別府大分毎日マラソン、道下美里の世界新と熾烈な代表争いの裏側

別府大分毎日マラソン、道下美里の世界新と熾烈な代表争いの裏側
2020.02.05.WED 公開

2月2日、大分市の高崎山・うみたまご前から、大分市営陸上競技場までの42.195kmで競われた「第69回別府大分毎日マラソン」。東京2020パラリンピックへの「推薦選手(3名)」を決める最後のレースである今大会は、終盤まで接戦が展開された。視覚障がい女子のレースでは、東京パラリンピック出場をほぼ確実にしている道下美里が積極的なレース展開で、自身の世界記録を1分52秒更新する2時間54分22の世界新をマークし、9月の本番に弾みをつけた。

「チーム道下」の支えで生まれた世界新

快晴となった絶好の“マラソン日和”の中、道下美里がガイド(伴走者)の志田淳さんと共に、力強い足取りで競技場に走り込んできた。トラックを1周し、2時間54分22秒の世界新記録でフィニッシュすると、殺到する報道陣に囲まれながら、2人は感謝と安堵の言葉を何度も繰り返した。

電光掲示板の前で笑顔を見せる道下と志田ガイド

序盤から理想的なレースを展開した。青山由佳さんがガイドを務めた前半では、後半にスタミナを温存すべくマイペースを貫く。青山さんは「後半に向けて、頭も脚も使わない。『リラックスしていこう』と言い続けました」と振り返る。中間点を過ぎてガイドが志田さんに交代すると、5㎞あたりのペースを一気に20秒ほど上げた。「25㎞から30㎞が向かい風で、特に苦しかった」と道下は言うが、ラップタイムは逆に良くなっていた。志田さんが「まったく不安を感じさせない走りだった」と驚く貫禄の走りで、最後までペースを落とさず押し切った。

道下は満面の笑みで言う。

「30㎞で体がすごく動いていましたが、硬くならないように記録は意識しませんでした。確信に変わったのは37㎞地点。世界記録を目指して、ずっと達成できない時期が続いていたので、東京(パラリンピック)前、最後のマラソンで出せたのは本当に大きいと思います」

2017年の「防府読売マラソン」で2時間56分14秒の世界記録をマークしてから2年あまり。自らが打ち立てた壁に跳ね返され続けてきた。相性の良い防府のレースでも、昨年12月は終盤の向かい風に阻まれて自己記録から約3分遅れた。世界記録を見据え、練習でも後半の加速を意識してきたが、結果に表れずもどかしさを感じていたという。

迷いを払拭したのは、ガイドや練習パートナーなど、「チーム道下」と呼ばれる人々のサポートだった。

世界記録を更新し、笑顔を見せる道下

ガイドの青山さんは言う。

「空振りが続いていると、練習に対しても前向きになれなかったり、日常生活の見落としから負のサイクルに入ってしまったり。その中でも、前向きな言葉をかけ続けて、達成感を少しずつ積み重ねていくことを心がけていました」

小柄な身体に、高馬力のエンジンと過酷な練習でも故障しづらい耐久性を兼備する。「スピードが課題」というが、補って余りあるスタミナが武器だ。東京パラリンピックに向けては、春に複数のレースに出場後、最終調整に入っていく。

「東京ではタフじゃないと勝てない。(今回のレースに向けても)走って、走って、思い切り自信をつけてきました。それが東京にもつながるはずです」(道下)

前回のリオパラリンピックでは銀メダル。世界記録を引っさげ、見据えるのは頂点だけだ。

笑顔で会見に応じる(左から、志田淳ガイド、青山由佳ガイド、道下、JBMA安田享平理事)

堀越はアクシデント発生も粘りの走り

喜びを爆発させた道下と対称的だったのが、男子優勝の堀越信司だった。2時間31分53秒でフィニッシュを迎えると、苦悶の表情で崩れ落ちた。

「当初のプラン通りのレースではなかった。タイムも良くないので、反省点が残ります」と悔しそうな表情を浮かべた。

スタート直後から不調を感じていた堀越を、8.5㎞地点でアクシデントが襲った。最初の給水エリアで、すぐ前を走っていたランナーが真横に移動。先天性の病気により、右眼は義眼で左眼の視力も0.03ほどの堀越にとっては、「目の前に突然給水テーブルが現れたように見えた」という。机に激突して一回転するように転倒し、左腿に切り傷と打撲を負った。以降は、「脚の状態を見極めつつ」、粘りの走りを見せ、30㎞手前で先行していた高井俊治(※)をかわした。

