離島の子どもたちに夢と挑戦の機会を。元プロ野球選手・村田兆治さんの意志を受け継ぐ『離島甲子園』
海に囲まれた島は、豊かな自然がある一方、選択肢の少なさに悩まされることも多い。とりわけ中学年代のスポーツ活動は、人数不足、移動の困難さ、他地域との交流機会の少なさといった課題を常に抱えている。
現在、全国の離島に暮らす中学生の数はおよそ15,000人前後とされている。小中学校の統廃合や休校が相次ぎ、「9人そろわない」「チームが組めない」という声は、野球に限らず多くの競技で日常的に聞かれるようになった。
そうした離島の現実に、単なる一過性のイベントではなく、「人が育ち、関係が循環していく仕組み」として向き合い続けてきた大会がある。全国の離島に暮らす中学生の球児たちが一堂に会し、野球を通じて島と島、人と人をつなぐ『離島甲子園』だ。
この大会の原点には、元プロ野球選手の故・村田兆治さんの揺るぎない意志がある。現役引退後、社会とどう関わるかを模索するなかで届いた、離島からの一通の手紙。その声に応える形で始まった行動は、いまも大会を継承する揺るぎない信念として息づいている。
今回話を聞いたのは、全国離島振興協議会広報係の石川新さんと、同総務課長の小澤卓さん。『離島甲子園』が何を目指し、何を受け継いできたのか。離島に暮らす中学生が故郷を離れることの多い「15の春」の前に夢と希望を与える「島の夏」。二人の言葉からひも解いていく。
きっかけは、新潟県・粟島から届いた一通の手紙

全国離島振興協議会は、北海道の礼文町から沖縄県の与那国町まで、全国141の離島市町村が会員となり、離島振興に向けた政策提言や調査研究を行ってきた団体だ。
『離島甲子園(国土交通大臣杯 全国離島交流中学生野球大会)』は、全国離島振興協議会の支援のもと、「島同士をつなぐ」ための取り組みの一環として育ってきた。2008年に伊豆大島で第1回大会が開催されて以来、開催地を固定せず、全国の離島を巡りながら続いている。
そしてこの流れは現在進行形だ。2026年には第17回大会が島根県・隠岐の島町で開催される予定となっている。
大会の出発点には、村田兆治さんの強い問題意識があった。
きっかけは、新潟県・粟島から届いた一通の手紙だった。現役引退後、社会貢献のあり方を模索していた村田さん宛に届いた内容には、「島の子どもたちに夢や希望を与えてください」という切実な声が記されていた。
過疎化によって限られた部活動や卒業後の進路、職業の選択。実際に島を訪れた村田さんが目にしたのは、限られた環境のなかでも必死に白球を追う中学生たちの姿と、対外試合の機会がほとんどないという現実。そして村田さんのマサカリ投法を生で見た感動による輝いた瞳。
「離島の子どもたちに夢や希望の選択肢を広げたい」。村田さんはライフワークとして、50以上の島々で100回以上の野球教室を開催する。持ち前のやり始めたら最後までやり抜く「実行力」で、『離島甲子園』への思いを強めていき、ゼロから実現までを成し遂げることになる。
「ご自身も肘の故障に苦しんだ村田さんは、野球教室の際、子どもたちにどうすれば怪我無くプレーできるのかを特に気を付けて教えていたと思います」(石川さん)
こうして、離島間交流を目的とした大会構想が具体化し、『離島甲子園』は全国規模の舞台へと育っていく。
作文に刻まれた「感謝」と「感動」

