本番で十分に実力を発揮する“ピーキング”の鍵は、自己効力感にあり

本番で十分に実力を発揮する“ピーキング”の鍵は、自己効力感にあり
2022.08.10.WED 公開

ピーキングとは、スポーツにおいて本番で最高のパフォーマンスを発揮できる状態に整えていくことと言われているが、結果を出すためには、競技の身体的なスキルはもちろんのこと、メンタル、つまり精神を整えることも重要だとされる。競技中の意識状態から人生全体の質向上までを支援する「メンタルコーチング」でオリンピックのメダリストや指導者をサポートしている柘植陽一郎氏に、本番で実力を発揮できる“ピーキング”のノウハウについてうかがった。

目指すのはメンタルの強化ではなく質の高い“自分会議”

柘植陽一郎氏 写真提供:一般社団法人フィールド・フロー

さまざまな競技でのサポート実績がある柘植陽一郎氏は、現場で度々もったいないと感じる指導者・選手の思い込みが2つあるという。それは「指導者は選手よりも正しい答えを知っているべき」「メンタルは強いか弱いかのどちらかだ」というもの。顕在的または潜在的にこの思い込みに囚われ、残念ながら可能性を発揮しきれない選手・指導者がいる。

「僕らメンタルコーチが選手の“ピーキング”のためにしているのは、“こういう時にはこう考えましょう”“こうすればうまくいきますよ”といった答えの提案ではなく、本人の中からいろいろなものが湧き出してくるきっかけ作りをする、答えをみつけるためにいつもと違う刺激を提供するということがベースになっています」

モチベーションの元となるものは人それぞれだ。何にワクワクするかも違えば、その人らしいやり方も違う。過去の成功・失敗体験、誰かから聞いた話、興味のある事柄。その人を動かすのは、そういったさまざまな要素から成り立っている。柘植氏はあるレース競技のサポートをしたとき、「スタート直前にどういった声がけをしたらいいか」というコーチの質問に、「僕はわかりません」と答えたという。

「選手によってしてほしいことは異なります。黙っていてほしい選手もいれば、何か言ってほしい、あるいはただ“信じてるよ”というオーラを発するだけで見守ってほしい選手もいます。ですから“本人に訊いてみませんか?”と言いました。本番で何が大事かというのは、選手と話す、選手の話を聞くということで見えてくることも多く、また選手自身も本当は自分に何が必要なのかについて探求するきっかけにもなります」

ちまたでよく聞くメンタルの強い・弱いという評価。持って生まれた性質によるものだとか、鍛えれば鋼のように強くなるというようなイメージを持たれがちだが、それだけでは本質はとらえられないと柘植氏は言う。

「本番を前にして緊張していないように見える選手がいると、“メンタルが強いからだ”などと言いますが、どんな場面でも緊張しない選手なんてほとんどいません。緊張しているんだけど、自分の中でどうしたらいいかという対話ができていることが多いんですよ。「メンタルが強いか弱いか」という点よりも、「自分との対話の質を高めていくことが大切」ということに注目することで、本番の緊張にどう対処するかということはもちろん、人生全体の質向上という点にも意識を広げやすくなります。パフォーマンスの瞬間から人生全体までの質を向上させるために、自分の中での対話の質、“自分会議”の質を高めることが大切だと考えています」

“自分会議”で習慣にしたい3つの問いかけ

自分との対話、“自分会議”とはなんだろう。自分に問いかけて自分で答える。その会議の質を高めることも、メンタルコーチングのアプローチでは重要なのだそうだ。

「本番で実力を発揮するピーキングに必要なのは、瞬間瞬間の意識状態のコントロールはもちろんですが、自分の人生にとって大事な価値観とはなんなのか、本番まではどうやって過ごすのがいいのか、そういったことを考えるのもピーキングのスキルだと考えています。自分と対話をしてそれらを探求していくことによって、いろいろなものが見えてくる。自分だけではなく周囲のことも。そうすると自分はどこに伸びしろがあるかもわかり、自分の望む形にする手段を見出すこともできるようになります」

