世界女王・中西麻耶、4度目のパラリンピックで叶えたい夢

世界女王・中西麻耶、4度目のパラリンピックで叶えたい夢
2021.02.24.WED 公開

東京パラリンピックの前哨戦である2019年のパラ陸上世界選手権で優勝し、名実ともに日本が誇るトップアスリートとなった中西麻耶。鍛え抜かれた肉体美とダイナミックな跳躍で目を引く一方、波乱に満ちた競技人生がたびたびフォーカスされる。「背が高いわけでも、スポーツが得意な血筋というわけでもない。それでも、努力と気持ちで人に差をつけ、自信を持って夢を描けるところまできた」。今年の夏、4度目のパラリンピックを迎える世界女王が東京で見せたいものとは――。

初めてパラリンピックに出場したのは23歳のときだった。2008年の北京大会。パラリンピックの陸上競技も、多くの人の記憶に残るあの「鳥の巣(北京国家体育場)」で行われた。100mと200mの2種目に出場した中西は、いきなり両種目で決勝に進出する快挙を成し遂げたのである。

中西麻耶(以下、中西) 2007年に出場した初めての日本選手権で日本記録保持者になり、北京大会に出場しましたが、当時はすごく複雑な思いでいました。もともとはソフトテニスで地元・大分の国体出場を目指していましたし、スポーツの勝負の世界で生きてきたので、競技人口が少ない国内の競技会では物足りなさを感じていました。一方で競技用義足を使いこなすのは難しく、仕事中の事故で右足を切断して間もなかったので断端部分は痛みます。資金面でも貯金も切り崩して大会に臨みましたし、簡単にパラリンピックで結果を出せるのだと思われるのも嫌でした。とにかく「これは競技スポーツだ!」というのを示したいと必死でした。

結果的に、決勝の舞台で世界のトップと競い合った経験は大きな刺激になり、さらなる高みを目指すきっかけになった。その後、単身渡米し、2009年にプロ宣言。資金難による世界選手権出場断念やセミヌードカレンダー発売で受けた批判……さまざまな苦難に立ち向かい、走り幅跳びのメダル候補として2012年のロンドン大会に出場した。しかし、大きなプレッシャーに襲われ結果は振るわず、そのまま引退を表明した。だが、このままでは終わらない。2009年から2012年まで指導を受けたオリンピック三段跳びの金メダリスト、アル・ジョイナーの言葉が彼女を再び、陸上競技場に向かわせた。

義足のジャンパー中西麻耶は、努力と気持ちで困難を乗り越えてきた

中西 当時の日本では海外のコーチなんて歓迎されなかったし、何より再びアメリカに渡る財力もなく、アルに指導を続けてもらえないならもうあきらめるしかないという気持ちでした。それに、日本で障がい者スポーツをする魅力を感じられなかったのも事実です。だから、またテニスに復帰しようかなと考えていたのですが、その頃、ビデオ通話でアルと話し込んだことがあって「じゃあ、なんで健常者とレースしないんだ。負けるのが嫌なんだろう」って言われたんです。目標だった「6mを跳ぶ」という目標はまだ達成していませんでしたし、健常者の中でやれるところまでやってみようと気持ちが動きました。

2013年春に復帰した中西は、「大分から世界へ」を合言葉に地元で練習を積み、2016年のリオパラリンピックで4位入賞。東京パラリンピックに向かって進化を続け、2017年の世界選手権で銅メダルに輝いた。そして、2019年。初の世界一と東京パラリンピックの出場切符を勝ち取った。

2019年世界パラ陸上競技選手権大会で初優勝。東京パラリンピック日本代表に内定した ©Getty Images Sport

中西 10年以上目指してきた世界一はうれしいですが、5m37という記録は満足いくものではありません。それに、やはり東京パラリンピックでは、6mを跳びたい。2019年から指導してもらっている(走り幅跳び・元日本チャンピオンの)荒川大輔コーチは、アルに続いて「6m跳べるよ」と言ってくれる存在です。感覚なども似ているところがあるので、荒川コーチとのタッグでどれだけ記録を伸ばせるかワクワクしています。

パラリンピックの開催が予定されていた2020年、新型コロナウイルス感染症流行の影響で東京パラリンピックは1年先送りになった。しかし、競技生活で訪れたさまざまな逆境を乗り越えてきた中西は、早くから不測の事態を想定していたこともあり、コロナ禍でも落ち込むことはなく、志を高く持ち続けることができた。

河川敷で冬季シーズンのトレーニングに励む中西

中西 競技場を使用することができなくなっても、公園や河川敷など、とにかく練習ができるところを探しました。コーチのいる大阪に移り住んだこともあり、質の高い練習ができたので、東京パラリンピックの1年延期が決まってもそのまま当初のパラリンピックの日程を目指してピーキングすることにしたんです。

2020年9月、パラスポーツ再開を告げる日本パラ陸上選手権で、中西は自らのアジア記録を更新する5m70をマーク。どんな状況下でも、やるべきことを遂行して前進するたくましさを結果で示したのだ。

中西 実家のある大分から大阪に移り住んだのはけっこう大変でしたね。実家に住んでいるとコロナを持ち込むリスクがあるので、仕方ないのですが……。大分では食材を買うにもなじみの八百屋や魚屋に行っていたし、リラックスしたいときにいつも行っていた喫茶店があったりするので、ふとしたときに恋しくなります。でも、大阪でも楽しくやっていますよ。もともと自炊が好きなのですが、ご近所さんに料理のレシピを送ってもらったり、それに少し出かけるときに愛犬を預かってもらったりするなど新しいつながりもできつつあります。

コーチ曰く「オンとオフの切り替えがうまい選手」。東京パラリンピックが近づくにつれて応援してくれる人も多くなり、街を歩いていても声をかけられることが増えたという。

中西 2021年の夏は、できれば観客の前で試合ができたらうれしいです。「どうしても中西選手の試合を見たい」と思ってもらえる選手になりたいし、「パラリンピックに中西麻耶あり」と印象付けるようなパフォーマンスをしたい。その思いは、コロナ禍でも変わりません。ほかのアスリートにも言えることですが、真剣に取り組んでいる姿はもちろんのこと、試合のちょっとした時間の表情や立ち振る舞いを見れば、そのアスリートがどんな道を辿ってきたのか想像できると思うんです。残された時間、ひたむきに努力を重ねてあの舞台に立ちたいと思うので、そんな私からも何か感じてもらえたらありがたいです。

東京パラリンピックでは6mを超えるジャンプで金メダルを目指す

2022年には神戸でパラ陸上の世界選手権もある。「長く愛される選手でありたい」と穏やかな笑みをたたえる中西。まずは2021年の夏、エネルギッシュな跳躍で日本中を魅了してくれるはずだ。

text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda

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