橋本勝也 16歳 〜車いすラグビーとの出会いから、日本代表まで〜

橋本勝也 16歳 〜車いすラグビーとの出会いから、日本代表まで〜
2018.12.13.THU 公開

目をカッと見開き、髪をびゅんびゅんなびかせ、ありったけの力で車いすを漕ぐ。
ミスもする。落ち込みもする。
けれども、ひたすらに、がむしゃらにボールを追いかける。

橋本勝也、16歳。
福島県出身、TOHOKU STORMERS所属のウィルチェアーラグビープレーヤー。
プレー中の凛とした表情とは反対に、コートから離れれば、あどけなさが残る。
橋本は生まれつき手と脚に障がいを持ち、子供の頃から車いすで育った。
これまでほとんどスポーツをしていなかったという橋本がウィルチェアーラグビーを始めたのは、わずか2年前。

その頃、ウィルチェアーラグビー日本代表アシスタントコーチを務める三阪洋行とリオパラリンピック日本代表・庄子健は、“東北にウィルチェアーラグビーの文化を作りたい”との思いで、クラブチーム発足に向け奔走していた。
福島のスタッフから「ウィルチェアーラグビーができるかもしれない青年がいる」という情報を聞き、ふたりは早速、競技用車いすを持って、当時中学2年生の橋本のもとを訪ねた。

この出会いこそが、橋本の人生を変えることとなる。

生まれて初めてみる激しいプレーは、14歳の心を突き動かした。
「タックルがすごく印象的で、車いす競技の中で唯一タックルできるっていうのが、かっこいいなって思って、それが一番魅力的で、やりたいと思いました」
その日、橋本の目がみるみる変わり、どんどん輝きを帯びて行ったのを、三阪は今でも鮮明に覚えているという。

中学3年生になり、受験生だった橋本は、学業を優先させながらも、プレーヤーとしての階段を一歩一歩上り始めた。
昨年12月には、TOHOKU STORMERSの一員として、日本選手権で全国大会デビューを果たした。まだまだ荒削りでミスも多かったが、闘争心むき出しの若者らしいプレーは、日本代表の指揮官、ケビン・オアーヘッドコーチ(HC)の目に留まった。

ウィルチェアーラグビー日本代表の指揮官、ケビン・オアーHC

オアーHCは、東京2020パラリンピックだけではなく、2024年、さらには2028年のパラリンピックを見据え、日本全国で積極的にクリニックを行うなど、選手発掘や育成にも力を入れている。
リオパラリンピック日本代表12名の平均年齢は35.3歳(当時)。
世代交代、若手選手の育成は、強化において今後の大きな課題のひとつでもある。

アメリカ、カナダの代表を率いた名将は、過去にも10代だった若い選手をナショナルチームレベルまで引き上げ、世界トップレベルの選手へと育てた経験を持つ。
オアーHCは橋本について「カツヤは腕も長く、ウィルチェアーラグビーをするのに適した体の持ち主」だと話し、こう続けた。
「 (2020年まで)期間は短いが、2020年に彼は日本にインパクトを与える選手になるだろう。ただ、今はまだ彼にプレッシャーを与えたくない。ウィルチェアーラグビーを楽しんでほしい」

今年の春、中学を卒業し、高校生になった橋本。
テレビや新聞で橋本の活躍を知り、高校の友達も応援してくれているという。
最初は競技をやることに対して少し消極的だった家族も、今では多くのサポートをしてくれている。家族への感謝の気持ちも忘れない。

ウィルチェアーラグビーを始めて、2年。
自分の考え方も、まわりの接し方も、変わっていった。
「ラグビーを始める前までは、自分ができることがすごく制限されてるみたいに思ってたんですけど、ラグビーを始めたおかげで、自分ができることって、こういうこともあったんだって事を知ることができました。今までは『大丈夫?』って言われると、なんかバカにされてるって受け止めてしまっていたんです。でも、自分ができるということを言葉で伝えたことで、今は手伝うんじゃなくて、応援してくれるようになりました。ラグビーを始めたことで、これから送る人生も変わっていくのかなと思っています」

将来性を買われ、4月には日本代表強化合宿に初招集、6月にはカナダで行われた国際大会(CANADA CUP)に、日本代表として出場した。
初めての日本代表、初めての海外、初めての国際大会……
怒涛の“初めて”ラッシュはまだまだ続く。