本番で実力を十分に発揮するため、人生全体の質を向上させるために行う自分会議での問いかけのポイントは3つ。

1.今(ここ最近)、自分には何が起きているのか
2.自分は本当はどうなりたいのか
3.そのために今自分がまずできることは何なのか

この3つの問いかけを普段から習慣づければ今と未来にフォーカスを当てやすくなり、本番を前にしてもメンタルの安定を図れるのだそう。

「1つめの今に関する問いは、今この瞬間のことでもいいし、たとえば最近の試合で起きていることでも構いません。試合で言えば、技術的な面で、フィジカル面で、コミュニケーションに関して、というように何が起きているかについてなるべく具体的にすることが大切なポイントです。そしてそれらが本当はどうなっていたら良いのかというのが2つめの問い。じゃあ、そのために自分は何をすると望む未来に少しでも近づくことができるのかを、3つめの問いで考えます。このように自分に問いかけるのが習慣になると、環境や誰かのせいにすることもなく、コントロールできないものや誰かに振り回されるような人生ではなく、自分の人生のハンドル、舵を自ら握ることができ、自分でコントロールできることを着実に増やしていくことができるようになっていきます」

柘植氏がメンタルコーチとして選手に自分会議を促して、心の中からさまざまな気づきを引き出す際に注意しているのが、選手に対するときの位置関係だそう。正面から向き合うと、どうしても相手を評価・判断したくなってしまう。しかし、横に並んで選手と同じ方向を向いて話すことで、選手の見ているもの、感じているものを一緒に探索しやすくなる。

「人は時間の中を生きていると同時に、人との関係性の中に生きてもいます。この3つの問いの答えを探すに当たっては、いつもの自分の思考パターンから少しだけ時間軸や空間軸を広げてみるなどいつもより広い視野を持つことができたり、いつもと違う視点で自分を眺めたりすることができるようになる工夫がポイントです。それによって、漠然としていた点と点が繋がり、新たな気づき・発見が生み出され、“ああ、わかりました!”“あっ、気づきました!”というようなことが起こります」

どんなときでも平常心を保つ思考パターンを手にいれる言葉“それはちょうどいい”

自分の状態、目指すべきところを明確にできたとしても、本番に実力をいかんなく発揮できるか。不安はなかなか消えないのが正直なところではないのだろうか。柘植氏は普段から「自分が良い状態でいられる術」を知っておくことが大切なのだという。

「それは、自分の持っている資源を最大限に活用できる状態、僕らは“リソースフル”って言ってるんですが、そういう状態でいられるようにすることが重要です。たとえば、ICカード乗車券で電車に乗ろうとしたらチャージが足りなかった。チャージしに行ったら前に並んでいる人がもたもたしていて、なかなか終わらない。するとだんだんイライラしてきますよね。これはアンリソースフルな状態です。それをリソースフルな状態にするのに効果的な言葉があります。“それはちょうどいい”と言うんです。全然ちょうどよくないんですが(笑)、あえてちょうどいいと言う。そのあとに“なぜならば……”と続けると、脳がそれがちょうどいい理由を考えてくれます。なぜならば……この隙にSNSの返信ができるじゃないかと。そして返信していたら、いつの間にか前の人のチャージが終わっている。あれ? もう少しゆっくりでもよかったんですけれど……と急に大らかな心持ちになっていたりします」

人は、自分ではコントロールできないことに引っ張られがちだ。目の前の人の行動は自分ではコントロールできない。自分でどうにもできないのだったら、自分で起こせるアクション、コントロールできることを考える習慣をつけておけば、本番でもコントロール不能なことで心を乱されないというのだ。

「“それはちょうどいい”が習慣になれば、たとえば試合の日、“うわっ、今日あの審判か。ジャッジに波があるんだよな、今日の試合最悪だ”とならずに、“今日はあの審判か。じゃあ、ジャッジの傾向を早く掴んでしまえば相手より優位に試合を展開できるだろう”と考えられるかもしれません。ジャッジを見極めるのは、自分でコントロールできることなので、ネガティブな気持ちに囚われることもなくなります。これは自分とのコミュニケーションでもあって、意識すればコミュニケーションパターンはどんどん変えていける。本番の前だけやろうと思ってもすぐにできることではないので、普段からこう考える習慣を身につけておくといいでしょう」

