一ノ瀬メイ・武者修行先のオーストラリアで思い巡らすスイマーとしての存在価値

一ノ瀬メイ・武者修行先のオーストラリアで思い巡らすスイマーとしての存在価値
2021.03.08.MON 公開

小麦色に焼けた顔が、南半球での充実の日々を物語るようだ。リオに次ぐ二度目のパラリンピック出場を目指す一ノ瀬メイは、2年前から、オーストラリア東海岸のサンシャインコーストという町を拠点としている。スポーツ大国でアスリートとして過ごす時間は、新たな感性に触れ、多様な価値観を学び、人としての視野を広げる機会ともなる。これまでも、障がいと差別に関する意見や提言を積極的に発信し、その発言が注目されてきた彼女は、東京2020パラリンピックを半年後に控え、今何を思うのか。胸中を伺った。

19歳でリオパラリンピックに出場した一ノ瀬メイ(写真は2019ジャパンパラ水泳競技大会)photo by X-1

近畿大学卒業後、同大学に職員として籍を起きながら、オーストラリアの大学を拠点にアスリートとして活動する一ノ瀬。オーストラリアでの日々とは、どのようなものだろうか。

一ノ瀬メイ(以下、一ノ瀬)  今の私は、近畿大学のスポーツ振興センター所属で、オーストラリアには出張という形で来ているんです。練習拠点は、サンシャインコースト大学という国立大学で「USCスパルタンズ」という大学のアスレティックチームに所属しています。チーム内にオリンピックとパラリンピックのチームがあり、どちらにもメダリストが現役でいます。水中の練習では、それぞれ別のコーチがついているんですが、ウエイトトレーニングと陸上トレーニングのコーチは一緒で、練習も一緒にしています。日本とは違うかもしれませんが、オーストラリアでは、それが当たり前なんです。日本の場合は、日本水泳連盟と、日本身体障がい者水泳連盟が別に機能しているので、試合も基本的に別だし、登録も別。一方でオーストラリアは水泳連盟が一緒で、そのなかにパラリンピックのヘッドコーチと、オリンピックのヘッドコーチがいるんです。選手たちも小さい頃から一緒の試合に出ているので、健常者も障がい者も、共存するのが当たり前の環境で育っている。だから、差別はいけないとか、そういう教育をする必要ないんです。そういうのをオーストラリアで見ていると、日本はまだまだだなって思います。

サンシャインコーストを拠点にし、大学のアスレティックチームに所属している photo by KINDAI UNIVERSITY

新天地で身をもって感じた、差別や垣根なき環境。オーストラリアの文化や人々の価値観に触れるなかで、彼女は環境問題や東洋哲学も学ぶようになっていく。“ヴィーガン”という生き方を選択したのも、新たに取り入れた多様性の一環。“ヴィーガン”とは単なる菜食主義ではなく、「可能なかぎり、あらゆる形態の動物への残虐行為、動物の搾取を取り入れないようにする生き方」であり、“種”による差別的な線引きをしないことでもある。それらの思想に深く共鳴したのは、差別廃絶の願いこそが、“アスリート・一ノ瀬メイ”の原点にあり、彼女を日本の頂点に、そして世界へと駆り立てた原動力だからだ。

一ノ瀬 子どもの頃の家の近くに、京都市障がい者スポーツセンターがあり、両親が連れていってくれたのが、水泳を始めたきっかけです。そこで、当時パラリンピックで水泳の日本代表監督をされていた猪飼聡さんという方に会い、「パラリンピックに出たい」と思ったんです。でも高1のときタイムがわずかに足りず、ロンドンパラリンピック代表を逃したんです。そのとき、「なんでこれ以上、水泳するんだろう」と、すっごく考えました。

そこで行き着いたのが、私は今まで『自分を守るために水泳をやっていた』ということ。腕がないことでいろんな心ない言葉をかけられたりして悔しい思いもしたけれど、そんな人たちを見返せるのが水泳だった。でも考えてみたら、日本記録を出した時点で、その目標は一つ果たせていたんですね。だから『自分を守るための水泳』だったら、もう十分だなって。

