【Road to LA】片手だって何でもできる。波乱万丈の半生を経て、パラ射撃・金尾克が目指す頂点

【Road to LA】片手だって何でもできる。波乱万丈の半生を経て、パラ射撃・金尾克が目指す頂点
2026.09.07.MON 公開

26歳で遭った事故で利き腕である右腕を失うも、持ち前のポジティブさと強い好奇心で新たな人生を切り開いてきた金尾克。東京2020大会を観た姪にすすめられたことがきっかけで「片手でもできる」と射撃に興味を抱くと、自ら関係者に連絡して競技の世界へ飛び込んだ。指導者や先輩選手の教えを愚直に吸収し、自宅で緻密な分析と練習を重ねることで急成長を遂げている。ロサンゼルス2028パラリンピックを目指す金尾の原動力と波乱万丈な半生を紐解く。

金尾 克(かなお・まさる)|パラ射撃
1976年富山県生まれ。YKK AP所属、YKKライフル射撃部。子どものころからの大のバイク好きで20代はバイク整備等に勤しむ。26歳のときにバイク事故で右腕を切断。40代で片手でも挑戦できる射撃に興味を持ち、自ら競技団体へ問い合わせてパラスポーツの世界へ飛び込んだ。2022年の競技開始から瞬く間に頭角を現し、2024年のワールドカップ(韓国・チャンウォン)では10mエアライフル伏射/混合SH2で初のファイナル進出を果たす。10mエアライフル立射/混合SH2などで2028年のロサンゼルスパラリンピック出場を目指し、挑戦を続けている。趣味は、スノーボードとルアー釣り。「海も山もある地元の富山は最高です」

バイクに夢中だった青春時代と、人生を変えた事故

立山連峰の雄大な景色が広がる富山県立山町で生まれ育った金尾は、幼少期からバイクに魅了されていた。18歳でバイトをして念願のバイクを購入して以来、その人生はバイクと切っても切り離せないものとなる。

金尾克(以下、金尾): 小学生の頃、親の車に乗っているときにハーレーやサイドカーを見かけて『なんだこの形は!カッコいいな』と思ったのが原点ですね。仮面ライダーの影響もありました。10代の頃は、農協に勤めていた幼馴染と一緒に農家の納屋を回っては『眠っているバイク、譲ってもらえませんか?』って聞きに行っていたんです。『持っていけ』と言ってもらえた古い旧車をコツコツ直しては乗っていました。気づけば1人で20台以上も持っていましたね。

金尾の半生は相棒のバイクなしには語れない

高校卒業時には整備士の道も頭をよぎったが、資格がないことを理由に一度は一般的な工場へ就職した。しかし、バイクへの情熱は冷めず、平日は会社員として働きながら週末はバイク店でアルバイトに励んだ。21歳で挑んだバイクでの日本一周旅の途中で事故に遭い、右手がまひするアクシデントに見舞われた際も、リハビリで左手を猛練習して克服。25歳で再び旅に出ると、ついに日本一周を踏破した。

人見知りだった性格も、バイク店での出会いを通じて大きく変わっていった。自身より高い技術を持つ整備士たちと働く中で素直に相手を認められるようになり、客との会話を通してコミュニケーション能力が自然と磨かれていったのだ。
だが、26歳のとき、最大の転機が訪れる。双子の兄と幼馴染の3台で走行中、意識が朦朧とする中で自損事故を起こしてしまう。ヘルメットが割れるほどの重傷を負い、病院へ搬送された。

金尾: 1週間ほど病室で寝ていたので毎日指を動かしてみたんですが、右手の指が干からびたようになっていて。これまでの事故の入院となにか様子が違ったんです。医師から血が流れず壊死が進むため、腕を切断しなければならないと説明を受けたときは涙がボロボロこぼれました。横にいた双子の兄が『俺の手を移植してくれ! こいつは整備をしていて右腕が必要なんや』と咄嗟に言ってくれて……。でもそんな簡単な話ではなく、セカンドオピニオンを受けても結果は同じでした。最後は腹をくくり切断を受け入れました。

