国枝 慎吾
昨日より今日。今日より 明日、進化する。

国枝 慎吾選手

プロ車いすテニスプレーヤー

5度のシングルス年間グランドスラム達成
今なお進化し続ける

日本が誇るトッププレーヤー国枝慎吾。その国枝にとって2015年は、自身の「進化」を実感するシーズンになった。1月の全豪オープンで8度目の優勝を飾った後、シングルスの連勝記録を伸ばし続け、全仏、全米オープンでも頂点に立った。自身5度目となるシングルスの年間グランドスラム達成という快挙。その前人未到の輝かしい戦績もさることながら、注目したいのは、世界のトップに君臨してなお“スケールアップ”に取り組む、その真摯な姿勢だ。

“パワーテニス時代”と言われる男子の車いすテニス界では、サーブが重視される傾向にある。国枝はもともとコントロールが抜群でサービスエースの数も多いが、サーブのスピードだけなら他にも優れた選手がいる。そこで、今年から一連のサーブ動作の改良に着手。威力とバリエーションを増やすことに成功した。さらに、過酷なトレーニングで最大の武器である俊敏なチェアワーク(車いす操作技術)にも磨きをかけた。技術面の引き出しが増え、戦術のアイデアもより自由度が増した。強く、かつ柔軟にコートを支配し続ける王者のパフォーマンスは、「打倒クニエダ」を掲げるライバルたちにさらなるプレッシャーを与えたことだろう。

車いすテニス選手にとって、目指すべき世界最高峰の大会はパラリンピックである。つまり、リオを翌年に控えた今シーズン、ライバルたちも最高の舞台を見据え、心身ともに少なからず強化を図ってきたはずだ。だが国枝は、前述のようにその挑戦を鮮やかにはねのけた。

「結果はもちろん、内容が良かった点に満足しています。たとえビハインドな展開でも、このテニスを続けていれば最終的には勝つだろう、と思える状況になっている。自分のベストゲームがどんどん更新されていくという成長段階に、また入り始めたなと感じます」と、力強く話し、究極のステージに辿り着いた自信をのぞかせる。

己と真正面から向き合い、
テニスを追求する意欲

一般のテニスと同様、車いすテニスプレーヤーも世界ツアーを転戦する。国枝はかつて3年に渡って「107」というシングルスの連勝記録を打ち立てた。現在は、2014年の1月から(棄権した大会をのぞき)負けなしだ。

その数字に比例するように、世界で勝ち続ければ、“勝って当たり前”という重圧がかかってくる。勝利にとらわれ、テニスを楽しむという本質を忘れてしまいがちだ。事実、国枝も初めて世界の頂点に立った頃は、次の目標を見失いかけたことがある。練習に力が入らず、コーチに叱咤されたことも。

だが、彼は自分を追い込むなかで、ひとつの答えを見つけた。心と身体を突き動かすもの――、それは対戦相手ではなく、内なる自分との戦いだ、と。

傍目にはまるで死角がないように思えるが、国枝は「自分はまだパーフェクトな選手じゃない」と言い切る。あえて課題を背負い、自分のテニスを追求する意欲こそが、結果につながる最大の理由であり、彼の原点だ。

「自分はまだ強くなれる。それがやっぱり僕のテニスの根幹です。そこがブレないのが、この10年、世界一でいられる理由だと自分でも思っています。逆にそれが崩れた時は、終わる時でしょうね」

毎朝、鏡に向かって叫んだ入魂のフレーズ
「オレは最強だ!」

国枝がテニスを始めたのは11歳。現在の丸山弘道コーチには17歳から指導を受けている。彼のテニスに最初の変化が現れたのは、コーチとともに海外の試合に出始めた2002年ごろのことだ。各国の強敵を相手に、いい試合はするが勝てない、という壁にぶつかった。世界で戦うには得意のストローク勝負ではなく、弱点だったサーブの改善が必要と気づき、同時に「1位になりたい」という意識が芽生えていったという。

