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Sports /競技を知る
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日本代表選手最年長の車いすカーリング・中島洋治。20年のキャリアが刻んだ深化の証
ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会で新たな種目に加わった車いすカーリングのミックスダブルス。世界選手権覇者として臨んだ日本代表のチーム中島は、6日間の予選総当たり戦を終え3勝4敗。目標にしていたトーナメント進出はかなわなかった。
中島洋治はこう振り返る。
「残念ですけれども、ラウンドロビンの最終戦まで可能性を残せて戦えたのはよかったかなと思っています」
日本は初戦で予選1位通過の中国に敗れるも、2日目はアメリカに初勝利。その日の夜に韓国相手に無得点の苦杯を喫するも、翌日は5-6でイタリアに勝利。5戦目のイギリス戦で敗れるも、6戦目のエストニア戦は逆転勝ちし、最終日に望みをつないでいた。首位通過の最終日に6チームが決勝トーナメント進出の可能性が残る大混戦。ラトビア戦は勝てば予選突破という大一番だったが、時間で変わる氷の変化に対応できず4-10で敗れた。

「絶対勝つつもりで、あの場には立ったんですけど……。自分の投げ感とタイム(ストーンの速さ)が合わなかった。ショットが決まらず申し訳ない。実力不足です」
中島は61歳。日本代表選手団、そして今大会に出場したミックスダブルス選手の中で最年長になる。
「この歳でこの舞台でプレーできたというのは、もう喜びでしかないです」
決勝トーナメントを逃した試合直後も、感情に飲み込まれることはない。カーリング選手でもある荻原詠理コーチが「カーリングという競技を愛し、楽しんでいるところがチーム中島の2人の強み」と言う通り、その言葉からは、勝敗を超えたところにあるカーリングへの深い敬愛を感じさせた。
ミラノ・コルティナ大会で16年ぶりに大舞台を経験
中島といえば、2010年のバンクーバー大会に4人制のスキップとして出場した日本の車いすカーリング界のベテランだ。23歳のときに交通事故に遭い、脊髄を損傷。40歳で2006年のトリノ大会から採用された車いすカーリングへの出場を目指して競技を始め、バンクーバー大会に出場。もう一度、パラリンピックという輝ける舞台に身を置きたい―新種目ミックスダブルスへの挑戦を決めたのは、中島にとって自然なことだった。

ミックスダブルスは、プレーエリアに2つのストーンが配置された状態で始まり、4人制と比べて展開が速い。1エンドで投げる計5投のうち、中島は2、3、4投目を担当。選手が2人しかいないため、一投の重みは増すが、「ハートが強い」と中島が評す小川亜希に信頼を置き、試合を決定づける最後の一投を託すことでチームは機能する。中島自身が好きだと話すテイクよりも、ドローを重点的に練習し(ハウス手前に置かれたストーンの後ろへ、カーブを描きながら回り込んで止める)カムアラウンドの精度を磨いた。

1年前の世界選手権で優勝すると、「だいぶ間が空いてしまった」パラリンピックの日本代表に内定。仕事との両立を図りながら、合宿などで練習を積み重ねた。
飯野明子コーチいわく「慎重なタイプ」の中島。16年前のパラリンピックではミスを引きずってしまうこともあった。当時は「ミスをしても表情に出さないことが重要」と美学を語っていたが、現在は「映像で見ていた人に、ミスしても笑顔でいたほうがいいと言われたから」と笑顔でプレー。劇的な変化は好まないものの、トップシーンで長くプレーし続けるアスリート特有のしなやかさも身に着けた。
ハードな予選を戦う活力
年齢を言い訳にはしない。車いすカーリングの予選は6日間で7試合をこなすハードなスケジュールだが、期間中はストレッチをするなどコンディションを調整。捕食には、遠征時の必需品である羊羹を用意した。今大会では3時間睡眠の日もあったというが、非日常の時間が流れる選手村では他競技の選手との交流を楽しみ、連戦を戦い抜くエネルギーに変えた。
3戦目、投球精度の高い韓国(世界ランキング1位)に対し、カーリング人生の中で記憶がないという完封負けを喫したときも「寝たら忘れた」とすっきりした表情で翌朝会場入り。試合で勝利を収めた。

4年後は65歳になるが、ミックスダブルスだけでなく、4人制でも再び大舞台を狙う。2025年には、日本選手権で4人制クラブチーム「ease埼玉」に加入して以来初となる優勝を果たしている。
「カーリングのプレーヤーとして続ける限りは、頂点の大会は目指したいなと思っています」
最年長の車いすカーラーは、最後は晴れやかな表情で観客に手を振った。
text by Asuka Senaga
photo by AFLO SPORT