バイク整備の仕事を始めたことで性格も変わった

第二の人生の始まりと、46歳で出会った射撃の世界

事故後、金尾は片手の生活を即座に受け入れ、前を向いた。しかし、再就職の壁が立ちはだかる。

金尾: 今までなら仕事を辞めてもすぐに次の会社が決まっていたので自信があったんですが、手を失ってからはじめて不採用を経験しました。『健常者と一緒に受けに行って片手がないと、採用する側も慎重になるんだな』と痛感しましたね。家のローンも家族もあるので、これはヤバいなと……。

切断時には「自分が落ち込んで家族にさらに迷惑かけるわけにはいかない」と前を向いた

その後、障がい者雇用でYKK APに入社。生活の基盤を整えた金尾が46歳で出会ったのが、射撃だった。

金尾: 事故の後も『何か競技をやれたら』と思っていましたが、10年以上しっくりくるものがなかったんです。そんなとき、東京オリンピックを観ていた姪っ子に『これ、片手でもできるんじゃない?』と言われて。それですぐにグループ会社のYKKライフル射撃部に相談し、ビームライフルを始めました。やってみると点数がよかったこともあり『自分に向いているかも』と一気にのめり込みました。

エアライフルの所持許可を取得し、部長が上肢障がい用のスタンドを手作りしてくれた。しかし健常者のチームではパラ競技の見本がいない。金尾は自らパラ射撃の競技団体へ電話で問い合わせ、強化合宿の見学に赴くことでパラ競技の世界に足を踏み込んだ。

この日は腕が見えるシャツをチョイス。「事故で片腕を失ったとき、街中で片腕の人をほとんど見かけないことに気づいたんです」

金尾: 右も左もわからないまま合宿へ行ったら、パリ2024パラリンピック日本代表の岡田和也さんら先輩方がすごくよくしてくれました。自分のスタンドはパラの規定に合わないみたいで東京2020パラリンピック日本代表の渡邊裕介さんが自身のスタンドを貸してくださって。やはり成功する道を知っている人に導いてもらえるのは、最大の近道であり本当にありがたいことです。また地元・富山は冬に雪で射撃場が閉鎖されてしまうんですが、コーチの猪坂桂さんが自宅でも銃に小型カメラを取り付けて分析できる環境を作ってくれました。おかげでフルタイムで働きながらも自宅で練習を積むことができています。

これまでの歩みと競技への探求心、そしてロサンゼルスへの思いを聞いた

人との縁と指導に恵まれ、愚直な練習を重ねた金尾は急成長を遂げる。そして視線はすでに、2028年のロサンゼルスパラリンピックへと向けられている。

金尾: 射撃のファイナルは、たった8人だけで観客の視線を浴びながら早いペースで撃たなければなりません。1発のミスが致命的になる極限状態だからこそ、いつも通りの平常心を保てるようになりたいです。そして最後に自分が『金』をとって『よし!』と叫び、弾を込めてくれたコーチと抱き合い、上位3人で写真を撮ったあと、猪坂コーチの元へ走っていってハグをする……そこまで鮮明にイメージしています。今年は日本でも大会があります。ロサンゼルスへの道を、ぜひ応援してもらえたら嬉しいですね。

地元でオリンピックメダリストの講演会があれば立ち見でも駆けつけ、貪欲に教えを乞う。スポンジのような吸収力と「やりたいことは何でもやる」というモットーを胸に、金尾克は今日も理想の射撃を追い求めている。

「片手だから」と諦める必要なんてない。義手をつけて、今もバイクに乗っている

text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda

『【Road to LA】片手だって何でもできる。波乱万丈の半生を経て、パラ射撃・金尾克が目指す頂点』

【Road to LA】片手だって何でもできる。波乱万丈の半生を経て、パラ射撃・金尾克が目指す頂点