャーナル紙)などと報じられ、世界中から日本へ盛大なエールが送られた。

こうしてスポーツを通して発信された復興メッセージは、大きな力となって波及し、震災後の日本をひとつにしただけでなく、世界との絆も深めるものとなった。

スポーツという名の希望が、被災地へもたらしたもの

2018年6月に行われた「第4回 いしのまき復興マラソン」の様子(写真提供:石巻市)

次に、実際の被災地ではスポーツはどんな影響を与えたのだろうか。具体的な施策や反響について、石巻市 復興政策部 東京オリンピック・パラリンピック推進室 主任主事の境氏にお話を伺った。

「東日本大震災が発生してから、国内外から物資や義援金、ボランティアの方々など本当に多くのご支援を賜りました。そういった中で、スポーツでの復興という支援は、被災地や被災者へ明るく前向きになれるような希望をもたらしているのではないかと思います。 石巻の例でいうと、プロサッカーの本田圭佑選手のご支援によって『セイホクパーク石巻(石巻市総合運動公園)』内にフットサルコートができたり、過去5回開催された日本オリンピック委員会主催の復興支援の取り組み『オリンピックデー・フェスタ』ではオリンピアンの方々が石巻を訪れてくださったり、と本来ならばあまりなかった機会が非常に増えたと感じております」(境氏 以下同)

2019年8月のオリンピックデー・フェスタ in 石巻(写真提供:石巻市)

また石巻市は、2016年4月にJリーグのベガルタ仙台と復興支援連携協定、2017年12月に楽天野球団(楽天ゴールデンイーグルス)とパートナー協定を結んでいる。

「震災以降、株式会社楽天野球団と協定を結び、イースタン・リーグの試合などを石巻で開催いただきました。イースタン・リーグの試合では、1試合に2000人から3000人ぐらいの人々が来場されて、スポーツによる交流人口というものが促進されたのではないかと思います。経済的効果も含め、石巻の活気を取り戻す非常に良い機会となりました。また、プロのアスリートとの交流イベントもあり、普段はなかなか会えない憧れの選手に実際に会えたことで、自分もいつかこうなりたいと思えたり、子どもたちにとっても心の成長につながる機会になっていると思います」

他にも、復興庁では「復興五輪」という取り組みを行っているのをご存知だろうか。五輪を通して行う取り組みによって、世界中からの支援への感謝や復興しつつある被災地の現状を発信すること、大会後も含め、被災地への関心やつながりを深めることを目的としている。石巻ではどんな取り組みが行われたのだろうか。

「今回の東京2020オリンピック・パラリンピックでは、ホストタウンという事業が進められているのですが、石巻市でも<復興ありがとうホストタウン>という枠組みで登録させていただき、アフリカの北部に位置するチュニジア共和国の復興ありがとうホストタウンになりました。登録以降、チュニジアのオリンピック委員会、パラリンピック委員会の方々や、水泳選手団、チュニジア剣道ナショナルチームなどが当市を訪れ、地元の方々との交流がありました。石巻・チュニジアの20年以上にわたる友好関係のきっかけをお伝えしたり、被災地訪問では、当時の状況や今の復興状況なども知っていただくことができ、石巻を発信できる良い機会となっています。また、チュニジアのパラリンピック委員会の方々にご訪問いただいた際には、地元の貞山小学校で子どもたちにチュニジアの文化に関する授業をしたりしました。チュニジアの水泳選手に来ていただいたときも、子どもたちが選手に贈る合唱を色々考えて迎え入れたりと、普段なかなかチュニジアといった国と交流する機会がないので、子どもたちにとっても、良い刺激になっている印象を受けます」

2020年1月、貞山小学校の児童とチュニジア共和国の水泳選手、アメド・ アユブ・ハフナウイさんとの交流(写真提供:石巻市)

こういったホストタウン事業の他にも、復興五輪では被災地での競技開催や聖火リレーの実施なども予定しており、スポーツを通じて復興を後押しする機会となるよう被災地と連携した取組が進められている。

スポーツには、私たちが知らない価値がまだまだ隠されている。楽しむことだけでなく、いかなる時も人々に勇気を与え、希望を照らしてくれる存在であることが、今回の復興におけるスポーツ支援によって証明された。特別連載 震災復興×スポーツ(全2回)の第二部では、「パラスポーツによる復興支援」についてお届けする。

この記事の<第二部>はこちら↓
復興を支えるパラスポーツの知恵。どんな時も前を向いて生きるために必要なこと
https://www.parasapo.tokyo/topics/31402

text by Parasapo Lab
photo by Yoshiteru Aimono, Getty Images Sports,石巻市

震災復興になぜスポーツが活用されたのか? 被災地に希望をもたらしたスポーツの真価とは<第一部>

『震災復興になぜスポーツが活用されたのか? 被災地に希望をもたらしたスポーツの真価とは<第一部>』