自己効力感をエネルギーにして成長サイクルを回し続ける

本番になると、ついいろいろと考えてしまって、結局実力を発揮できないという人もいる。失敗したらどうしようなど、一回の結果に意識がいきすぎて、本来のパフォーマンスをだすことができなくなってしまうのだ。このような時には、本番自体を人生全体の中の成長サイクルの一つだと捉えて、実験する気持ちを持ってみることも効果的だ。

柘植氏は「自己効力感」という言葉を度々使う。「自分はできる気がする」「チャレンジしてみたい」「やってみてもいいんだ」という前向きな気持ちのことだ。

「跳び箱の練習に例えると、まず3段飛べた、4段もチャレンジしてみたいな、飛べるかも、もう少しだな、ちょっと工夫して実験してみよう…というような、そんな行動を促進してくれる気持ちです。「チャレンジ→結果→振り返り→気づき→新たなテーマ→チャレンジ」という成長サイクル。他人との比較や結果に囚われすぎずにこういう実験・チャレンジを続けて行くことで、プロセスから多くのことを学ぶことができ、自分の人生は伸びしろ無限大で、自分でハンドルを握れるんだなと思えるじゃないですか。スポーツに限らず人生のいろいろな局面で、実験する気持ちを持って成長サイクル回す。自己効力感を大事にしつつ創意工夫しながら歩みを進めていきたいものです」

スポーツ選手のメンタルについてのお話だったが、ふと気づけば誰でも日々心がけておきたい心の持ちよう、自分との対話(会議)、コミュニケーションの取り方を教えていただいたように思う。実は柘植氏の祖母・柘植明子さんは、アメリカの著名な臨床心理学者カール・ロジャーズに日本人として初めてシカゴ大学で学び、信頼を受け日本語の翻訳を何冊も手がけたほどの方だったのだそう。柘植氏は小中高と多感な時期に祖母と暮らしていて、いつも隣で自分の話を聞いてくれていたことが印象に残っているという。柘植さんの場合は祖母だったが、子どもに対して“こうしなさい、ああしなさい”ではなく、“どうしたいの? どう考えるの?”と聞くことはいかに大事なことかを学んだのだろう。明子さんは柘植氏が今のような仕事を始める前に亡くなってしまったそうだが、きっとそのDNAは受け継がれているに違いない。

PROFILE 柘植陽一郎
1968年生まれスポーツメンタルコーチ、一般社団法人フィールド・フロー代表。
専門はメンタル、コミュニケーション、チームビルディング。KDDIグループにおいて10年間広報に従事した後、2005年にプロコーチとして独立。2006年より本格的にアスリートのサポートを開始し、メンタルスキル指導とは一線を画すメンタルコーチングを用いて、2008年北京五輪・2012年ロンドン五輪で金メダリストや指導者をサポート。2011年~2014年までの3年間メンタルコーチとしてソチ五輪で3つのメダルを獲得したスノーボードナショナルチームに貢献。リオ五輪で48年ぶりの4位入賞を果たした女子体操では、コーチと選手をサポート。その他、ラグビーHondaHEATのトップリーグ昇格やチーム史上最高位、ラクロス男子日本代表では、世界選手権念願の入賞・シード獲得に貢献。韓国プロ野球優勝チームのサポートも含め、個人競技・団体競技を問わず、プロ・オリンピック代表から中学高校部活動まで幅広くサポートする。また、日本全国で、選手・指導者・トレーナー・スポーツ関係者にむけてメンタル・コミュニケーション・チームビルディングに関する講演を行っている。日本と韓国でスポーツメンタルコーチ養成講座を開講し、卒業生は国内外で代表チームやオリンピック・パラリンピックのメダリストサポートなどで活躍。著書に「最強の選手・チームを育てるスポーツメンタルコーチング」(洋泉社)、「成長のための答えは、選手の中にある」(洋泉社)

text by Sadaie Reiko(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock, 一般社団法人フィールド・フロー

本番で十分に実力を発揮する“ピーキング”の鍵は、自己効力感にあり

『本番で十分に実力を発揮する“ピーキング”の鍵は、自己効力感にあり』