※障がいが軽いT13クラスの高井は、東京パラリンピック代表選考の対象外となる。

東京パラリンピック前最後のレースに挑んだ男子のエース堀越

「今までのマラソンで一番苦しかった」と話す堀越だが、収穫もあったという。

「どんな状態でも、その時の力を出し切ること。そして“投げ出さない”こと。つらい中でも最善を尽くすことの大切さを、改めて学ぶことができました」

昨年7月に右膝の内側、11月に左ふくらはぎを痛め、思うように練習を積むことができなかった。「落ち込んだところで治るわけではない」と立ち直り、今大会には調子を上げて臨んだという。だが、蓋を開けると体の動きが鈍かった。「感覚と体のズレがある」と課題は認識済みだ。

道下と同様、堀越にとっても今大会が東京パラリンピック本番前最後のマラソン。苦いレースとなったが、「トラックレースでスピードを磨きつつ、しっかり走り込んでいく。東京では力を出し切りたい」と気持ちは前を向いている。

「推薦3位」は男女で明暗分かれる

道下と堀越の後方では、東京パラリンピックへの「推薦」をかけた争いが展開されていた。

ブラインドマラソンの東京パラリンピックへの道のりは少々複雑だ。代表に選ばれるためにポイントとなるレースは3つ。①2019年4月のIPCマラソン世界選手権、②8月の北海道マラソン、そして、③今回の別府大分毎日マラソンだ。

日本代表として3名の選手を東京パラリンピックに送り込むことを想定し、①から③のレースでJBMA(日本ブラインドマラソン協会)による「推薦選手」の1位から3位までを決める。加えて該当選手は、東京パラリンピックの参加標準記録を破っている必要がある。

見事、女子最後の推薦枠を勝ち取った青木(左)

今回、女子のレースで「推薦」の3枠目に食い込んだのは、青木洋子だった。昨年12月の防府読売マラソンで3時間9分55秒の自己記録をマークし、調子を上げていた青木は、前半から飛び出した西村千香を追走。30㎞過ぎに並びかけ、突き放すと、3時間10分40秒で走破した。

前回終盤に脚がつり4位に終わった反省から、「確実に(女子)2位に入ることを目指し、『後半勝負』とガイドと話していました」と会心のレースを振り返る。

現在43歳。高校卒業後に網膜剥離の影響で視覚障がいとなり、職業訓練を経て現在は企業でフルタイム勤務。10年ほど前に都内のブラインドマラソンクラブを知り、走り始めた。5年前の自己記録は3時間30分ほど。2016年にJBMAの強化指定選手になると、レースの度に数分単位で記録を短縮してきた遅咲きのランナーだ。協力者も徐々に増え、今では約20〜30人のランナーが、ガイドとして青木の練習を支えているという。

目下の課題は「スピードの強化」と話す。「更にタイムを上げるには、スピード強化だと思います」と、初のパラリンピック出場に向け、テーマは明確だ。

山下(左)は自己記録を大幅に更新する活躍

男子で「推薦」の最終枠を掴みかけたのは、山下慎治だった。青木と同様、防府読売マラソンで自己記録を4分以上更新し勢いに乗る山下は、序盤からハイペースで飛ばすと、終盤までペースを維持。後退してきたリオパラリンピックの銅メダリスト岡村正広を抜き去り、自らのタイムを更に約5分更新する2時間34分5秒でゴールした。

防府のレースと合わせて自己記録を約10分も縮める大健闘を見せたが、東京パラリンピックの参加標準記録(2時間33分49秒)に16秒及ばなかった。

ゴール後、ガイドの野本哲晃さんと共に悔しさをあらわにした山下は、「陸上人生で今が一番伸びている。練習すればまだまだ行ける」と更なる飛躍を誓った。

リオパラリンピック銅メダルの岡村は9位に終わった

今後は4月26日にロンドンで行われるワールドカップの結果に応じて、東京パラリンピックにおける日本の出場枠が決まる。さらに6月頃までを目処に、選手には参加標準記録を破るチャンスが残されている。「推薦1位」の道下と堀越は出場をほぼ確実としているが、残り2名の出場可否はこれからのレース次第だ。

歓喜と悔しさ。2つの感情が入り交じった大分のレースを経て、ブラインドランナーたちのパラリンピックに向けた戦いは正念場を迎えていく。

【第69回別府大分毎日マラソン リザルト】
視覚障がいマラソン男子:
1位 堀越信司(T12)2時間31分53秒 
2位 高井俊治(T13)2時間33分37秒 
3位 山下慎治(T12)2時間34分05秒

視覚障がいマラソン女子:
1位 道下美里(T12)2時間54分22秒 ※世界新記録
2位 青木洋子(T12) 3時間10分40秒
3位 近藤寛子(T12) 3時間12分08秒
4位 井内菜津美(T11)3時間12分55秒 ※世界新記録
T11(全盲クラス)では、井内(左)がこれまでの記録を20秒上回る世界新記録!

text by Naoto Yoshida
photo by X-1

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