アジアパラ競技大会に出場した中学生のころ photo by X-1

しかし、一ノ瀬は泳ぎ続ける道を選択した。

一ノ瀬 でもだったら、ロンドンパラリンピックを逃してもまだ泳ぐ理由はなんだろう、まだ上位を求める理由は何かなと考えたとき、『自分は守れても、まだ周りの人は守れていない。だったら私はまだこれからも、上を目指して社会を変える必要があるんだ』という答えが出たんです。ロンドンのときは、イギリスに住んでいるおばあちゃんや親戚もチケットを取っていたし、イギリス人である父の母国でのパラリンピックで思い入れもすごく強かった。でも今思えば、あまり考えずに成績も出ていたので、調子に乗っていただろうなって。だから今は代表を逃して当然だったし、逃して良かったなと思います。

競技者として勝つだけではなく、水泳という競技を通じて自己表現をし、より良い社会の実現を目指す一ノ瀬。理想を追い、スポーツの持つ力を信じてきたからこそ失望も味わってきた彼女にとって、今パラリンピックはどのような位置づけなのだろうか。

一ノ瀬 パラリンピックの意味合いや位置付けは、変わっていると思います。自分の中だけで言うと、以前は、パラリンピックに全ての正解があると思ってたんですね。そこで活躍すれば全てが良くなる、全ての自分の努力をそこに向けて注いでいさえすれば、大丈夫だと思ってたんです。でもいろいろ経験するなかで、そうではないなと気づいて。

パラリンピックやパラリンピック選手が有名になったからといって、一般の障がい者の生活が良くなるかといったら、そうではない。最近、テレビやメディアを通じて、パラリンピックに出ている障がいのある選手を見る機会はすごく増えたと思うんですが、それがダイバーシティだとは思っていないんです。障がいのない人と同じことを障がいのある人がやれるのが、ダイバーシティ。だから“障がい者=パラリンピック”みたいになってしまうのは、違うと思うんですね。
たとえば誰かが、片腕の短い子を見て『一ノ瀬メイちゃんと一緒だね。この子もがんばればメイちゃんみたいになれる、パラリンピックを目指せる』と思うとしたら、すごく危険だなと思って。一般の人なら、高い目標を持ってストイックに頑張る人もいれば、毎日普通に生きているのが幸せの人もいる。障がいのない人の間ではそれが当たり前なのに、障がい者は、障がいがあっても頑張れるとか、みんなストイックに障がいに打ち克つために努力ができるというイメージがついてしまうのが、すごく危険だなと思ったんです。なのでメディアで見る障がい者像も、もっともっとダイバースにならなくてはいけないし、周囲も、もっと多面的・多角的な理解が必要だと思っています。

日本でのレースからは遠ざかっているが、東京パラリンピック日本代表になるには東京への出場権を争う5月のジャパンパラで記録を出すことが必須になる(写真は2019ジャパンパラ水泳競技大会)photo by X-1

東京オリンピック・パラリンピックの開催に関しては、先ごろの世論調査でも8割近くが「中止、もしくは再延期」を望んでいる結果も出るなか、抜本的な問題解決を先送りにし開催に前のめりな姿勢にも、疑問を感じずにはいられないという。

一ノ瀬 オリンピック・パラリンピックって、世界平和の象徴と言われていると思うんですけど、今回のコロナで、それが違うってことが明るみに出てしまったように感じます。本当に、スポーツのあり方、価値を考え直すときに来ていると思います。どうして競争が必要なのか、スポーツが必要なのか。去年、私がすごく感じたのは、このような状況下でスポーツができるのって、英語で「privilege(=特権、栄誉)」と言いますが、本当にそうなんだなということです。

私にとってのオリンピック・パラリンピックは、キラキラした夢の舞台だったからこそ、今回の事態に心を痛めています。私の思うオリンピック・パラリンピックは、こんなもんじゃないというのが正直なところ。本当の意味で、みんなに夢や希望を与えられる存在だと思うし、平和を謳う象徴になれると思っています。

オンラインで取材に応じてくれた一ノ瀬 photo by Akatsuki Uchida

コロナ禍でも、スポーツができることは「privilege」だと彼女は言う。それは即ち、スポーツにはそれだけの価値と力があるという、人々の信用や希望に支えられた栄誉であり特権だ。「privilege」の意味と意義を胸に刻みながら、一ノ瀬メイは今日もプールへと向かう。

text by Akatsuki Uchida
key visual by KINDAI UNIVERSITY

一ノ瀬メイ・武者修行先のオーストラリアで思い巡らすスイマーとしての存在価値

『一ノ瀬メイ・武者修行先のオーストラリアで思い巡らすスイマーとしての存在価値』