2004年のアテネパラリンピックからの4年間も、大きなターニングポイントになった。年間300~400万円かかる海外遠征などの費用は、選手にとって大きな負担だ。国枝もアテネ後の引退を考えていたが、母校の大学のサポートが実現し、テニスに集中できる環境が整った。

この頃、車いすテニス界の男子はスピードとパワーの時代に突入。国枝はそれに対応するために、グリップの握り方も180度変えて、一日1000回の素振りをやり遂げた。

世界ランキング10位まで順位を上げた2006年。オーストラリア人のメンタルトレーナー、アン・クイン氏との出会いが、彼のテニス人生を変える。全豪オープンの会場で受けたカウンセリングで、「『ナンバーワンになりたい』じゃなくて、これからは『俺がナンバーワンだ』と断言するトレーニングを始めましょう」と指導された。

コートの中でも外でも、自分は最強なんだというオーラをまとうため、国枝は3年から4年もの間、毎朝「オレは最強だ!」と鏡に向かって叫んだ。当初は半信半疑だったが、それを続けるうちに、自分のなかに、ある変化が生まれたことに気づいた、と振り返る。

「テニスの試合は長引くと3時間はかかるので、やはりメンタル的な波が出てくるんです。それで、サーブを打つ時に『もしかしたらダブルフォルトしちゃうかな』と考えてしまうんですが、ラケットに刻んだ『オレは最強だ!』のフレーズを見て口に出すと、そういう弱気がパッとなくなるんです」

その年、国枝は全米オープンでも優勝し、初めて世界ランキング1位になった。それ以降の活躍は目覚ましく、北京パラリンピックで金メダルを獲得後、プロ車いすテニスプレーヤーに転向。ロンドンでは2大会連続優勝を成し遂げた。そんな今でも、弱気になった時に気持ちを奮い立たせてくれるのが、あのフレーズだ。

国枝をずっと傍で見守ってきた丸山コーチは、こう話す。「結果ばかりが注目されがちですが、彼は努力の天才です。プレーで追い込まれると、ラケットを見て『何万回打ってきたんだ!』と鼓舞しますが、それは本当にやってきた人しか言えない言葉ですよ」

センターポールに日の丸を
リオで目指すは単複2冠!

リオパラリンピックまで1年を切った。「パラリンピックはグランドスラム大会とは比べ物にならないほど、特別で、怖い場所」と国枝は言う。ロンドンでも初戦から決勝戦まで1セットも落とさない“完勝”で金メダルを獲得したが、「スコアの数字以上に実力は拮抗しているし、1ポイントの重みも知っている」と話す。世界最高峰のコートの上では、想像を絶するようなギリギリの攻防が繰り広げられているのである。

パラリンピック本番の9月にぴたりとコンディションを合わせることが、3連覇のカギになる。常に緊張感に包まれるパラリンピックでは、過去2大会とも最後までトーナメントを戦い抜いた国枝の経験が、大きなアドバンテージになりそうだ。また、リオではダブルスも制し、初の単複2冠の完全制覇を狙っている。そしてその勢いを、2020年の東京につなげるつもりだ。

「今年、かなり自分のテニスを変化させることができました。リオまではあまりジタバタせずに、細かいところを少しずつ上げていって、より“隙のないテニス”を続けていけば、良い結果が出るのではないかと思います。期待や重圧が大きければ大きいほど、勝ったときの喜びはでかい。もう一度、あの鳥肌が立つような感動の瞬間を味わいたいですね」

プレシャーを力に変えて。金メダルを目指す王者の挑戦が、再び始まる。



(2015.12)

text by Miharu Araki
photo by X-1


国枝慎吾選手

国枝慎吾選手

1984年2月21日生まれ。千葉県在住。9歳の時に脊髄腫瘍のため車いす生活に。11歳から車いすテニスを始める。2004年アテネパラリンピックでは、齋田悟司と組んだダブルスで金メダルを獲得。07年に車いすテニス界史上初の年間グランドスラムを達成する。08年北京、12年ロンドンパラリンピックのシングルスで金メダルを獲得。09年にプロ宣言。ユニクロ所属。

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国枝 慎吾 選手Shingo Kunieda