8月。
『GIO 2018 IWRF ウィルチェアーラグビー世界選手権』
4年に一度のこの大舞台で戦う日本代表のメンバーに橋本が選出されたのだ。
そして、日本ウィルチェアーラグビー史上初となる、世界チャンピオンに輝き、金メダルを手にするのだった。

(なんで僕を選んだのかな…)
世界選手権の出場メンバーに選ばれたとき、橋本はそう思っていた。
しかし、決して浮かれたり、浮ついてはいなかった。
“この大会で何を学ぶのか”という自分の課題をしっかり整理した。
「ボールのもらい方」、「ローポインターの使い方」、「コミュニケーション」
この3つを意識しながら、世界のプレーヤーの動きを見て学ぶと決めた。

橋本は予選ラウンドのアイルランド戦、ニュージーランド戦、そして日本にとって最大の山場となったオーストラリア戦に出場した。
屈強な海外選手の強烈なタックルに、何度も倒される。
歯をくいしばりながら起き上がると、ゴール付近まで一目散に走る。
日本のエース・池崎大輔からのロングパスをキャッチすると、ゴールめがけて飛び込んでいった。
ベンチに戻ると、大声で仲間を応援しながら、食い入るようにコートをみつめた。自らの課題をひとつひとつ確認しながら。

そして迎えた、決勝戦 <日本 vs オーストラリア>。
橋本は、「祈りながら」ベンチで試合を見守った。
一進一退の激しい攻防、ターンオーバーの連続。
一瞬の隙、小さなミスも許されない緊迫した展開。
「心臓がバクバク」していた。

試合残り時間1分28秒、60-59。
オーストラリアがコートに入れたボールを池崎がカット、日本がトライを決め、61-59。 61-60、62-60、62-61……3秒、2秒、1秒…
そして。
試合終了を告げるブザーが会場に鳴り響き、その瞬間、日本は“世界一”となった!!

歓喜に溢れかえるTEAM JAPANの中に橋本はいた。
乗松聖矢と抱き合って喜んだ。
「同じ日本代表として一緒に試合に出ていたけど、ほんとに、観戦しているかのように感動しました。かっこいいなって思いました。自分も頑張って練習して、(同じハイポインターである)池崎(大輔)選手や池(透暢)選手のように、すごいプレーができるようにしたいです。自分はその場で何もできなくて、チームに貢献することもできなかったので、今後は自分が引っ張っていけるような選手になりたいなと思いました」

世界選手権で首にかけてもらった、ピッカピカに輝く金メダル。
橋本は、布に包んで箱にしまい、バッグに入れていつも持ち歩いている。
そこには「世界選手権での悔しかったことを忘れないように」という思いがある。
しかし、本当のところは、「ある取材で、世界選手権のメダルありますか?って言われた時に、すみません持ってきてないです…っていうことがあったので(笑)」ということらしい。

“日本代表”という大きな大きな経験は、ウィルチェアーラグビーに取り組む姿勢も変えた。
教えてもらうのを待つのではなく、わからないことがあれば、自分から積極的に聞くようになった。
そして、これまではあまりよくわからなかった「試合の動画を見るときのポイント」も、日本代表の先輩たちに教わることで、少しずつ理解できるようになった。
練習では、そこで学んだポイントをイメージトレーニングしながら、自分のプレーに活かせそうなことには、どんどんチャレンジしている。

強烈な全国デビューを果たした日本選手権から1年。
ひと回りもふた回りも大きくなった橋本が、TOHOKU STORMERSの一員として、再びその舞台に帰ってくる。
「予選ラウンドからすごくハードな試合になりますけど、そこで、昨年と今年でどれだけ違うのかっていうのを見せられるかがすごく重要になってきます。チームとしても5位以上を目指しているので、チームにも貢献したいなと思います」

「何もわからなくて、ただ走っていただけだった」昨年とは、もう違う。
高校1年生、橋本勝也。
420㎡のコートの上で、びゅんびゅん、びゅんびゅんと躍動する!

text & photo by Rihe Chang

橋本勝也 16歳 〜車いすラグビーとの出会いから、日本代表まで〜

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