エヴァン・ストロング
横乗り系スポーツに愛された
初代パラリンピックチャンピオン

エヴァン・ストロング選手

スノーボーダー

平昌パラリンピックで
「連覇」を狙う

平昌2018冬季パラリンピックから正式競技となるスノーボード。2大会連続の金メダル獲得を目指すことができるのは、2014年にソチパラリンピックのアルペンスキー・スノーボードクロス種目で金メダルに輝いたアメリカのエヴァン・ストロングだけだ。

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彼はソチで勝って以来、もっといい選手になろうと、4年をかけてトレーニングを重ねてきた。その自負は言葉からもにじみ出る。「誰もが勝ちたいのはわかっている。でも、他の選手には勝たせるわけにはいかない」

ソチ後のたゆまない練習は2017年、ひとつの素晴らしい結果をもたらした。ワールドカップでコンスタントに好成績を残し、初の年間王者に輝いたのである。

「シーズンチャンピオンになるには、ひとつのミスも許されない。だから、クリスタルトロフィーを手にしたときは本当にうれしかったよ」

パラスノーボーダーにとって最高の栄誉とされるクリスタルトロフィーを獲得し、年間王者という新たな称号を得たストロング。ただ、そんな彼にとっても、パラリンピックは特別な大会だ。

「世界中が注目しているし、周囲の期待も大きい。なにしろ4年に1度だからね。クリスタルトロフィーには毎年チャレンジできるけど、パラリンピックはそうはいかない。4年の歳月を費やしているから、平昌の舞台に立ったときは、胸に迫るものがあると思う」


窮地を救ってくれたのは
スケートボードへの愛

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2004年11月3日―。18歳の誕生日まであと10日のこの日、ストロングは交通事故に遭う。バイクを運転中、飲酒運転の車にひかれてしまったのだ。左足の切断を余儀なくされる大事故。13歳にしてスポンサーを獲得し、プロを目指していた若きスケートボーダーは、一瞬で奈落の底へと突き落とされた。常夏のハワイで育った快活な青年は、病室の天井を見つめながら、「左足が失われただけでなく、自分そのものも失われた感覚に陥っていた」という。

それまでの人生は、スケートボード一色だった。彼はスケートボードが得意で、スケートボードで地域にも貢献していた。スケートボーダーとしての明るい未来や夢も待っていた。それなのに、全てが一気に消え去ってしまった。今の自分にはいったい何の価値があるのか……。絶望の淵に佇んだ。

そして、スケートボードに対する情熱も、一気に失ってしまった。スケートボードから別れを告げられた気もした。だが、窮地にいた彼を救ったのは、スケートボードへの「愛」だった。ストロングの心は、やがてまたスケートボードへと戻っていく。彼はそれだけ、スケートボードが好きだったのだ。

「愛は盲目ってやつかな。でも、だからこそ、頑張ってリハビリをして、もう一度スケートボードをやろう、という自分が進むべき道が見えてきたのだと思う」

とはいえ、その道は決して平たんではなかった。スタートから困難の連続だった。「最初は歩くのも難しかったし、立っていることさえつらかった。痛みもあったしね」

だから、立ってズボンを履けただけでも、靴を履けただけでも、勝利を勝ち取ったような気分になった。

プロの入口に立つレベルだったスケートボードは、初心者に戻ってやり直した。「それこそ、スケートボードを始めた子どもの頃にね。これまでやってきたことをもう1度やったんだ」

ストレスにさいなまれることも少なくなかったが、心は折れなかった。ストロングは前だけを見据え、命までは奪われずに生還したから、2度目のチャンスが来た、と考えた。そして、そこで新たな自分の価値を見出すことこそ、自分が生きている証明なのだと。

ストロングがスノーボードに出会ったのは、まさに再生への道を歩む真っ最中だった。たまたまスノーボード雑誌を手にした彼は、ページをめくっているうち、まるでスノーボードから手招きされているように感じたという。スノーボードは、スケートボードと同じ横乗り系のスポーツ。即座に、これなら自分もできる、と思った。もしかするとストロングは、スノーボードに出会うべくして出会ったのかもしれない。

2007年からスノーボーダーとしての活動を本格化した彼は、翌年、早くもパラスノーボードの大会で優勝。その後も、スケートボードで培ったテクニックを活かしながら、各大会で実績を残した。


事故に遭ってわかった
自分の新たな可能性

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数え切れないほどの石を積み重ね、ソチパラリンピックで金メダルをかけてもらったとき、ストロングはこんな心境にたどり着く。「事故に遭ったとき、自分の全てが奪い取られた気がしたけど、実は、自分が大切なものは失われていなかった。自分の心にある限り、その大切なものは、誰にも奪えないんだ。それがわかったとき、僕はようやくリカバリーが果たせたと思ったよ」

彼は今、自身が、アスリートして、人間として、事故に遭う前よりも強くなった、と感じている。「事故の前は、自分にどんな可能性があるかわからなかった。自分がどれだけ強いのかも……。事故に遭ったことで、新たな自分が見出されたのでは。(ジャマイカのレゲエミュージシャン)ボブ・マーリーは、『他にオプションがなくなるまで、自分がどれほど強いか気づけない』と言っているけど、本当にそうだよね」

ただ、ストロングの”可能性への挑戦”は、まだ道半ばである。平昌パラリンピック以降、主戦場を健常者のレースに移し、スノーボードを続けていく。その一方で、夏のパラリンピックにも出場したいとも考えている。2024年には、少年期にスケートボードとともに熱中したサーフィンが正式競技になる可能性があるからだ。すでにパラサーフィンの大会に出場歴もあり、パリ大会では海上で波に乗るストロングにお目にかかれるかもしれない。

ストロングは、一度事故で閉ざされた道を自ら道を切り拓いてきた。決して屈しない精神と、マイナスをプラスにしてしまう前向きな思考。これこそが、彼の強さを生んでいるのだろう。パラリンピックに名を刻む、スーパーアスリート、エヴァン・ストロングから目が離せない。


(2018.2)

interview by Shinichi Uehara
photo by Getty Images


エヴァン・ストロング

1986年11月13日、アメリカ・サンフランシスコ生まれ。少年期はハワイで育ち、プロスケートボーダーを目指していた。17歳のとき、交通事故で左足を切断し、義足生活に。2007年より本格的にスノーボードに取り組むと、すぐに頭角を現し、数々の国際大会で優勝。世界最高峰のX Gamesなどにも出場。2014年ソチパラリンピックでスノーボードクロスの金メダルを獲得。障がい別クラスはLL2。

 
  • パラリンピック成績

    2018年

    平昌パラリンピック
    男子バンクドスラローム(LL2) 銀メダル

    2014年

    ソチパラリンピック
    男子スノーボードクロス(LL2) 金メダル

    最終更新日:2018.05.04

エヴァン・ストロング 選手

エヴァン・ストロング 選手Evan Strong