『離島甲子園』の最大の特徴は、勝敗以上に「交流」を大会の中心に据えている点にある。昨年、宮古島で行われた第16回大会には、24チーム・27自治体が参加し、自治体数としては過去最多を記録した。
チーム編成は実に多様だ。単独校で出場できる島もあれば、島内の複数校が集まる選抜チーム、さらには島を越えて合同チームを組むケースもある。昨年も、与論島と沖永良部島が合同チームを結成し、練習から大会出場までを共にした。
「野球部員であることにこだわってはいません。島と島の交流が目的なので、普段は剣道部やテニス部の子が参加する島もあります」(石川さん)
参加した球児たちの作文には、思わず心を動かされる。
大会スタッフや運営、監督、相手チームへの感謝の言葉。「次はもっと役に立ちたい」という自省。いつか指導者として戻ってきたいという将来の夢。ライバル校だった相手と同じチームで戦い、絆が深まった経験。部員不足のなかで孤独に練習していた与論島の球児が、合同チームで出場できたことへの喜びと感謝の言葉。
そこには、技術の上達以上に「経験」「挑戦」で得たリアルなメッセージが丁寧に綴られている。そして多くの作文に共通するのが、村田さんへの感謝だ。現役時代をリアルタイムで知らない世代にとっても、村田さんは『離島甲子園』の中で語り継がれる存在であり、その精神である「実行力」は確かに受け継がれている。
交流は子どもたちだけにとどまらない。合同チームを組むことで、保護者同士の関係にも変化が生まれる。
「顔は知っていたけれど、話したことがなかった保護者同士が、遠征をきっかけに自然と会話をするようになる。大会を機に新たなコミュニケーションも生まれています」(小澤さん)
人のつながりが、島内での親交と結束となり、それが離島同士の友好へと循環する。『離島甲子園』が高いリピート率を保っている理由は、勝敗だけではなく、新たなる関係性の構築が寄与している。
プロ野球の世界へ進んだ選手も

「なぜ中学生なのか」。その問いに対する答えは、「15の春」にある。
「中学までは島に学校があっても、高校がある島は限られ、進学で島外に出る子は多いです。だからこそ、中学のうちに島での挑戦や希望を与える経験が重要だと考えています」(石川さん)
『離島甲子園』が目指してきたのは、単なる思い出づくりではない。子どもたちへの人生の選択肢を広げながら、生まれ育った島を誇りに思い、将来島と関わる人材を生み出すことも人口減少が進む中では重要だ。
実際、『離島甲子園』を経験し、その後プロ野球の世界へ進んだ選手もいる。読売ジャイアンツに入団し、現在は北海道日本ハムファイターズでプレーする菊池大稀(新潟県・佐渡市出身)、福岡ソフトバンクホークスの大野稼頭央(鹿児島県・龍郷町出身)、盛島稜大(沖縄県・宮古島市出身)の3選手だ。彼らはいずれも、中学生時代に『離島甲子園』の土を踏んだ球児だった。
一方で、島を離れたあと、行政職員や指導者として戻り、大会を支える側に回る人もいる。八丈島選抜では、かつての出場経験者が成人して監督となり、後輩を指導しているという。経験が、時間をかけて地域へと循環しはじめている。
その循環の芯にあるのが、村田兆治さんの座右の銘「人生先発完投」。始めたら最後までやり抜く、という姿勢である。
「村田さんは『離島甲子園』が終わるといつも感想を熱心に話してくださいました。亡くなるまで、ずっと大会や島の子どもたちのことを気にかけていたと思います」(小澤さん)
大会を取り巻く環境は厳しさを増しているのも事実だ。規模拡大による開催地の選定、子どもたちにとどまらず島全体の人口減少。それでも、『離島甲子園』は歩みを止めない。
「続けること自体に価値がある。人材を育て、将来また島に戻ってくれる流れをつくりたい。村田さんの意志を継承していくことが大事だと思っています」(小澤さん)
『離島甲子園』は、ただの野球大会ではない。島と島をつなぎ、子どもたちの世界を広げ、やがて地域へと人を循環させるプロジェクトだ。
村田兆治さんが残した「人生先発完投」という言葉。その精神は、いまも大会を支えるスタッフと球児たちの胸に、確かに刻まれている。
text by Akihiro Ichiyanagi (Parasapo Lab)
写真提供:全国離島振興協議会






