なんでも無料で修理? パラリンピックを支える世界的技術集団オットーボックとは

なんでも無料で修理? パラリンピックを支える世界的技術集団オットーボックとは
2021.11.29.MON 公開

コロナ禍という試練の中、多くの感動をもたらしてくれた東京2020パラリンピック。その大会を裏で支えたのが、選手の義肢や装具、車いすなどを無料で修理・メンテナンスをするサービスを行ったオットーボックという会社だ。世界中から集まった専門スタッフたちの驚くべき仕事内容について、オットーボック広報ご担当の佐竹光江さんと、技術者として同大会に参加した中島浩貴さんにお話を伺った。

修理が無料なのにはワケがある

オットーボック・ジャパン株式会社 マーケティング・コミュニケーション所属の佐竹光江さん

オットーボックとはドイツに本社がある総合医療福祉機器メーカーで、義肢や装具を作る業界を牽引してきた。同社ではその技術を活かし、1988年のソウル大会から毎回夏と冬のパラリンピックにおいて、アスリートたちをサポートしている。今回の東京2020大会でも、世界24カ国から106名のスタッフが集められ、22言語で対応。選手の義足や車いすをはじめとする、あらゆるものを無料で修理・メンテナンスした。このサービスが無料であることには、きちんとした理由があると中島さん。

「もしも料金が発生してしまうと、それを払える国と払えない国の格差がひらいて競技の結果に影響が出てしまう可能性があります。すべての国がメカニックを帯同できるわけではないですし、そういった金銭面でのアンフェアをなくすためにも、選手からはお金はいただきません」(中島さん)

実際問題として、修理用のパーツが手に入らない、技術者がいない、選手やチームの資金が足りないなどの理由で、自国で満足なサポートが受けられない国はたくさんあるという。

「前大会の時に我々が修理してから、一度も修理されていない同じ道具が持ち込まれることもあって『これって、前回修理したやつだよね?』などと言うこともあります」(中島さん)

しかし、修理と一言で言っても、パラアスリートの装具や競技に使う道具はさまざま。しかも競技の直前、場合によっては競技中に、車いすや競技用の装具が壊れてしまうこともある。そんな緊急事態に備えるために、オットーボックでは万全の準備を整えて挑んでいるという。

東京2020大会、選手村内に設けられたリペアセンターの修理風景。写真提供:オットーボック

18トンの工作機械と1万7300個の修理部品を用意

「東京2020大会のために、ドイツの本社から船便でグラインダーや溶接機などの工作機械を全部で18トン運び入れました。選手村に700平米の修理サービスセンターを設置した他、14の競技会場にリペアブースを設けて対応したんです。多様なリクエストに応えるため用意した修理部品は全部で1万7300個です」(佐竹さん)

その数を聞いただけで修理の規模の大きさがうかがえるが、こうしてオットーボックのスタッフたちは大会期間中、朝8時から夜の11時までシフトを組んで、あらゆるリクエストに対応。時には試合時間が遅くなり深夜2時過ぎまで待機することもあったそうだ。

そんなものまで? 想像を超えた修理の依頼

東京2020パラリンピックに技術者として参加した、オットーボック・ジャパン株式会社モビリティソリューションズ事業部の中島浩貴さん

パラリンピックの選手のための修理やメンテナンスと聞くと、車いすのタイヤのパンクや、義足の不調などを想像するが、実際の内容を聞いてみると、想像をはるかに超える仕事の領域に驚かされた。たとえば、大会の開会式や閉会式で各国の旗手が入場するシーンを思い浮かべてみて欲しい。先頭には国旗を持った旗手がいるはずだが、パラアスリートの場合、車いすや義手の選手もいるため、国旗を両手で持つことができないケースがある。そのためフラッグホルダーをゼロから手作りしたという。

東京2020パラリンピックにて、オットーボックオリジナルのフラッグホルダーを使って旗手を務めるパラアスリート ©︎Getty Images Sports

「フラッグホルダーが必要な旗手の方の車いすが、どんな形状かは当日まで分からないので、シンプルなものを作って用意します。そして当日にその場で取り付けるんですが、旗の重さで倒れてしまうとか、ホルダーのせいで車いすが漕ぎづらいということがあってはいけないので、どう取り付けるかはその場で判断します。これには経験がものをいいますね」(中島さん)

また、東京2020大会では両肩を離断した方が旗手を務める国が2カ国あったそうだ。事前に専用のベルトが準備されていたが、実際に取り付けてみるとバランスよく旗を持つことが難しかった。

「スタッフ用に支給されていたバックパックがあったので、急遽それを分解し改造して、両手がなくてもバランスよく旗を持てるものを即興で作りました。ただ急ごしらえだったので2つ作ることができず、1つの国が入場したらそれを回収してきて、次の方につけるということをしました」(中島さん)

