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Sports /競技を知る
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【ミラノ・コルティナ2026】女子として初めてパラリンピックに出場したスノーボード坂下恵⾥、先駆者としての誇りと胸に誓った次回の目標
「この日のためにやってきた。あとは楽しむしかないでしょ」
パラスノーボードの日本代表、坂下恵⾥は目指した舞台でやり遂げた。
女子の歴史がスタート
ついにその日はやってきた。2026年3月7日。パラスノーボードの女子日本代表選手がパラリンピックの舞台に立った。
1本目は表情は硬く、深呼吸をするも緊張のあまり頬が引きつっていた。だが、2本目以降はほどよく力が抜けた様子でスタート。8日の予備予選は、タイトなコースでリードを奪うと、準決勝進出を決めてガッツポーズを見せた。

photo by REUTERS/AFLO
準決勝は、途中で転倒して4位。順位決定戦も終盤で転倒。スノーボードクロスは8位だった。
女子初の日本代表になった坂下は現在、33歳。28歳のときにパラスノーボードの次世代育成指定選手となり、競技者としてのキャリアをスタートさせた。本格的に始めて3シーズン目に国際大会に出場した。
パラリンピック1種目を終えると、当時を思い返してこう語った。
「当初はスタートしたら目で追えないぐらい引き離されている状態だった。今日はもう(一緒に滑走している選手たちを)ちゃんと目に焼きつけながら、滑走することができた。ちょっと成長できたかな」
もとはテレビカメラマンを目指し、ケガしたころは制作会社で働いていた。そんな坂下らしく、報道陣を前に「まさかこっち側(映される側)になるとは」「テレビの画面に映っているかなという距離感になれた」と表現した。
2種目入賞の大健闘
5日後のバンクドスラロームは、転倒による目の下のあざが癒えぬままスタートし、1本目の1分10秒00から、2本目はタイムを縮めて1分09秒10で7位に。初出場で見事2種目入賞を達成した。
レース後は「カービングと縦の動きがまだまだやっぱり足りない。カービングの圧も……」と課題を口にした坂下。

photo by AFLO SPORT
それでも、確かな手ごたえと、次回への自信への期待が入り混じった充実感に満ちていた。
23歳で義足生活になってから陸上競技などにも挑戦したが、女子のパイオニアになりたいという思いでスノーボードを選んだ。男子選手についていけずに海外遠征で泣くことも多かった。そして掴んだパラリンピック内定後は、道を切り拓いた喜びと共に女子初というプレッシャーもあったに違いない。ワールドカップなどでは結果を残さないといけない気持ちが重圧になり、思うように体が動かないこともあったという。
「女性初のブランドがあったからこそ、私は駆け抜けることができた。応援団が出てきたりとか……ちょっとプレッシャーにも感じながらも、こんな経験ができることはないと思うので、自分の力に変えて頑張りました」
坂下のインスタグラムには動画配信やテレビを見た人たちからの「かっこいい!」というコメントがあふれていた。
「まだまだ知名度が低いところもあるのでより多くの人たちにパラスノーボードを知ってもらえたらこんな嬉しいことはない。やっぱりこの舞台に立てたことは私一人では決して成し遂げられませんでした。私にかかわってくださった方たちに感謝します」

photo by AFLO SPORT
次回はもう「女子初」ではない。現地ではパラスノーボード日本チームキャプテン・小栗大地のメダル獲得も目にして、「次は自分が」と闘志を燃やす坂下。
今後は、バンクドスラロームの金を含む2つのメダルを獲得したケイト・デルソン、義足スノーボーダーのアイコン的な存在であるブレナ・ハッカビーがいるアメリカチームの中で武者修行したいと考えている。
女子のパラスノーボーダーたちがフィニッシュエリアで互いの健闘をたたえ合い、熱い抱擁を交わす。その中に日本の坂下がいる。そのたたえ合いこそがパラスノーボードの真髄であり、観客の魂を激しく揺さぶる今大会の名場面だった。そして、4年後、どんな光景が見られるのか、楽しみでならない。

photo by AP/AFLO
text by Asuka Senaga
key visual by AP/AFLO






