編集:まず、表題の「インクルーシブ」な考え方を問う前に、現在私たちが目指すべき社会と言われ、徐々に広がりを見せつつある「インクルーシブ社会」というものがありますが、その意味について教えていただけますか?
マセソン美季(以下、マセソン):もともとインクルーシブとは「包括的な、全てを含んだ」といった意味合いになりますが、インクルーシブ社会とは、あらゆる人が排除、孤立せずに安心して暮らせる社会と言われています。私は、公平性が担保され、あらゆる人に活躍の機会が与えられる社会だと思っています。
編集:あらゆる人とは、全ての人、ということですよね?
マセソン:そうですね。国籍、文化、障がいの有無、セクシャリティなど、これまで区別されがちだった枠を無くし、ひとり一人を尊重する社会を目指そう、ということです。現在、これが2016年から2030年までの国際目標として掲げられている「SDGs(持続可能な開発目標)」の取り組みの一つにもなっていることもあり、世界的な動きとして注目されています。
そんな社会作りに欠かせないのが、今回のテーマである「インクルーシブ」な考え方。それはつまり、あらゆる人に対して先入観や固定観念を持たず、人間の多様性を許容できるオープンなマインドと言えますね。
編集:なるほど。目指してはいるものの、日本ではまだまだ当たり前とは言えない部分も多いですよね。マセソンさんは、カナダ・オタワに在住されていて、お仕事でも世界各国を飛び回っていらっしゃいますが、海外と日本ではそれぞれどれくらい「インクルーシブ社会」は根付いていると思われますか?
マセソン:例えば私は車いすユーザーですが、カナダにいる時は、特に妙な視線を感じることはありません。私のようなアジア人も障がい者も『当たり前の存在』なんですね。かたや母国である日本に帰国すると、ジロジロと見られることが多いですし、一般の人と区別されたり、車いすに乗っているだけでぎこちない対応をされることも少なくありません。それで、「あ、そういえば、私って障がい者だったんだ」と改めて気づかされるんです。
特に日本は、北米と比べると街中で障がいのある人を見かけることが圧倒的に少ないから視線を集めやすいのかもしれませんが、そんな周囲の反応に居心地の悪さを感じて、障がいのある人はますます外に出なくなってしまうのではないかと思います。うちの子供が日本に来たときに、街中で見かけるのが健常者で若い人ばかりだから「みんな、日本のテクノロジーで治してもらったんだね。お母さんも治してもらったら?」と言っていたくらい(苦笑)。
私自身いつも同じ車いすで様々な国を移動していますが、自分が障がい者であることを忘れる国と痛感させられる国がある。私の障がいや能力云々じゃなくて、その国の環境や社会を構成する人によって障がいを感じる度合いが変わるんですよ。
編集:日本は、よくも悪くも昔から「みんなと同じ」を良しとする文化がありますよね。日本人が「違い」に対して過剰に反応してしまうのは、やはり移民を多く受け入れている欧米などに比べて、人種や宗教、文化など、様々な「違い」を日々感じることが少ない国だからでしょうか。
マセソン:環境の差はあるでしょうね。あとは、教育の差も大きいと思います。特に昔は障がいのある子どもは普通校ではなく養護学校に通っていて、学校生活で障がいのある子と接することはほぼ無かったんですね。今は特別支援学級などがあり、一緒に過ごせる時間も少しづつ増えてきましたが、やはりまだまだ障がい者を身近でリアルな存在に感じる環境は限られているのではと感じています。それに、学校でもメディアでも「かわいそうな人だから助けてあげましょう」とか、障がいのある人は困っている。という歪んだ考え方の刷り込みは、まだまだ残っていますしね。
例えば、息子が通っていたカナダの幼稚園では、逆に先生から私に「どんどん学校に出入りしてください」と頼まれたことがありました。教科書で教えるのではなく、実際に障がいのある人と同じ空間を共有することで、自然な学びを促していたんだと思います。障がいのある人たちに対する接遇のマナーなんか一切教えません。一緒にいろんな体験をすることで5歳児だって、自ら気付いて「美季が来るときは、床に散らかっているものを片づけておかないと車いすで通れないよね」とか、自然と考え方や行動が変わっていきます。そして絶妙なタイミングで必要な時に手を貸してくれるようになるんですよ。
そういった経験の違いが顕著に現れたのが、日本と北米の子どもたちに、インクルーシブな社会とはどんなイメージか、を絵で描いてもらったとき。
日本の子どもたちの絵は、手を繋いで輪を作っている人たちの真ん中に障がいのある人がポツンといてみんなで守っているイメージ。それに対して、北米の子どもたちの絵は、障がいのある人や高齢者、様々な人種の人たちでひとつの輪を作っているイメージになりました。
日本はマジョリティ(多数派)を指して「みんな」という言葉が使われているように感じることが多いけれど、インクルーシブな社会ではマイノリティ(少数派)も含めた全ての人が「みんな」なんですよ。