この他にも、エアライフルを固定するための台を来日するまでに紛失してしまったので、新しく作ってほしいといったリクエストなど、修理やメンテナンスという域を超えた難題にもオットーボックのスタッフは対応した。その数は細かい修理も含めると大会期間中に2083件。しかも今回はコロナ禍であったために少ない方だったというから驚きだ。

最悪の場合は棄権? 競技結果を左右する重大な決断

車いすのフレームを修理するスタッフ 写真提供:オットーボック

無理難題とも思える依頼がひっきりなしに持ち込まれるパラリンピックのリペアセンターだが、参加を希望するスタッフは沢山いるそうだ。

「技術者は職人としてのプライドを持っています。プライドがあるのは、それだけの技術を持っているということですから、それを発揮できる場を与えられるのは名誉なことでもあるんだと思います」(佐竹さん)

中島さんは東京2020大会を含め、過去5回のパラリンピックに技術スタッフとして参加しているが、毎回楽しいと言う。

「大変なこともたくさんあるんですが、自分たちのやっていることに意味があると思っていますし、それが結果としてすぐに返ってくるのでモチベーションがあがります。そのモチベーションは普段の仕事にもいい影響を与えてくれるんです」(中島さん)

たとえば、東京2020大会でもそのようなシーンがあったそうだ。それは車いすテニス・ダブルスの試合当日のこと。日本人選手の車いすのフレームが割れてしまった。ところが試合会場のリペアブースには溶接機がなかった。修理できなければ壊れたまま試合に挑むか、最悪の場合試合を棄権するしかない。そこでオットーボックのスタッフは、有明のテニス会場から溶接機のある選手村のリペアセンターへ車いすを運びこむことを提案。連絡を受けたセンターは準備を整え、最優先で修理を受け入れた。その結果、修理は間に合い選手は無事に試合に挑むことができ、結果は見事銅メダル獲得となった。

中島さんが現場に持ち込む修理の七つ道具。中には自作のパーツもあるという。

「一度でもゲームに直結するような修理をしたスタッフは相当な達成感を得ると思います。もし修理ができなければ、4年間の選手の努力が無駄になってしまうわけですし、なんとかしてあげたいと思いますよね」(佐竹さん)

このような責任の重い、緊張感あふれる修理のほか、時には眼鏡やキャリーケースのキャスターの修理といった専門外のものの修理も持ち込まれるという。

「専門外ではありますが、我々は物を作ったり、直したりという技術を持っていますし、そのためのあらゆる道具も持っています。その上で、選手の皆さんにできるだけベストな状態で競技に挑んで欲しいという気持ちがあるから、専門外でもなんとかしようと思うんじゃないでしょうか」(中島さん)

アスリートたちが選手村の中で快適に生活すること、それも競技の結果に結びつく大切なことだ。だからこそ、オットーボックのスタッフはたとえ専門外でも、どんな修理依頼でも対応する。それが技術者としての誇りでもあるのだろう。

東京2020パラリンピックでもたらされた共生社会の種

オットーボック・ジャパン株式会社の東京オフィスの前で、佐竹さん(右)と中島さん(左)

さまざまな国のパラリンピックに派遣されて中島さんが気づいたのは日本はまだまだ、障がいのある人たちの捉え方が遅れているということだそうだ。

「日本では障がいのある方を『直視しては失礼』という感覚があるじゃないですか。でもパラスポーツは自分を見て、と選手がアピールしますよね。ですから、東京2020パラリンピックは見る側にとっても、見られる側にとってもいい機会だと思ったんです。パラスポーツは今まで見たこともない競技がたくさんあるし、新しくて、面白いことをやっている。普通に楽しめることがたくさんあります。それにロンドンパラリンピックの時にメディアが『スーパーヒューマン』という言葉を使って、パラアスリートを紹介したように、彼らの持っている身体能力は他の人たちとは違う次元の素晴らしいものです。パラリンピックの自国開催は、そういったことを知るいい機会になってくれると期待していました」(中島さん)

残念ながらコロナ禍の影響で無観客開催となったが、それでも多くのメディアが取り上げたことで、十分に盛り上がったのではないかと中島さんは言う。あとは、この熱が冷めないうちに「東京2020大会から1年!」などと、カウントダウンならぬカウントアップイベントなど、開催後の検証を楽しくやっていくイベントが行われ、この機運が続いてほしいとも語ってくれた。


東京2020大会のために24カ国から集まったオットーボックのスタッフ。言語も文化も異なる人々がチームとなって働くのは大変ではないかと聞いたところ、中島さんは「むしろ、だからこそ上手くいったのではないか」と答えてくれた。「これがもし、2、3カ国からしか参加していなかったら場合によってはうまく行かなかったかもしれません。いろんな人がいるからこそ『違う』ということを受け入れ、その個性が活かされる、まさに共生社会の縮図のような場所だったんです」と。違いは個性である。そう考えれば、それぞれがその個性や得意分野を活かして難しい課題を乗り切るというオットーボックの精神にこそ、共生社会実現のヒントがあるのかもしれない。

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Kazuhisa Yoshinaga、オットーボック、Getty Images Sports

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